第十一章 特殊接待業

第十一章 特殊接待業



「異動ですか」


 年の瀬を控えた寒空の下で、俺は病院の病棟を見上げて問い返していた。


「来年の春までは商売をいったんたたむ」


 電話口の向こう側で淡々としゃべる竜胆の言葉に、俺は「たたむって、系列店や男の子たちはどうするんです」と強く聞き返していた。

 病院へと入ってゆく高齢者が俺を天然記念物のように目を丸くして見ていた。


「一部の系列店は大宮の店長たちに引き継ぐ。だが、俺は全面的に身を引くことにした」

「身を引くって……引退ですか。竜胆さん、あなた、いまどこにいるんですか!」


 二か月ものあいだ姿を消していた竜胆に対して、俺は語気が激しくなった。

 竜胆の返答はない。

 わかるだろう、と諭すような間だけが続く。

 それは竜胆の優しさであり、弁明できない必然の間でもあるように思われた。

 思い返せば九月の半ば……俺達は『残弾』が尽きた。

 稼働できる男の子がいなくなり、ゲストのもてなしに支障をきたした。

 人気俳優から一挙にスポンサーが散ってゆくみたいに、官公庁の連中はあっという間に姿を消した。それは竜胆を筆頭とする組織に張られていた特殊なバリアが消えた瞬間だった。

 あちこちの店に暴力団組員が入り込み、ひどく金をせびられた。ひどい場合には店舗管理者が拉致され、暴行を受ける事態もあった。

 これまで俺達を守ってくれていた警察は知らぬ存ぜぬを決め込み、都心部に食い込んでいた店舗は次々と閉店させるほかなかった。

 いまでは埼玉、千葉、神奈川と多摩の一部に店舗を残すのみだ。

 そのような緊急時に代表である竜胆が消えた。

 拉致され、どこかの山に埋められてしまったのではないかと最初はだれもが心配したが、金庫の中身が空っぽになっていた事実が発覚するなり『逃げだした』と批判されるようになった。

 そんな竜胆が、二か月の沈黙を破って俺の携帯を鳴らしたのだ。

 健次郎が入院している病棟を見上げ、その画一的な窓の戦列を数えながら、俺は問い返す。


「引退するつもりなんですか、もう」


 長い間があったように思われた。

 病院の前にあるバス停にバスが止まり、緩慢な動きの老人たちが降りてくる。

 バスは戸を閉め、スチームパンクみたいな音を発しながら通りの彼方へ消えた。


「引退はしない」

「なら、なにをするつもりなんですか」


 憤りに近いむかつきを覚えながら、俺は竜胆に詰問していた。


「来年の夏には商売を再開する。新しい商売だ」

「……新しい商売ですって?」

「そうだ。おまえはその商売に必要だ。それと指導員を何人か引っ張っておいてくれ」

「また、性風俗ですか」

「もう性風俗とは言えない。特殊接待業だ」


 特殊接待業……。


 嫌悪感を覚える響きが、その言葉の中にはあるような気がする。

 再びの沈黙が流れ、竜胆が言った。


「少年が要る。上等な少年が」

「囲うんですか」

「囲う」

「実家や学校にはどう説明をつけるんですか」

「夏休みで消えるようにする。そのあたりの事は任せろ」


 そのあたりの事は任せろ。

 竜胆の冷淡な口調に、全盛期の頃の勢いが残っているように聞こえた。

 また竜胆は官公庁の連中と結託して、なにかを始めようとしているのだろうか。そうでもなければ、子どもたちを非合法に消す事なんてできない。


「どこで商売をやるんですか」


 俺の問いかけに竜胆は「追って伝える。とにかく、指導員と少年を集めろ」と一方的に言って電話は切れた。


 身勝手な社長だと思う。


 けれども、彼の突拍子のない行動によって引き起こされる事態は、確かに巨額の金を産む。ビジネスマンとしては光る部分があるのだろう。俺にはない才能が、竜胆にはある。そこは認めなくてはいけなかった。


