9嫁 大賢者ソフィア(1)――幼馴染はヒキコモリ――

 ヘイワ2年 夏




 高度な魔法によって構築された実験空間に、一人の少女――ソフィアが佇んでいる。




 青色の髪は自ら風魔法で処理した無造作なボブカット。眠たげな瞳の奥に知性の光を湛えたその顔立ちは、整っているが、年齢の割には随分幼く見える。




「……起動せよ。冷静に。十分に」




 簡易起動呪文と共に、目の前の箱に触れる。




 フリーズボックスと名付けた食料保存用のマジックアイテムは、過剰冷却によって崩壊し、ただの氷の塊になり果てた。刻んだ術式が暴走し、寒風の嵐を吹き起こす。




 ソフィアは眉一つ動かさず、指を一つ鳴らしてそれを打ち消す。




(……また失敗した)




 ソフィアは肩を落として俯いた。




 これで、計10276回目の失敗だ。




(術式の簡略化と統一化は完璧。……と、なると、やはり、どうやって、個々人の感情によるトリガーを制御するかが問題)




 魔法という現象を起こすには、おおまかに言って三つの段階が必要だ。




 まず、術式という器を用意する。




 次に、そこに魔力という原料を充填する。




 最後に、呪文の詠唱というきっかけでその器をひっくり返す。




 俗に魔術師と呼ばれる存在はそれらを全部身体一つで行うが、三つの内、術式と、魔力の充填は、事前に準備さえすれば『物』で代替・省略できる。




 用途が限定されるならば、術式はあらかじめ刻んでおけばよい。




 魔力の充填は精霊石ですれば良い。




 そうした発想から生まれたのが、魔術の心得がない一般人でも魔法の恩恵を受けることができるマジックアイテムである。




 とはいえ、いかにマジックアイテムでも『呪文の詠唱』の段階だけは省略することができない。




 魔法というものは、感情によって指向性をもたされなければ、ただの力の塊に過ぎないからだ。




 そして、呪文は感情を呼び起こすための縁よすがであり、文言を唱えるとこによって、感情を術式にふさわしい一定値に調整する働きをしている。




 しかし、当然のことながら、同じ呪文を唱えても感情の振れ幅というのは個人差があるものである。言葉から受ける印象は人によって違うから、全ての人間に同一の感情を喚起する呪文を作るというのは難しいのだ。




 だからこそ、これまでこの世に生み出されたマジックアイテムという者は個人の特注品である。当然、それらは汎用性など皆無で、一般市民には手の届かない、高価な商品だ。






(……でも、このままじゃいけない)




 かつて、ソフィアが足を伸ばした、チキュウという異世界。




 そこの文明は、ソフィアたちの魔法とは違うカガクという原理の下、大いなる繁栄を遂げていた。




 突起をひねるだけで火をおこせる調理器具。




 口をひねれば無限に水の出てくる管。




 部屋を快適な温度に調整する風。




 距離を無視して情報を伝達することのできる小箱。




 数え上げたらきりがない。




 もちろん、仮にも大賢者と呼ばれるソフィアならば、似たような現象を魔法で再現するのは容易である。




 だが、そんなことはどうでもいいのだ。ソフィアが驚いたのは、チキュウという異世界では、『一般人』がその大賢者並の現象を当たり前のように享受しているという点なのだから。




 ソフィアが恐怖を覚えた、あるチキュウの言葉がある。




『高度に発達した科学は魔法と区別はつかない』




 それは、チキュウ人が未来を予想した、一種の空想的論文の一説だ。




 おそらく、その『区別がつかない』ほどカガクが発達した時、あの異世界人たちはソフィアたちの世界にやってくる。その時に、著しくこちらの文明のレベルが劣っていたならば、ソフィアの世界はチキュウに従属させられることになるだろう。




 決して妄想ではない。




 なぜなら、今のソフィアたちの世界には、すでにチキュウへと渡ることのできる力を持った男がいるのだから。




 もちろん、彼は歴史を一万年は先取りしたような例外中の例外とはいえ、こちらから行けるのに、向こうからこられない道理がないのだ。




(1000年後か、2000年後か、いずれ二つの文明が接触する日が来る。その時までに、この世界の文明レベルを引き揚げておかなくてはいけない)




