衝動の代償
16.衝動の代償 <前編>
霧の中に囚われて、そこで何が出来るかを理解した時に遭遇したちょっとした異常事態。
そこから更に踏み込んで、私達で出来る範囲の実験を重ねて、自らの間違いを正して、またその先にある答えに辿り着く。
私達が私達で居られて、何でもできると思っていた霧の中の世界。
何度目かの生を受けて、私達は傍観者となった世界。
そこを双方を行き来して、分かったことは…あるにはあるが、理解はできても、頭がそれを否定している状態。
「ここは…?」
私は、慧の部屋の扉から出た先に広がっていた空間で、1人呟いた。
学校での1件以来、私の部屋か慧の部屋で時間を潰すことが多かった私達。
部屋を出ても、そこは住み慣れた…通い慣れた家で、品物も尽きる事はなさそうだったから、とりあえず"次の変化"が来るまではこれでいいと言い聞かせた矢先…
何気なく、飲み物でも取りに行こうとして扉を開けて、真っ白い霧の中に一歩足を踏み入れた途端、周囲の光景は思いもよらない場所に様変わりした。
「……」
私は直ぐに入って来た扉の方に振り返り、慧の部屋に戻ろうとしたが…
生憎様、入って来た扉を開けても、その先にあるのは慧の部屋ではなく、この空間の、この建物の何処か別の部屋。
私はそれを見て、唖然とした表情を浮かべると、直ぐに周囲の情景から情報を集める。
ここは、見覚えのない事務所の様だ。
受付も兼ね備えているのだろう…部屋の一角、外ではない方向に面した壁に窓が付いている。
私はその窓の方へと歩いていき、霧の奥に目を凝らした。
そして、思わず小さな声を上げる。
その窓の奥に見えたのは、何度も遊びに来たことがあるボーリング場だった。
「裏側はこうなっていたのね」
1人、事務所の中で呟く。
私は、窓の直ぐ近くに見えた扉を開けて、ボーリング場の店内へと足を踏み入れた。
さっきまで、慧の部屋に居たから、今は裸足…近場のシューズレンタル為のラックから、私の足のサイズに合ったシューズを拝借してそれを履く。
だだっ広い、バブル時代の産物…ボーリング場の景色を見回した私は、1人貸し切り状態の空間に少しだけ気分が上がり調子になってきた。
慧を部屋に置いたままだ…とか、私一人で何故ここに来たのだろうか?とか、心配事も疑問も尽きないが…
それでも、普段は先ずみる事の出来ない、誰もいない空間の中に一人というのは、ちょっとだけ私の冒険心をくすぐっていた。
受付から、建物の奥へ…入り口から離れて行く。
レーンがズラリと並び、その一つ一つに、UFOを模したような機械が備え付けられている。
リターンボールの射出口に…レーン上にある巨大なテレビ…見慣れたボーリング場の景色も、白い霧の中にあれば随分と違って見えるものだ。
「…1ゲームでもやってなさいって?」
私は何気なく、レーン後方に設置されたレンタルボールの中から、私が扱える中で一番重たいボールを手に取った。
誰もいない空間で、つまらない冗談を1つ呟いて…
ズラリと並ぶレーンの隅まで歩いてきて、一度立ち止まった。
一番奥…5レーン分の空間がまだ奥にあるのだが、そこはストラックアウトのレンジになっている。
奥の方…レーンの後ろには、ビリヤード台が数台と、ゲームの筐体やスロットが幾つか並んだスペースがあった。
私は、やったことも無いゲームの筐体を眺めながら、再度歩みを進め、やがて一番奥…建物の端までやってくる。
建物の隅、大きな窓から見える外の景色は、私が覚えているままの、街の景色が霧に隠されているようだ。
ボンヤリとシルエットが見える…それを見た私は、何も分かっていないのに、数回頷いてから、再び建物の中へと目を向ける。
壁…窓に寄り掛かって、何気なしに手にしたボールを両手で持った私は、今の状況についての考えを巡らせていた。
それは、この状況が、慧と語っていた状況と全く同じだったからだ。
慧と言っていた、最悪の現実を如実に表現していたからだ。
私も彼も、逃れられない終わりを越えて来た。
何度でもあると思っていた次はそこにはなく、あったのは霧の中に囚われる現実。
自然と出来ていた事…せめて目を閉じれば見えていた、現実の私達の視線はもう見えない。
何人もの人間を霧の中に引きづり込んでいたのに、それすらも出来なくなった私達。
気づけば、定期的に"どこか"に繋げられ、そこで仇を打ち続けることしか出来なくなっていた。
今回も、恐らく同じ。
ボーリング場から割り出される犯人は…残っている人間からだと1人、心当たりがある。