 再び、俺は病棟を見上げる。


 健次郎は竜胆が姿を消した直後に、心労で倒れた。

 俺があいつの部屋を訪ねなければ、手遅れになっていたかもしれない。

 結果として、健次郎が病院に入ったことはよかった。

 誰が見ても入院前の健次郎は衰弱していた。

 これまで大切にしてきた少年たちが、非道な扱いを受けて帰ってくる。それを受け止めるのが彼の本業になってしまっていた。

 五十万円、百万円……たったそれだけの目先の金で、多くの少年たちは大変な思いをして帰ってくる。それでも現金を前に目を見開くと「また、頑張るよ、俺」と力なく言うのだという。

 そんな少年たちが、心の底から壊れてしまうのが……『胸が引き裂かれるほど』つらいのだ。それは比喩ではない。健次郎はそういう純粋な心と柔らかい精神を持ち合わせた『元少年』なのである。

 以前、健次郎が言った。


「トイレで泣くんです。痛い、痛いって。子どもたちが。もう赤く腫れちゃって、別物みたいになっちゃって。そんな状況なんです、あの子たち。だから……」


 今日は無理です。


 そう言って出勤を見合わせるよう俺に相談してくる。

 俺に相談したところで、それを判断するのは竜胆だ。

 新しいのを仕入れるよ、と胸のなかでつぶやきながら、俺は目を反らすしかなかった。

 考えてみれば、健次郎は俺が最初に『変身』させた少年だった。

 あの頃は俺も純粋に女性へと変わってゆく男性を見ているのが楽しかった。健次郎も自分の身体が女性へと変わってゆくのが「本当に楽しかった」のだと言ってくれた。


 けれども、あの日からどれだけの時間が経った――?


 数年だ。


 たったの数年しか経っていないのに、俺と健次郎の立ち位置は純粋なスタッフと客から大きく変わってしまった。懐事情も、乗っている車も、社会的な立場も……。


 何もかもが大きく変わってしまった。


 男性を女性に変貌させるのではなく、少年たちを地獄の釜の底に叩き落す手伝いをしている。その地獄の底では、見たこともない額の金が動いている。

 健次郎が入院している病棟をじっと見つめる。

 もう、すっかりと調子は戻っていた。

 竜胆が失踪し、健次郎は「終わったんですかね」と病床で呟いた。

 彼は年内を最後に引退すると言った。

 それがいい。

 もう俺達はこの稼業から足を洗う必要がある。

 純粋に、それこそ趣味の範囲で女装を楽しめばいい。

 もし可能ならば、残った金で街のどこかに洋服屋を開いてもいい。俺がきれいにコーディネートするんだ。おまえは店長でもして、のんびり暮らそう。大切なことは売上じゃない、平穏に暮らせる温かい時間だ。

 俺がそう告げると「そうなれると、いいですね」と健次郎は答えた。

 その方向で調整をかけていた……はずなのに。


 俺は内心で揺れていた。


 ひどく心は揺れていた。


 不意に現れた竜胆の声が、俺を地獄の淵へと呼び寄せる。


『少年を囲え。指導員と連絡をつけろ』

『来年の春には商売を再開する』

『大丈夫だ。その辺はこっちでうまくやる』


 身体の奥底にしみ込んでいた濁った血液が、排水溝を失って全身を駆け巡っているようだった。

 俺は思いを断ち切るように病院へ背を向けた。

 健次郎には黙っておこう。

 彼はこの話には絶対に乗ってこない。

 そう心に決めたはずだったのに……。


 数日後――健次郎は返答した。


「最後の仕事にしましょうよ。これで、すべておしまいです」


 そう言って彼は窓の向こうを遠く見て、涙を流した。

 俺も涙を流した。


「あの子たちをこんな世界に引き込んだ俺達に、幸せになる権利なんてあるのかな」


 ぽつりとつぶやいた俺の主張に、健次郎は「ないですよ」と即答する。


 そして、繰り返す。


「だから、『最後の仕事』なんです」


 その口ぶりは強く、女性からひどく遠ざかった男性の声色に聞こえた。

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