第九章 吐き気

第九章 吐き気



 少年のひとりが、初仕事のために浜松町のホテルへと入った。


 その送迎役として、俺と健次郎が現地に同行した。


 隣の部屋をとり、ルームサービスが持ってきた夕食を口にしたが、ほんの三口も食べないうちに箸をおいた。

 緊張は最高潮だった。

 少年には客のことを伝えていない。無用な緊張をさせたくないからだ。

 一方で、俺と健次郎は事前に客へ挨拶を行った。

 その際に、この人間が闇社会の重鎮でないことに気づいた。

 それは鮮烈な稲妻のように俺の身体を貫いたし、健次郎も「あのひとって……」とどこか勘づいた様子があった。

 お互いが感じた強烈な不快感ともいえる事実を俺たちはしばらく共有しなかった。


 それはどこか間違いであってほしい。


 そう思う一方で、客の存在が明るみになると……この不自然な現実の波が必然性をもって結びついていくことに気づく。ただ、それがどれほど恐ろしい世界であるかを……俺自身が全面的に受け止めなくてはいけないことと同義だった。

 金曜日の午後七時から土曜日の午前八時までの仕事である。

 隣室であるにもかかわらず、物音はまったく聞こえなかった。

 浜松町にある宿泊施設のすべてが、こうした事柄を想定して作られているのかもしれないと思った。この町全体が、すでにそういった消費社会を見越して設計されているのではないか、と。

 テーブルの上に残った、冷えた夕食を遠くに見ながら、俺は窓の向こうに昇り始めた朝日に目を細めた。


 美しい朝日なのか。


 悲しい曙光なのか。


 どちらでもいい。


 この世界は想像していた以上に腐った世界なのかもしれない。


 俺たちはその片鱗を知ってしまった。

 たぶん、もう俺たちは抜けられない。

 抜けるときは、死ぬ時だ。

 隣の部屋に耳を澄ませる。

 何も聞こえない。

 健次郎は不愉快そうな寝息を立てている。悪夢を見ているのかもしれない。

 俺は目が覚めているのに、最悪な気分だった。

 悪夢はまだまだ続いていく。

 隣の部屋で仕事をしている少年のことを思った。


 一流の娘である。


 俺が仕立てた中で、もっとも自信のある娘だ。

 所作も、声も、たぶん性技も一流だ。

 未成年の娘を抱くことは法律で禁じられている。けれども、隣室で行われているのは未成年の少年でありながら娘であり、幼い芽吹きを待つ男性器を持つ可憐な美少女との戯れである。それは神話の世界とも、ユーラシアの覇者が作り出した逸話とも違う、現実の話だ。

 この夢見がちな逸話とも神話とも違う現実の戯れを消費しているのは、まぎれもなく政権与党の幹事長、そのひとだった。

 あの醜悪な政治屋が、老いを感じさせないうめきと汗をまき散らしながら、俺と健次郎の最高傑作を蹂躙していると思うと吐き気がする。

 けれども、俺たちはその蹂躙に耐えなくてはいけない。


 未成年が正当に消える。


 学校から転校し、親元から引き取られ、俺たちに育てられ、政治屋に消費される。

 それをすべて正当化するのは、政治家であり、もろもろの権力者たちであるようだった。



 その日から、俺たちが相手にする客層は変わった。


 警察幹部や外務省職員、在外公館の関係者などに。


 金は潤沢にある。


 多少の無理も効く。


 ただ、人材が絶望的に不足していた。


 それをうまく切り回すのが、俺の仕事であり、役目になっていた。


 この悪夢はまだまだ続いていくようだった。

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