霧に染まった日

10.霧に染まった日 <前編>

花火をやった次の日の早朝。

僕は一人早起きして最寄りのコンビニまでやって来た。

運動するときくらいしか着ないジャージ上下にスニーカーを履いて…携帯と財布をちゃんと忘れずに。


中に入って、適当に缶ジュースを2本買って外に出る。

コンビニの前でそのうちの1本を開けて数口飲んだ頃、一人の人影が僕の視界に入って来た。


「おはよう慧。昨日はありがとね、ゴミの処理任せちゃって」

「はよー…良いんだ。それくらい」


目も覚めて頭の動いている私とは対照的に、眠気がまだ醒めていないといった表情。

Tシャツに短パンにサンダルという出で立ちからも、彼が寝起き後直ぐというのが良く分かる。

僕はそんな彼を見て少し申し訳なさを感じつつ、それと同時に少し面白いものを見れたと思いながら、買ってあったジュースの缶を一つ渡した。


「呼び出し分」

「サンキュー…」


僕の声色は普段通り、彼の声色は眠たさ一色。

早朝…薄っすらと霧のかかっている風景を見回すと、僕は慧の方に目を向けた。


「早くから呼び出しちゃって悪いけれど、昨日の夜に電話した通りだよ」

「ああ…嫌な予感程当たってたってわけだ」

「そう。それで、今日さっそく2人を呼び出して聞いてやろうと思うんだけれど…朝になってからじゃ遅いよねって思ってこんな時間に呼び出した訳さ」


僕はそう言うと、缶に残っていた一口分のジュースを飲み干してゴミ箱に捨てる。

目的地に決めていた方角に足を進めると、慧は何も言わずに横に付いてきてくれた。


「何時か言ってた早朝散歩ついでにね」

「それでその格好か、俺なんざ寝起きそのままだぜ」

「帰ってシャワーでも浴びればスッキリするさ。ちょっと遠いけれど沙月公園まで行こう」

「往復で3キロってとこか」


慧はそう言うと、腕を上に伸ばす。

それから数回腕を回したり、伸ばしたりするのを繰り返して最後にパン!と頬を軽く叩くと、眠たそうな表情が消えていた。


目的地となる沙月公園は、住宅街から抜けて少し進んだ先にある大きな公園だ。

ドッグランに結構な数の遊具


「お目覚め?」

「あー…まだ眠気が勝ってるがな」

「十分だね」


コンビニ前の信号を越えて、朝霧に包まれた道を行く。

小さなころから幾度となく通った道だが、こんな早朝に通ることは殆どなかったから、見知った道でも随分と新鮮に感じていた。


「一発目が霧の中ってのは良い趣味とは言えないぜ」


慧は冗談っぽい口調でそう言うと、ニヤリと笑ってジュースを飲む。

僕もそれを聞いてクスッと笑うと、彼の言葉に頷いた。


「霧の中に居るのがお似合いなのかも」

「遠くが見えないのは嫌いだ」

「僕も」


そう言って、少しの間僕達は何も言葉を交わさない。

周囲の霧は徐々に濃さを増していたが…同時に明るさも増していたので、もう少しすれば霧が晴れて、晴れやかに晴れた日差しが見られるのだろう。

僕は深くなり…空気の流れすら可視化されている周囲の様子を見回していた。


「……さて、本題だ」


そう言って、僕は声のトーンを一段下げる。

慧もニヤニヤした、緊張感のない表情を消した。


「今日にでもと思ったけれど、その前に僕も落ち着いて考えたかったし、慧の意見も聞きたかった」

「ああ…昨日の夜中に電話来た時にさ、俺も今すぐにでもって思ってたんだ。寝て起きて冷静になれた気がするんだが、ちょっと整理しようぜ」

「整理…?」

「ざっくりと言えばさ、俺らは霧の中に取り込まれました。そこで人を殺したことだってあります。それは自分の意思じゃありません。死体を見つければ霧の中から脱出出来ますってのが大枠だ」