 だがら、まずその手始めとしてソフィアはマジックアイテムを庶民でも気軽に使えるような、身近なものにしたいと思っていた。




 そのためには、マジックアイテムを庶民にも手が届くほど安くしなければならず、安くするためには量産が必要だ。




 そして、量産するには、これまでのような魔術師がそれぞれの好き勝手に編んできた難解な術式は無用の長物である。




 魔術師は、自分の研究を秘匿するために、ついつい術式を難解にしがちだが、そんな秘密主義は文明の発達の妨げにしかならない。




 大量生産には、誰でも理論的に、そして簡単に学べる生産の魔術的規格の開発が不可欠なのだ。




(言葉よりも、映像の方が詠唱のイメージを固定できる。なら、幻影魔法を術式段階で組み込む? だけど、それではコストがかかりすぎるし、そもそも材料の方が魔力の負荷に耐えられないし……)




 作っては壊し、作っては壊し、思索と試作は無限に続く。




 決して苦痛ではない。




 真理を探究している時間こそ、魔術師にとっての至高のひと時なのだから。




「おー、派手にやってるな!」




 しかし、そんな時間を打ち破り、幼馴染の彼はいつも唐突にやってくる。




「……どうやってこの空間に入ったの? 私が三重でかけておいた防護魔法は?」




 ソフィアは指を鳴らし、実験空間を消滅させる。




 すると、眼前に現れるのは、大量の書物に占領された見慣れた後宮の一室だ。




「あっ。そんなのあったか? すまん。気付かなかったわ」




「……相変わらずジャンはずるい」




 普通は、精霊に『お願い』してどうにかこうにか魔法を発動してしまうのに、ジャンの場合は、詠唱や術式がなくても、周囲の精霊が『勝手に』彼の意思を忖度して必要な魔法を発動してしまうことがあるのだ。




「まあ、いいじゃないか。たまには外で飯でも食おうぜ」




「……イヤ」




 ソフィアは小さく首を横に振る。




 俗世はめんどくさい。




 後宮では、すれ違った程度の相手でも、社交辞令的な挨拶を交わさなければいけない。




 かといって、後宮を抜け出し一度ひとたび町に出ると、大賢者のソフィアに取り入ってあれこれ頼み事をしてこようとする人間や、ソフィアの研究で既得権益を奪われる魔術師が足を引っ張ろうとしてきたり、とにかくめんどくさいことになる。




 ソフィアは研究以外のことで、心を煩わずらわせたくなかった。




「まあまあ、そう言わずにたまには城の奴らにも顔見せてやれよ。お前があんまり姿を見せないから、時々、メイドや他の嫁たちから死亡説が流れるんだぞ」




「この前、ジャンが頼むから、お姫様との結婚式に出てあげた」




 ソフィアはそう言って胸を張った。




 出血大サービスのつもりだった。




「何か月前の話だよそれ。あんまりずっと部屋に引き籠ってると、風呂にも入らない不潔女だと思われるぞ」




「……賢者はお風呂に入らない」




 ソフィアは格言っぽく言った。




 定期的に水魔法で身体は洗浄しているから不潔ではない。




 と、いうか、いくら幼馴染の気安さとはいえ、女性に不潔女の称号を付与するのはいかがなものか。




「それお前だけだろ。せめてトイレの時くらいは部屋を出ろ」




「……賢者は排便も排尿もしない」




 体内の不純物を浄化する魔法を使ってるので、トイレに行く必要はない。




 決してものぐさだからではない。




 一般人には冗談のように思えるかもしれないが、ダンジョンや戦場で隠密行動を取る時、排泄物の臭いから敵に行動を気取られることもあるので、意外とこの手のタイプの魔法の必要性は高い。




「でも、今日は一応、俺たちの結婚、10周年記念日だぞ。何もなしっていうのも寂しいじゃないか」




「……もうそんなに?」




 暦など忘れて研究に没頭する日々を送っていたから失念していた。




 月日の経つのは本当に早いものだ。




「そうだよ。記念日だから、行くだろ?」




「……か、関係ない。あれは、結婚と言う名を借りた、ただの契約関係。ジャンは、私を嫁という名目で保護することで、研究の障害となるあらゆる雑音から守る。その代わり、私はジャンに研究の成果を提供する。そういう約束」




