バッドラック

17.バッドラック <前編>

ボーリング場の1件からどれだけの時が経ったのだろう?

私にそれを知る術は無かった。

永遠にも感じられる中で、発見は幾つかあったが…それを発揮する瞬間は未だ訪れない。


ただ、霧の中に閉じ込められているだけ。

横に、互いの酸いも甘いも全て知り尽くした幼馴染が居てくれるから、まだ精神的に参る事は無いが…

私達は何時までも変わらない、晴れることのない世界の中で、ただただ時を消耗していく。


「そうか、こんな場所もあったよな」


横にいる慧が、ポツリと呟く。

"部屋を出るときは手を繋いで"なんて、子供みたいな決め事も、この光景を見ればやっておいて良かったと思えてくる。

私か彼の部屋の扉から、時折"狩場"へ繋がる事があるものだから…もし、片方がそれを通り抜けてしまえば、暫く逸れてしまうから…という事で決めた事。

それが、見事なまでに効いたのだ。


「海の音…何処だっけ?ここ」

「さぁ…忘れたな。ナントカ海岸だか」


私達は目の前に広がった、霧に包まれた海を眺めながら言葉を交わす。

ここは海岸沿い、砂浜の上。


部屋から一歩扉の向こうに出れば、私達の格好にも変化が現れる。

慧は甚平にサンダル姿、私は浴衣にサンダル姿…共に、サンダルの中に入ってくる温い砂のぬくもりを感じていた。


「晴れてたら、文句は無かったんだが」


慧がそう言って薄笑いを浮かべる。

私も彼につられてクスッと鼻で笑った。


私の家の、私の部屋の扉を開けた先がこの空間だったのだ。

この空間、ナントカ海岸に位置する公園の、管理小屋の扉に繋がっていた。


「ここに何か思い出は?」

「俺は一つ。彩希は?」

「私も一つ」

「じゃ、一人か」


波の音を聴きながら、私達は淡々と言葉を交わす。

これで何人目か、逐一数えてはいないが、これまでを振り返れば、もうかなりの数になるはずだ。

どれだけ空間が異質だとしても、私や慧の部屋から変な場所に放り出されようと、私達がやることはきっと一つ。

私が適当な方角に足を向けて、一歩足を踏み出すと、慧は何も言わずに横に付いてきた。


「俺は駐車場の方に行こうと思ったんだが」

「私も。公園の方とか、芝生じゃない」

「居るかは分からないけどな」

「居るとすれば、駐車場でしょう?」

「言えてら」


ゆっくりと、温い砂浜の上を歩く私達。

やがて、砂浜が草地に代わり、獣道になり、しっかりと舗装整備された歩道に変わる。


夏だったら、今の私達の格好であったのならば、この海岸は今頃屋台が立ち並んでいる頃だ。

霧の中の世界で、屋台が並んでいることは無かったが…今見ている景色に、ふんわりとでも、屋台が並び、人が賑わう様子が薄っすらと霞んで見えた。


「わたあめ食べたい」

「霧の中から出れたら買ってやる」

「今川焼に、たこ焼きに、お好み焼きにトロピカルフルーツも」

「…買ってやっても良いがな。次の日、体重計に乗るなよ?調子乗って食った次の日は大抵機嫌悪いんだから」

「善処します」


歩道の上を歩く私達。

屋台の景色が、祭りの光景が浮かんでいるのは私だけでは無かったらしい。

慧もきっと同じ景色を想像して、この霧の世界に重ねてみているのだろう。

私の言葉と、それに合わせて顔を向けた方向と全く同じ方向を見ながら、私の冗談に付き合ってくれていた。


歩道を歩いて、海から少し離れた場所へ。

波の音は未だに耳に届いてくるが、振り返ってみても霧に包まれ青い海は見えてこない。

もう少し歩けば、この一帯の中では唯一になる駐車場が見えてくる。


私達が住んでいた町から電車で何駅か行った町。

海が見える小さな町の、海辺にある駐車場。

特に語ることも無い、何の変哲もない場所だが、私達にはちゃんと嫌な思い出があった。


"やり直す羽目に"なった場所という思い出が。


私と慧は、歩道を歩き、駐車場までやってくる。

1台も車が止まっていないそこへとやって来て、私達は適当な場所で立ち止まった。

周囲を見回して、霧の中で見える範囲だけで、今いる場所を完璧に把握する。

今いる町の事も、海の景色も、思い描いていた屋台の光景だって、曖昧さがあったというのに、この駐車場の景色だけはハッキリと思い出せた。


「誰もいないね」

「時期に来るさ」