「そうだね」

「で、霧の中で殺された人間は現実じゃ死んでない。俺ら以外にも霧の中に居て、そいつの見た目は…彩希や俺に瓜二つだ」

「…慧の方は、慧が一人で取り込まれた時だけなんだよね。見たの」

「ああ。だから俺の主観でしかないが…彩希のは俺も見てたよな」

「だね。神社とかで」

「そうだ。霧の中で見たやつの顔が俺等に似てて…後は俺が高校で意図せず聞いちまった事が原因で一博と葵を疑う事になって…で、昨日に至る」


慧は眠気もスッカリ取れた様子で、これまでの僕達に降りかかって来た災難を短く分かりやすくまとめてくれた。

僕は横で頷き、相槌を打つ。


「遠出出来なかったし、近場で集まって巻き込まれたのなら、アイツらが犯人じゃなくとも何か知ってると思うべきだよな」

「…巻き添えにした犯人じゃなくって?」


僕がそう言うと、慧はこちらを向いて落ち着けとでも言いたげな表情を見せる。


「巻き込まれたってだけで犯人扱いは…俺も正直そう思ってたんだが、それでも確信じゃないだろ?」

「まぁ…」

「…ここまで来れば、ほぼ確定なんだろうが…俺等みたいに巻き込まれてるだけってことも有り得るぜ」


彼がそう言うと、僕は少しだけハッとした表情を浮かべた。

言われるまでは考えてもいなかったが、言われてみればその通りだ。


「俺らだって他人に言えないだろ?」

「言えないね。言えば黄色い救急車で運ばれる」

「俺等から見れば、神社のアイツなんかまさに殺した直後って感じを出してた訳だが…最初の頃の俺らを何処かから見てたとしたら?」

「そういう解釈だよね……一晩寝て良かったよ。冷静になれてる気がする」


僕はそう言って小さくため息を付く。

目的地まではあと半分ほどの道のり…

周囲の霧の濃さは変わらなかったが、上空を見上げると霧の向こう側に太陽が見えてきた。


「問い詰めるなんて言い方は良くないね」

「それとなく聞いてみる、もしくは相談するが落としどころだろうぜ。アイツら相手に波風立てたく無いし」

「同感だね。何年の付き合いだって」

「それを踏まえて…だ」


慧はそう言って、声のトーンを一段上げた。

普段の声色と同じ、聞き慣れた優しい声。


「今日の予定は聞いてみなけりゃ分からんのだが…時期的にそろそろお盆だろ?」

「そう言えば…墓参りとかもあるだろうし、昨日の今日と言えどって?」

「ああ。それに、事と次第によっちゃ変な空気になりやすいし、気軽に声かけらんないよなって」

「まぁ、それはそうだ」


僕は彼の言葉に同意しつつも、話の先が少し見えてこない。


「どうすっかなって。アレコレある時に話す内容でもないし、夏休み終わり位まで伸ばして…暇になって来た頃にでも集まった方が良いのかもと思ってるんだが…」


慧は首を傾げた僕にそう言うと、小さく笑って腕を頭の後ろで組んだ。

僕は彼につられて小さく笑ったが、彼の言葉には全面的に同意とは言えない。

この期に及んでまだ、気になるうちに行動しておきたいという衝動に駆られていた。

彼の言うことも分かった上で…だ。


「…もし、今から2人に電話が繋がったら、公園に来てもらうっていうのは?」


僕は少し間を置いた後でそう提案する。

慧はそれを聞いて少し呆気にとられたようだった。


「正気か?」


暫く無言が続いた後で、慧は絞り出すように言う。

僕は直ぐにコクリと頷いて見せた。


「早朝、ただでさえ人気の無い公園に人なんて居ないだろうしさ。もっと気にするならあの公園には船があったよね。鬼ごっこで使える位広いの」

「あるが…」

「そこなら公園の端だし、尚更人は居ない。この手の話をするには打ってつけのように思えるんだけど」


僕がそう説明すると、彼は少し困惑した表情を浮かべたまま顎に手を当てた。


「ま、普通であれば寝てるような時間なんだ。散歩に付き合わない?って感じで誘ってみて、来るようなら"実はさ…"って切り出せばいい」


更にそう言って畳みかける。

その最中で、更に説得力を増せる言葉を思いついた僕は、彼の顔を下から覗き上げるようにな仕草を見せてこういった。


「どうやって切り出すのか、場所を作るのか悩んでるなら、今でも良いと思うよ」


 ・

 ・


10分後。


公園に辿り着いた僕達は、端の方にある大きな船の遊具の中に居た。

甲板の辺りに登って、そこから来た道を眺めて居る。

朝霧は徐々に薄くなっていて、上空には青空も少し見え始めていた。

僕と慧は何も言葉を交わさずに、久しぶりに見る光景を眺めながらじっと待ち続ける。


突拍子もない僕の提案は無事に可決され、半分冗談位の勢いで葵と一博に連絡を取ってみると、彼らは普通に起きていて…それでいて、僕達の誘いに乗ってくれた。

ビックリするくらいにスムーズに進んだ会話。

葵と一博は2人揃って僕達と同じ道を辿ってくるらしいから、彼らが訪れるのはもう少し先になりそう。


「鉄は熱いうちに打てというけれど、その通りだったね」


ボソッと呟く。

甲板の上に設置されたベンチに腰かけて、徐々に午前中の風景を取り戻していくのを眺めながら、僕は彼の方に視線を向けた。


「案外、やべーと思ってる事でも大したことなく終わったりするんだよな」

「そうであるといいけれど」


朝の陽ざしに照らされていく。

ここまで霧が晴れれば、こちらに向かってくる葵と一博を遠くから発見できそうだ。


霧が晴れて行くのと同時に、少しずつ緊張感を無くしていった僕達2人。

長閑な夏の午前中を過ごせるものだと、何処かでそう思っていた。


「あ?」


その緊張感が抜けたのがダメだったのだろう。

横に居た慧が声を上げた時、僕は一変した周囲の景色の変わり具合に頭の処理が付いて行かなかった。

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