第 9 話 点在する蛾

「本当に何があったんですか?」


 佐原家からの帰り道に、冬野君が尋ねてきた。当然の疑問であるし、私はそれに答えなくてはならないだろう。だが、どの様に説明したものか。


 バスに揺られながら、私は腕を組んだ。


 謎の形容し難い者は、時計の形容し難い者の発言から考えるに、恐らく彼が鵺であろうと思われるが、まだ目的が理解出来ない。確か、探し物をしていると言っていた。家族を知りたがっている様にも見えた。時計の形容し難い者を解体していたという事は、もしかして、体の中にある何かを探しているのだろうか。まだ、こちらは決め付けずに、保留にしておいた方が良いだろう。


 さて、気絶している間に見ていた夢は、あの形容し難い者の過去なのだろう。あれが真実だとしたら、鵺と呼ばれる形容し難い者が、現在の怪現象の原因と言えるだろう。鵺が時計の形容し難い者に埋めんだ部品、それを取り除く事が出来れば、事態を解決に導けるかも知れない。


「無食さん、説明しようと考え出したけど、別の事が気になって、僕へ説明するの忘れてるでしょう」

「あ、えーと、そんな事はないよ。ちゃんと説明します」

「いいですよーだ。呼び出されて、大慌てで現場に到着して、何故か気絶してる人間を背負って、佐原さんの家までえっちらおっちら運んだ人が誰かご存知ないでしょうから」

「悪かったって!説明するよ!」


 意外とねちっこい部分がある冬野君は、こうなると意固地になる。大人びている彼の、数少ない幼さだ。言い方を変えると、可愛げである。


 なので、これが出た時には決して冷たくあしらってはならない。元よりそうするつもりだが、真摯に彼の真心と向き合わなくてはならない。上司として、彼からの信用を下げる訳にはいかないのだ。


「一昨日の形容し難い者に襲われたんだ。襲われたと言っても、害はなかったんだが」

「それ襲われているんですか?」

「こう、彼の体は靄で出来ていて、それが私を包んだ。すると私の意識がなくなった。そして、夢を見た」

「訳文みたいな話し方ですね。それにしても、夢ですか」

「恐らくあの形容し難い者の過去だ。お陰で、今回の件の構造が、幾らか分かったよ」

「不幸中の幸いと言うか、そもそもそれを見せる事が目的だったんでしょうか」

「こうして、無傷でいるのがその証左かも知れないね」

「本当に無傷ですか?」

「本当に大丈夫だよ。ありがとう」


 じとっとした目で暫く私を見ていたが、何かを諦めたのか「ならいいです。」と、唇を尖らせながら彼は言った。


 心配してくれるのは嬉しい。しかし、だからと言って、危ない事を沢山やろうとする程の勇気もないし、何かに依存するつもりもない。お互い思い合っている、心配するしされる関係であると、時々感じられれば良い。私は所長だから、彼を守る使命がある。きっと優しい彼にも、私を守ろうとする気持ちがあるのだろう。


「その夢を見て、少し光明が見えて来た」

「解決へ導ける様な?」

「多分ね」


 降車駅に着いたので、降りて行く。この後は電車に乗るのだ。事務所まではまだまだ長い。

 夕方だからか、経由駅は多くの人が歩いていた。ベッドタウンの面があるから、帰宅者もいるだろうし、夕方の買い出しに出た人も多くいるのだろう。駅ビルがあるからというのも理由の一つだろう。


「明日食べるパンとか買って行きませんか。カップ麺は飽きちゃうし、健康に悪いですよ」

「それもそうだね」


 私達は近くの、名前の読みがちょっと難しいパン屋へと入店した。奥から威勢の良い声掛けが響いて来た。香ばしい小麦と甘いバターの匂いが食欲を誘ってくる。


 冬野君は既にトレーとトングを手に取って、カチカチしていた。私は棚に並べられた、パン達を見回した。


 ハムとチーズのホットサンド、クリームパン、4種のチーズのパン、デニッシュサンド。どうやらここは、コロッケパンや焼きそばパンがあるタイプではない。その中で私は、カレーパンを食べようと決めた。


