第 3 話 新規・継続のお客様

 事件と言うべきか、事故と言うべきか。あれから三日経過していた。


 私は事務所の椅子に座って、賀田さんから貰った地図を机に広げて眺めていた。ウェブ上の地図を印刷した物に、手書きで連絡先等が幾つか書き込まれている。訪ねたいとは思っているが、直後にその様な用件で連絡するのも躊躇われて、保留にしている。


 不意に、机の上に置いたスマホが震える。画面を見ると、うっすら見覚えのある番号から掛かってきていた。地図の隅に書いてある賀田さんの妹さんの連絡先と一致する。慌てて手に取った。


「もしもし、佐原絵里さはらえりと申します。賀田の妹です」


 相手は落ち着いた声をしていた。


「もしもし、無食透むじきとおると申します。この度はなんとも……。心よりお悔やみ申し上げます」

「いえ、そんな……。恐らく、兄はそちらの探偵事務所さんに時計の件の依頼をしたろうと思います。でも、もう調査の必要はありません。キャンセルしてください」


 人の声に似せた機械音が告げる。だが、フィルター越しでも、感情を抑えているのが分かった。


「時計の謎は解き明かさないで宜しいのですか?」

「謎も何も、母も死に、兄も死にました。呪いというなら、もう沢山です。充分呪われました。これ以上、何かを引き込みたくないのです。箱を開けたくないのです。だから、解き明かさなくていいです。短い間でしたが、兄の事、ありがとうございました」


 そこで電話は切れてしまった。酷く疲れている事が分かる低い声だった。


 私は余計にこの件に関わりたくなっていた。賀田さんの最期の言葉もあるが、この彼女の振る舞いも、妙に気にかかる。覇気がなく、低い声。


 もし時計の呪いで賀田さんが亡くなったとするなら、妹さんは次の呪いの餌食になるのだろうか。現状を把握し切れていないので判断に困るが、その可能性は低くないと思った。


 やはり、無理は承知で、時計だけでも確認した方が良いだろう。


 突然訪れる訳にも行かないし、もう一度電話を掛けようとした時に、丁度事務所の扉が開かれた。


「おかえりー」


 助手の冬野ふゆの君が帰って来たのだとばかり思ったのだが、入口に立っていたのは、制服を着た女の子だった。どこの高校の制服だろう。彼女は決まりが悪そうに、キョロキョロと周りを見渡している。


 初めて来る場所だろうから、戸惑っているのだろう。私も不意の失敗に動揺していた。


 私は「失礼しました。どうぞ、こちらへ。」と声を掛けつつ、彼女を応接間へと誘導して座らせる。と言っても、少しふかふかした椅子と机があるだけで、仕切りもないので、間とは呼べない物だ。身内だけで使う呼称である。


 椅子に座った彼女は、指を組んで、身を硬くしている。それきり身動きをしない。


「お茶とオレンジジュース、コーヒー、どれにしましょうか?」


 いつもはこういう役を助手が務めてくれていたが、お使いに出してしまったので、一人でやるしかない。自分のぎこちなさを自覚しながらも、愛想良く努める。


「お、お茶でお願いします」

「はい。少々お待ちくださいね」


 給湯室という名の、お茶コーナーへ向かう。ワンフロアだから、室とか部屋がないのだが、こちらもふざけてそう呼んだら定着してしまった。


 昔は急須で毎回淹れていたらしいが、今ではティーパックで淹れるのが当事務所の主流である。洗い物を出さない為に、カップも紙カップになった。

 電気ポットからお湯を注ぐと、ダイレクトに指に熱が伝わる。じんわりと緑色が広がっていくと、香ばしい緑茶の匂いが鼻腔を擽った。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 彼女の前にカップを置いた時に、コースターを持って来るのを忘れた事に気付いたが、慌てて取りに行く程でもあるまいとそのままにした。冬野君なら有り得ない凡ミスである。


「えっと、うちに依頼があってお越しになられた、という事ですよね」

「そうです」

「では、まず自己紹介を。無食透と申します。ここの事務所の所長をしています。一応探偵です」

「私は佐原美月さはらみずきと言います。えっと、東高に通っています。高二です」

「佐原って、もしかして」

「母は佐原絵里と言います。賀田守は私の伯父さんです。その、ここに来たのは、母の事で。もしかしたら、もう、母から依頼をキャンセルして欲しいと言われてるかもしれないんですけど」