 一瞬、心が動いた自分を恥じるかのように、ソフィアは取り繕って言う。




「んなこといっても、どうせその様子だと、研究の方も上手く言ってないんだろ? こういう時には気分転換が必要だぞ」




「……それは一理ある。でも、普通の恋人同士が行くような華やかで人目につくようなところは嫌」




「じゃあ、チキュウのアキハバラならいいだろ? お前、前に行った時。『大発見した』って喜んでいたじゃないか」




「……わかった。それならいい」




 確かに、ジャンの言う通り、アキハバラで見つけたコンピューターというカガクのシステムは新しい術式を考える上で大きな参考になった。




 今まで無意識の内に10進法で思考していたソフィアは全ての事象を1か0の2進法で表現できるというコンピューターの表現技法に驚愕したものだ。




(それになにより、あそこには根暗しかいないから安心)




 前に行った時のアキハバラには、自分と同じような匂いのする人間が多かった。




 少なくとも、黄色い声を挙げてはしゃぎまわるようなタイプの人種はいなかった。




「じゃ、早速行こうぜ。――『我、ジャン・ジャック・アルベールは願う。世界を支配する4の真実と、宇宙を司る二柱の加護に依りて、理を超越せんことを』」




 ジャンが詠唱する。




 この程度の短い詠唱で次元を超越できる異常さを、ジャン本人はおそらく理解していない。




 ソフィアの知能をもってしても、彼の魔法の原理は1%すら理解が及ばないものだった。




 本人に聞いても、『なんとなくぐわーってやるとできるぞ』としか言わないのでらちが明かないのだ。ジャンの魔法学院時代の成績は常にソフィアと1位2位を争うほどだったので、決して学業に秀でていない訳ではないはずなのだが。




「うっし。久々だなー」




 次元の扉が開き、ジャンがアキハバラの駅――雷のエネルギーを利用して動く移動機関の停留所――に降り立つ。




 その後に自分も続いた。




「――あれ? なんか。昔と雰囲気がだいぶ変わったな」




 出口――チキュウで言うところの改札口にまでやって来た途端、ぽつりとジャンが漏らす。




「……変わった、というよりほぼ別物」




 ソフィアは眉を潜めた。




 アキハバラという町は、前にソフィアたちが訪れた頃から、大きく様変わりしていた。




 猥雑ながらも怪しく陰鬱な魅力を放っていた街並みは、整然と綺麗な建物に置換されている。




 通りを歩く人々もどこか明るく、ソフィアとは別の種類の――つまり、生を謳歌してそうな類の人間の比率が圧倒的に増加しているように見える。




「あー、今調べたところによると、どうやらアキハバラはここ最近、再開発が進められて、電気街というよりも『アニメ・マンガ』の街になっちゃったみたいだな」




 ジャンが手元の小箱――スマートフォンと言うらしい――で情報を検索して呟く。




(チキュウは変化のスピードが早すぎる)




「やっぱり帰る」




 落胆したソフィアはそう言って踵を返す。




「まてまて。コンピューター関連の商品を集めた街なら、中国に深センっていうむちゃくちゃでかいところがあるからさ。そっちいくか?」




「あの国では値段交渉が必須だし、騒がしいし、粗悪品を掴まれる可能性があるからイヤ」




 まあ、その程度のリスクはソフィアたちの世界でも買い物するにあたっては、普通なことだから、殊更悪いという訳ではない。しかし、コミュニケーションの苦手なソフィアにとっては、交渉なしでもぼったくられることの少ないアキハバラの方が、居心地がよかったのである。




「そうか……じゃあ、せっかくだから、新しくなったアキハバラを楽しもうぜ! 俺もあんまりアキハバラのヲタク文化に詳しいとはいえないけど、『マンガ』っていうのは中々おもしろいぞ」




「『じゃあ』の意味が分からない。前後の文脈が繋がってない」




 ソフィアはそう抗弁した。




 しかし、結局ジャンについていくことになるのだろうな、ということも、今までの付き合いで何となく分かっていた。




「難しく考えるなよ。物事に行き詰った時はな、案外思いもよらない体験がヒントを与えてくれるものだぜ?」




「……強引」




 ソフィアはジャンに手を引かれて歩き出す。




 彼についていくことが、最終的に自分にとっても良い結果を導くことを知っていたから。




 そこに、根拠はない。




 ソフィアにしては珍しい、経験則の、野性的で、感情的な直観に基づいた行動。




 大賢者としては忌むべき行動指針。




 しかし、ただの少女に戻れるこの瞬間のことが、ソフィアは嫌いではなかった。

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