 しかし、カレーパンは三種もあった。


 チキンカリーパン、ごろごろお野菜カリーパン、伝統のビーフカリーパンゆで卵入り、である。見た目こそ似た様な丸型で違いがない。辛さで分けると、チキンが一番スパイシーで、お野菜が控えめな様だ。なら、シンプルそうなビーフカリーパンゆで卵入りにしよう。ゆで卵も好きだった。特別感がある。


「無食さん、決まりました?」

「ビーフカレーパンで」

「一つでいいんですか?」

「え、じゃあ、その、ハムとチーズのホットサンドもいいかな」

「これ経費で落ちますよね」

「機能してるか分からないけど、取り敢えず私が払うよ。冬野君は他にはいいのかい」


 トレーを受け取ると、メロンパンにクリームパン、ドーナツがカレーパンの横に並んでいた。私はそこにホットサンドを加えた。トレーのサイズに余裕がなくなって来た。


「大丈夫なので、お会計お願いします」

「はーい」


 レジに向かう。最近の物はバーコードの読み取りや入力もせず、ただトレーをレジの指定の所に置くと、自動で読み取り、値段を教えてくれるらしい。噂は聞いていたが、体験するのは初めてだった。


「五点ですね。一四四〇円になります」


 計算は機械だが、袋に包む作業と読み上げは店員さんの仕事の様だった。私はこちら側に作られた自動精算機で、必要なお金を入れて行く。直ぐにお釣りが出て来て、レシートも出て来た。


「商品です」

「ありがとうございます」

「ありがとうございました」


 渡されたパンは、個包装にされた上にそれを纏める大きめの袋という二段構えだった。食べ物関連はガードが硬いに越した事はない。


 店の外で待っていた冬野君が、「わー、ありがとうございます。早く電車乗りましょう。外にいると寒くて。」と言うので、足早に改札へ向かう。


「そう言えばさっき、解決法が見付かったって、仰ってましたよね」

「うん。恐らくあの時計が動き出したのは、第三者の手で改造されたからだ。そして、その時に家族を呪えという部品を埋め込まれた。だから、その部品さえ回収してしまえば、怪現象は収まると思うんだよ」


 人の波に逆らわない様に、くにゃくにゃと進む。


「その形容し難い者は改造されて、それが原因でバグが起きていると言う事ですか?」

「合わせてはいけないプログラムを同時並行で実行した為に、結果的にバグが発生している様に見える、かな。本来不要なシステムを、無理矢理あの形容し難い者に雑にねじ込んである。本来の彼が持つ、家族を見守るというシステムに、家族を呪う、家族を増やすという二つのシステムが干渉している。見守る事と呪う事は真逆なものだ」


 冬野君が少し黙って、考えている様だ。一息に言い過ぎたのかも知れない。分かりやすい説明をしようと思っても、どうにも上手くいかない。


「確かに反対ですね。その形容し難い者が元々持っていたシステムはいつからあったのですか?」

「恐らく、絵里さん達のお母様が子供の頃には既に、時計の中にいた様だから、その頃からじゃないかな」

「そんな歴史ある者をそんな酷い状態にさせるなんて」

「更に、防御機構として、家族をそれらから守る意思も現れている。それは、対象を呪い殺して形容し難い者の庇護下に入れる事でもあり、家族を呪わない様にと追加システムに反抗する事でもある。実にしっちゃかめっちゃかだ。まだ、原型があるのが不思議なくらいだ」

「その部品を取り除いたら、時計は止まりますか?」

「止まるでしょうね。怪現象を起こす機械としても、時を刻む機械としても。代わりの部品を見つけない限りは」


 冬野君は少し考え込んでいた。考えながらも、自動改札へのICカードのタッチはスマートだった。


「僕にも見えればなぁ……」


 小さな呟きを、私は聞かなかった事にした。唇を噛む彼に、なんて言葉を掛ければ良いのだろう。


 上に設けられた案内図を見ながら、ホームを目指す。


「埋め込んだ第三者の見当はついてるんですか?」

「鵺と呼ばれる形容し難い者のようだ」

「鵺……」


 冬野君が眉を寄せる。珍しい表情だ。


「そういえば、家族を増やすってどういう事ですか?」


 冬野君が眉を寄せながら問いかけて来た。私もそれについては、まだはっきりと回答出来ない。


「彼は周囲に漂う霊魂を、新しい家族と認識して、吸収していた。でも、美月さんと絵里さんの視線の話的に、霊魂であるかどうかではなく、あの家での滞在時間か訪問回数が条件だと思う」