「さっき連絡来ました」

「嗚呼、やっぱり」


 美月さんは下唇を噛んだ。黒曜石の様な透き通った目が陰ると思うと、強い光を佇ませてこちらを見た。深くまで見通される様な心地がした。


「その依頼、キャンセルするのをキャンセルしてください!」

「つまり、続行して欲しいと?」

「はい!」


 それは、渡りに船だが、どう言った訳だろう。


「お母様とはお話しましたか」

「しました。でも、聞いてくれなくって」

「こちらとしては有り難い話ですが、何故、続行して欲しいのですか?」

「それは」


 私がそう問いかけると、彼女はまた長い睫毛を伏せた。逡巡する様に、目が泳ぐ。言葉を選んでいるのかも知れない。その指を組んでは離す仕草に、私は賀田さんを思い出した。


「何だかお母さんが、あっ、えっと、母が最近変で。どうって言われると、上手く言えないんですけど」

「どう言った時にそう思うんですか?」

「祖母の家に行ってる時とか。元々、祖母が亡くなってから掃除の為に偶に行ってたんですけど、それは大体二、三週間に一回とか二回とかで。私と父は行かなくていいと言われてて。でも、最近はほぼ毎日行ってるし、なんか元気がないような、伯父さんが亡くなったばかりだから、それの影響も多少あるんですけど」

「お母様がそうなったのは、賀田さんが亡くなられる前から?」

「そうです。ここひと月位はそんな感じです。どんどん顔色が悪くなってて。おばあちゃん家から帰って来ない時もあるので、迎えに行ったりするんですけど、特に何をしてる訳でもなく、唯ぼーっと和室に座ってるんです。休んだらとか、行かなくていいんじゃないとか父も言ってるんですけど、聞かなくて」


 どうにも不穏な雲行きである。もしや、妹さんの事があったから、賀田さんがうちに来たのだろうか。


 時計の呪い、という事なのだろうか。


 賀田さんが言うには、ご実家はとても気味が悪く、居心地も悪いという話だったが、彼女は何故入り浸るのだろう。


「お母様はご実家についてなんて仰っていましたか?」

「変な音がするとかで気味が悪いと、最初の頃は言ってたのですけど、あまり気にならなくなったのか話さなくなりました」


 部屋が気味悪いと二人が感じていて、一人は自殺をし、もう一人はその部屋に入り浸る。極端な反応の差だ。


「時計については何か仰っていたり……」

「時計!そう、母は和室にある時計をずっと見ています。あれは家族の時計だから、家族一緒にいないといけないとか言ってました」

「時計におかしな点とかは?」

「ないです。普通の古い振り子時計って感じです。」


 美月さんは紙コップから緑茶を啜る。飲み込んだ後、ちょうど良い温度だったのか、もう一口飲み込んだ。


「貴方さえ許可してくださるなら、是非お宅を拝見したく思うのですが」

「全然大丈夫です。母に気づかれない様にした方がいいですよね」

「なんだかこそこそとしていて申し訳ないのですが」


 彼女は鞄から可愛いノートを取り出した。スケジュール帳なのだろう。それをパラパラと捲る。


「こっちの都合で振り回してしまっていますから、お気になさらず。そうですね、明日、明後日は難しいので、明明後日の夕方なら大丈夫そうです」

「では、その日に直接ご実家の方へ向かいます。契約の細かい所がまだしていませんが、それは一度事象を確認してからお話して契約すると言う事で」

「伯父の契約はどうなりますか?」

「伯父様とも同じ様に、現場の確認をしてから契約の話をするという風に致しました。そして、そのご実家を確認に行く最中に……。なので、本契約は結ばれていませんし、このままでは自然消滅する形になります」