誰もいない場所に、私達の声が響く。


私達に焦る様子は無い。

ただ、その時を淡々と待つだけ。


「私達、手ぶらだけど」

「手ぶらで良いのさ」

「まぁ…」

「それに、最初は俺だ」

「それは…」

「気にすんなって。この霧は俺等の味方だ」


駐車場の隅に移動して、縁石に腰掛ける形で座り込んだ私達。

足を伸ばして、手を後ろに付けて…視界を少し上に向ける。


「ずーっと、これはもう最後の方じゃねぇかって思ってたんだが、案外まだまだありそうだよな」


一瞬、途切れていた会話を再開させたのは慧の方だった。

私は彼の横にちょこんと座ったまま、小さく頷いて見せる。


「そうだね。裏側で"現実"を見ていた時から…随分と長かった気がするんだけど」

「そろそろ、この霧の中の理解はズレてこねぇと思うんだが」

「ええ」

「最期がどうなんのかって、考えててよ」


慧は空の方を向いたまま、呆然としたような口調で言った。

私は、何も答えずに黙ったまま、彼の横顔を見続ける。


「格好の割に、しおらしくなっちまったな」


暫く黙り込んだのち、慧は吹っ切れたようにそう言って苦笑いを浮かべた。


「屋台が出てないんだもの」


私も彼につられて、小さい笑みを浮かべながら答える。


「終わりが本当に近けりゃ、そん時はきっと分かるだろうさ」

「分からなくても、気づかないうちに終わってるかもね」

「それならそれでもイイさ」


慧はそう言って、空を見上げながら溜息を一つ。


「とりあえず、サッサと誰かを始末して部屋に戻ろうぜ」

「私達以外に誰も居ないけどね」

「じゃ、どうするんだ?」

「待ってれば来るよ。この間のボーリング場がそうだった」


私はそう言って、縁石に腰かけていた体を立ち上がらせる。

んーっと、腕を組んで上に体を伸ばして…上に体を伸ばしながら、息を吸って伸びきって…

ふーっと息を吐き出しながら手を元の位置に戻す。


「多分、ここで待っていれば…向こうからやってきてくれるよね」

「そんなもんか?」

「私が印象に残ってるの、ココしかないもの。それとも、慧は別の場所も記憶にあったりするの?」

「いや、俺もココだ」

「なら、ココで待ってれば良いのさ」


私はそう言って、座ったままの慧を見下ろす。

彼の目に写る私の様子はどんなのかは、鏡でもない限り分からないが…

恐らく、今の私の表情は、何処か空虚な表情をしているはずだ。

真顔なのに、そう感じない…何かを現したいのに、表情には出ていない…そんな表情。


「俺の顔に何かついてるか?」


それは、慧も同じ。

互いに、それを言葉に出来なくて、ただ、ふと見つめ合ったかのようになるだけ。

言葉を交わさない間は、海の方から聞こえてくる少々荒くなってきた波の音が間を埋めてくれていた。


「風が強くなってきたな」


慧がふと呟く。

私の髪も、浴衣も、彼の髪も甚平も、草も木々も…確かに少し揺れ幅が多くなってきた。

海からの風だ。

涼しく、じめっとしていて、少しザラつく感触を受ける潮風。


私は再び彼の隣に腰かける。

背中側から、潮風がスーッと吹き抜けていく。

乱れた黒髪を手で撫でつけ、手で抑え…慧の方に顔を向けた。


「…聞こえたか?」


慧が私にそう尋ねる。

私は首を小さく左右に振った直後、遠くから何かの音が聞こえてきて、縦に首を振りなおす。


「車の音だね」


私がそう答えた直後、その音は…遠くから聞こえてきたその音は、急に鮮明に聞こえてきた。

最近の車の音じゃない。

慧のお父さんが乗っていたような、改造車が放つような低く迫力のある音。


私と慧は、その音を聴いてほんの少しだけ体を強張らせた。

この駐車場に現れる、改造車にいい思い出は無いからだ。


「どうする?」

「言い訳の余地は残さない」

「了解」


ほんの少し、体を震わせた私達。

霧の中、私達の世界の中と言えど、何度も何度も"リセット"させられた記憶が脳裏にこびり付いていた。


やがて、霧の中に黄色いライト…黄色いハイビームの明かりが混じってくる。

近づいてくる音…それはやがて、霧の中に鮮明なシルエットとなって現れた。

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