「霊魂達はあの家の中にいたのでしょうか」

「そもそも、あの家には霊道と言うのだっけ?エネルギーの通り道があった。霊魂達はそこを通ったか、留まるかしたのではないかと思う」

「初めて実地確認した時に仰ってましたね」

「言ったかな」

「言いましたよ」


 ホームの適当な所で足を止めて、電車が来るのを待った。遮る物のないホームは、風が冷たい。剥き出しの鼻の先から感覚が遠くなって行く。近くの自販機にコーンスープが売っているのが目に入った。


 しかし、電車はすぐ来る様だし、車内で飲む訳にもいかないと考えている内に、駅に電車が到着した。それに伴い大きな風が起こり、私は思わず目を閉じた。


 扉が開いて、降車する人が居なくなってから乗り込む。車内は学生や会社員の人が多く、席も全て埋まっており、吊革を掴むスペースも限りがあった。


 私達は電車の連結器近くを位置取った。こそこそとあまり周りに聞かれない様に話す。


「今思えば、家の中は澱んでいたけど、道自体は綺麗というか、空っぽな感じはしたんだ。あの時にはもう、本来ある筈の霊魂が全くなかったんだね」

「時計の中にもいないと仰ってましたね」

「うん。彼は最早あの家と一体化している。時計が本体だが、機能がアップデートして、別の機体とも同期出来る様になったとでも言えばいいかな。視線の位置が定まらないのも当然だった。何故なら、家全体から発せられた物なのだから。まさか、四方八方から見られているとは思わなかったな」

「僕もです。あれ、なら、一昨日に無食さんが見た靄とは何なのでしょう。可視化された呪いとかですか?」


 一昨日の夜に見た靄とは、時計から溢れ出て来た物だろう。その時は、僅かな時間ではあったが、女性の姿を取っていた。女性の話す内容は、恐らく形容し難い者の願いの根幹にある言葉と、不要な部品によって意味が変質させられた、謂わば翻訳後の言葉なのだろう。


 あの女性はさとこさんだ。過去の彼女ととても似ていた。恐らく、時計の形容し難い者にとって、最も結び付きを感じる相手なのだろう。


 時に、呪いが強く濃いあまり、目に見える事がある。だが、今回の靄はそうではないと思う。可視化される呪いに比べて効力が弱いし、靄に実際に触った私に異常が起きていない事から、あの靄自体は呪いではなく、形容し難い者の姿なのだろう。経験則だが、名前がない状態の形容し難い者は、あの様な靄であったり、液体だったり、形状が不定の者が多いのだ。


「あの靄は形容し難い者だよ」

「そうなんですね。では、部品というのは、その靄か時計の中に?時計の中なら僕もお手伝い出来る……」

「おや、こんな所でお会いするとは奇遇ですね。また、変な事件に首を突っ込んでいらっしゃるの?」


 連結部を通って、こちらの車両にやってきた真っ白な長身の女性が、私達に話し掛けて来た。


 彼女は白いパンツスーツと黒いシャツを着て、白いネクタイを締めていた。足元はロイヤルブルーのパンプスだ。顔には青い布が掛けられていて、表情が窺えない。身長は百八十はあるだろう、そこにヒールの長さがプラスされるので、私と冬野君はすっかり見下ろされている。


遊直ゆうちょくさん、お久しぶりです」

「久しぶりですね、ムジキさん、フユノさん。健康そうで何よりです。身体は資本ですから、大事に価値を高めていきましょう」


 彼女の名前は遊直。本名ではなく、渾名らしいが、未だに本名を教えてくれない。形容し難い者を捕らえて保護する、特殊生体管理部の実働部隊である特殊生体捕縛課に属している。


 特殊生体管理部には、特殊生体捕縛課、特殊生体研究課、特殊生体管理課という三つの課がある。その中でも特殊生体捕縛課は、問題を起こした形容し難い者を力で捩じ伏せ、冠水の町に引っ張って行くのが仕事だ。