ボーリング場の主と言っても良いほど、アマチュアチームがあったこの施設の、中心的な人物。
一時、ボーリングにハマった私と慧と…その友人たちに気前よく教えてくれて…
そして、私に一方的な歪んだ愛を告げてきた男。
私は、脳裏にこびり付いた"幾多の"記憶から、人相を思い浮かべる。
慧の部屋から、私だけがここに繋げられたのだとしたら、恐らく標的は彼。
私は片目を閉じて、もう片方の目で鋭く眼前を睨みつけて、この空間に"私以外の"人間の痕跡が出てくるのを待ち構え始めた。
袋小路。
霧の中。
次があるのかも、無いのかも分からない私達。
ただ、目の前に現れた仇を狩っていくだけの存在。
狩り続けて、その終わり、最期の向こう側に何があるかなんて分からない。
ただ、何も知らずに、知らなくていい事だけを知ってしまって、2人で泣いて慰めながら次の世界に行くことは…もうないんだろうなぁ…
「…!」
私の耳に、何者かの叫び声に似たような声が聞こえてくる。
私と慧の間で推理した、嫌な現実…こうであってほしくない現実が、また一つ私の方に近づいてきた。
「夢なら醒めて欲しいのだけど」
私はそう呟いて、ゆっくりと歩き出す。
最初は、恨みを清算出来ていたはずなのに…
今ではスッカリ"霧の中の"住民と化してしまった。
広いボーリング場の中。
タイルカーペットの上を、音を立てぬように進んでいく。
気づいたら、随分と私も"人を殺す"事に慣れてしまったものだ。
薄っすらと自嘲の笑みを口元に浮かべながら先を急ぐ。
目的の人物は、入り口側…
受付を越えた先、1番レーンの方。
3番レーンのベンチに、人影が1つ。
携帯を開いて一心不乱に何かをしている男の影が見えた。
「……」
私はそれを見て、ニヤリと笑みを浮かべる。
自分でも分かる、壊れた嘲笑の顔。
電波も無い、何処にもつながらない世界で、助けを求めているのかは知らないが…
情報の海に飛び込みたくても飛び込めない様は、これ以上になく滑稽に見えた。
「こんにちは、色男さん」
労せずベンチの背後まで忍び寄った私は、ボールを頭上に掲げてそう言った。
明朗な声。
自分のとは思えない程に響きの良い声。
男は携帯をバッとポケットに仕舞いこみながらこちらに振り返る。
彼が何か声を発するよりも早く、私の両手に持った物が男の顔面に降りかかった。
「死ね、屑虫」
その一言と共に、ボーリングの弾が男の顔面にクリーンヒットする。
9ポンドの球を、殆ど不意打ちの形で真面に受けた男は、何かを発する前に口や鼻から血を噴き出してベンチから崩れ落ちた。
ボール越しの、顔の感触は柔らかいものだ。
私は倒れた男の元に駆け寄ると、ショックで何も出来ず、ピクピクと体が跳ねている男の胸元に馬乗りになる。
「こういうのは趣味の範囲外だったかな」
ニヤリと下種な笑みを浮かべた私は、勢いのまま口走る。
その声が、最早男の脳に伝わっていないと分かっていても…
それでも、私は彼に少し言葉を投げつけてから終わらせたかった。
「生憎、私にはパートナーが居るの」
そう言って1発、男の顔にボールを振り下ろす。
ボールが顔に落ち、顔がボールと床にサンドイッチされた時…鈍い音が霧の世界に響き渡った。
「貴方からの、歪んだ愛は受け取れないわ」
更にもう1発。
次の一撃は、ボロボロに砕けた男の頭蓋骨に止めを指すのには丁度よすぎた。
「!」
嫌な感触。
両手に生暖かい感触。
それは今更の話がが、その生暖かさに滑り気が混じる。
くしゃくしゃに潰れて歪んだ男の顔。
目も鼻も口も、何なら髪すらも、出来の悪い福笑いのような配置になった男の顔を見て、私はその滑り気の正体に気が付く。
「う…」
喉元まで嫌な物が上がって来たが、寸でのところで押さえ切れた。
人の死体を見るのは、何も今が初めてではないし…この手の光景もこれが最初じゃない。
何なら、私や慧のそれをこの目で見ているのだ。
年季が違う。
「つまらない玩具だこと」
私はそう呟くと、必要もない1発を加える為に、ボールを持ち上げて振り被った。
「……?」
その刹那。
振り上げたボールを勢い付けて落としていく刹那。
私は、何故か浮遊しているような感覚に墜ちていく。
「……?」
それが何かもわからずに、1発。
鈍い音が響く。
その直後、私の感覚はどこか遠くへと薄れて行った。
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