 美月さんは少し迷った後、「じゃあ私が代わりに契約者になります。と言っても未成年だから、正確には父ですけど」と言った。


「祖母の家の謎を解いて、お母さんを元に戻してください。それが依頼です」

「問うなら答え、求めるなら応じましょう。それが思し召しならば」

「なんですか?それ」

「おまじないみたいな物です。昔から、仕事前にはこの言葉が必要でして。前の所長からの伝統です」

「なんかかっこいいですね」


 思いがけず褒められて、私はフリーズしかけた。怪しげに見て来られる事は何回とあったが、かっこいいと言われる事は一度もなかった。


「ありがとうございます。それでは、明明後日の夕方にお伺いします」

「はい、待ってます」


 そう言って少女は一礼して、事務所を去って行った。それと入れ替わる様に冬野君が戻って来た。


「只今戻りました!聞いてくださいよ。レジが凄く並んでて、全然動かなくて、余りにも動かないから何でかなと思ってたら、一番前の人が違うお店の商品持って来ちゃってレジが通らないとかなんとかってずっとやってて、もう困っちゃいますよね」

「冬野君」

「なんですか?」

「時計の件、進展しそう」

「やったじゃないですか」


 冬野君が買い物袋を持ったままガッツポーズをする。


 冬野君は二十歳前後と思わしき青年である。実の所、二年前に私がこの事務所の所長に就任する前から、助手として此処にいたので、私からすると先輩に当たる。


 彼がどう言う経緯でこの寂れた探偵事務所に迷い込んだかは分からないが、実に優秀な助手である。足りない備品は直ぐに補充し、私の儘ならない探偵業務の穴を指摘し、事務所は常に清潔を保ち、お茶を淹れる仕草はまるで気品に溢れている。何処かのお金持ちの家の執事にでもなれる様なポテンシャルが有り、寧ろ、そう言った職を探した方が稼ぎも良いだろうに、如何なる思惑か此処に留まり続けている。


「無食さん、ずっと気にしてましたもんね。祝進展という事で、前に頂いてたちょっと良い羊羹食べましょう。今、濃いめでお茶淹れますね」

「お願いするよ」


 見目麗しい顔立ちと上品さがありながらも、話してみると随分と庶民的で、砕けた印象になるギャップも彼の数多くある魅力の一つだ。事務所周辺のお店の底値を把握しているらしく、彼が買い出しに行く時と私が行く時とでは、同じ品々を買っても合計の値段が数百円違う事はザラである。


 手慣れた動きで用意されていくお茶セットを視界の端に置きつつ、彼を見る。ブリーチされた髪は白く、毛先に青が入っている。元々色素が薄く、色白の彼に、その奇抜な髪色はとても似合っていて、浮世離れした麗人を思わせた。遠く、手の届かない美しい世界の住人とでも言おうか。私の知る中で麗人という言葉に一番当て嵌まるのは、水花という形容し難い者なのだが、彼女が清い水と美しい花々が似合う者なら、彼は全てが混ざり形を失う黄昏時が似合う。中性的な顔立ちであるが、背は平均より少し高く、手もそれなりに大きく筋張っている。今も成長中らしく、こないだ私の背を抜いた。


「何ですか?そんなに見て」


 こちらの視線に気が付いた冬野君が、笑いながらお茶と羊羹が乗せられたおぼんを持って来る。


「いや、手際が良いので見惚れてしまっただけだよ。嗚呼、ありがとう」


 目の前に置かれると、ふわりと良い緑茶の匂いがした。


「毎日やってますから、多少は腕も上がってる筈です。さあ、召し上がれ!」


 熱々のお茶を啜る。ティーパックで統一した事で、お茶の味の平均化はされたと思うのだが、それでもやはり、彼の淹れた物の方が何故だか美味しく感じる。


「美味い!」

「やった!」

「冬野君も座って、お飲みよ。うーん、しかし、茶葉の量もお湯の量も同じ筈なのに、どうして私の淹れた物と違いが出るのだろう」

「愛ですよ、無食さん。隠し味は愛情です」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿に出来ませんよ。あ、やっぱり高価な羊羹は美味しいですね。甘みにキツさがないです」


 もぐもぐと美味しそうに羊羹を頬張る助手を横目に、私も一口サイズに切り分けた羊羹を口に入れる。そして、彼が嬉しそうにしている意味を真に理解した。


「嗚呼、これは美味しい物だ」





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