 特殊生体研究課は、形容し難い者に対する研究を行い、特殊生体管理課は冠水の町を形容し難い者達と共同で管理し、基本的にはあの町を住み易くする為に働いている。


 この三つの課を纏めた特殊生体管理部は、一般人の目に見えない者を扱う故にか、世間に於いては存在しない部門として扱われているが、遊直さんを始め、人の為に働く公務員達は確かに存在している。


「電車に乗ったら、形容し難い者の匂いがするなと思い、ふらふらーと歩いていたら、アナタ方に行き当たりました。何かお抱えじゃあ、ありませんこと?」


 遊直さんは直接見なくても分かる程、ニコニコとして私に話し掛けて来た。恐らく悪意はない。この質問についても、尋問などではなく、純粋な世間話の延長線にある問いである。


「いや、君達の手を煩わせる様な事は何もないよ」

「本当ですか?」

「本当だよ」

「嘘言ってません!」


 冬野君が後ろから援護してくれた。 


 今、時計の件を話したら、絶対介入される。恐らく、改造された彼は殺されてしまうだろう。


 遊直さんは布越しに私を見ている。私は何となくニコリと笑った。それを見た冬野君も笑顔を浮かべた。

 遊直さんはそれを見て、不思議そうにしたが、直ぐにふっと息を吐いてから、私達の高さに合わせて丸めていた背を真っ直ぐに伸ばした。


「まあ、アナタ方から形容し難い者の匂いがするのは、いつもの事ですし。怪我をしない様に気を付けてくだされば。何かあったら、特捕にご連絡を」

「心配してくれてありがとう。でも、本当に大丈夫なんだ」

「なら、こちらからする事はもうありませんね。嗚呼、そうそう、お二人共、鵺には気をつける様に。彼に出会ったら、耳を貸してはなりません」

「鵺、ですか」

「バグと棘を撒き散らかす存在です。見付けたら、接触する前に教えて下さい。それでは、次に会う時までお元気で」


 そう言うと、名残惜しむ事もなく、彼女はカツカツと踵を鳴らしながら去って行った。モデルの様な体型とオーラの為に、車内が一気にランウェイにでもなったかの様に見えた。奇抜さと美しさで周囲の人も彼女から目を離せない。


「緊張しました」

「そうかい?」

「無食さんは普通に話せるんですね」

「彼女は怖い人じゃないよ」


 武士の様に凛とした雰囲気と、形容し難い者を無理矢理捕獲する事もある特殊生体捕縛課、通称特補に所属しているのもあって、彼女は冷たい人だと思われがちだが、実の所、人と話す時はいつもにこにこしてるし、優しい思いやりのある人だ。先程の質問も、私達の身に本当に危険がないかを確認する為のものだし、匂いというのは比喩だと思うが、気配を察知して確認をしに周るのも、人々の安全の為なのである。


 特補にも色々な人がいて、どうしても受け入れられない乱暴な人もいたりするが、彼女はいつも物腰も丁寧で、形容し難い者を一人の個人として接するので安心感がある。悲しい事に彼等を物の様に雑に、尊厳もなく扱う者もいるのだ。それ故に起こる不要な争いもある。


 しかし、あの夢を見た以上は、形容し難い者達に酷い事をする同じ形容し難い者もいる事を知ったので、単純に人間対形容し難い者という図にするつもりは私にはない。


 それにしても、鵺という存在は、今までに見た事がない、特異な存在だ。何かを知りたがっている様に見えるが、手段が酷過ぎる。遊直さんの、バグを撒き散らかすという言から、時計の形容し難い者以外にも、体内に何かを埋め込まれる被害に遭った者がいるのだろう。


 そうか、私は彼にたいして怒っているのだなと、気付いた。


 ホームで出会った時は、戸惑いが大きかった。初対面の人物に、彼をお前が殺したのだと突然言われたからだ。意味が分からなかった。それでも心の深い所にまでその言葉は突き刺さった。


 間に合わなかったのは事実だったから。気付かなかったのも事実だから。事実である以上、それはもう動かせないものだ。


 現在も傷は塞がっていない。


 言葉で人を傷つける事、それが彼の特性なのかも知れないが、私は言葉の真意を知りたい。既に特補も鵺の存在を知っている様だが、簡単に情報を教えてはくれないだろう。関わっていると知られれば、保護されて身動きが取れなくなる恐れもある。


 私は時計の件が解決出来たら、甘言楼に行って、鵺についての情報を集めようと決めた。

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