第二話

プロローグ

「ですから、何度申し上げればよろしいのですか!」


 こめかみに青筋を浮かべた女官長に叱責されて、シャーロットはうへっと首をすくめた。

 紆余曲折あり、アレックスと婚約させられておよそ半年。

 その間、里帰りでパメーラ伯爵家へ帰ることは許されたが、基本的にシャーロットの生活拠点はルセローナ城になった。というのも――


「教養は素晴らしいのに、センスと社交性が致命的なんて……、いいですか! 殿下との結婚までにせめて人並みの社交性とセンスを身に着けて頂きますからね! 聞いていらっしゃいますか!」


 という具合にみっちりとある意味特殊な「王妃教育」がなされることになったからだ。

 アレックス曰く、第五妃の一件などを口外しないようにという監視の意味合いで婚約させられたシャーロットは、最初はそれはそれはちやほやされた。なぜならアレックスがひどすぎたので、賢い嫁候補が来たと、至れり尽くせりの日々が続いていたのである。

 王妃教育でつけられた教師たちもみなシャーロットを絶賛し、三か月がすぎるころには取り立てて教えることはもうないとまで言わしめた、のだが。

 第五妃の一件により、しばらく控えられていた妃たちでのお茶会で、シャーロットの致命的な欠陥が露呈したのである。


 息子の嫁が来たと喜んだアレックスの生みの母である第三妃の開いたお茶会で、シャーロットはいろいろやらかした。

 普段、シャーロットのドレス選びから化粧に至るまでは侍女たちにゆだねていたのだが、身に着けるものが変わったからと言って彼女自身のセンスが変わるわけではない。

 シャーロットはお茶会に出席していた令嬢やご婦人方に向かって、やれ「カムチャル蝶の幼虫をつぶした時の染料で染めたドレスですね」だの、「蝙蝠が休んでいるときのような形のドレスでかわいいです」だの、令嬢の化粧を見ては「玉虫蛙みたいでちかちかしますね」だの言ってのけてその場にいる全員を凍りつかせた。


 シャーロットの弁解をするならば、彼女には決して悪意があったわけでない。シャーロットは「カムチャル蝶の幼虫をつぶした時の染料で染めたドレス」も「蝙蝠のような形のドレス」も「玉虫蛙のような化粧」も「かわいい」と感じたからそのままを口にしたまでだ。褒めたつもりなのである。

 けれども令嬢たちは顔を真っ赤に染めて怒ってしまった。第三妃がとりなしていなければ大変なことになっただろう。


 お茶会が終了したあとで、シャーロットの性格を多少は知っている第三妃は、面白かったと言って笑ったが、さすがにこれを是とはしなかった。このままだとシャーロットが困るのは目に見えているからだ。

 そこで第三妃は、昔から世話になっている女官長をシャーロットの教育係とすることにしたのである。それが、シャーロットの苦行のはじまりだった。


「あなたの正直なところは美徳かもしれませんが、何事も限度というものがあるのです! 何でもかんでも思ったことを口にしてどうするんですか! 蛙に比喩されて喜ぶ令嬢がどこにいます! それから、あなたの言うところの玉虫蛙はちっともかわいくありません!」

「え、そうですか? 確かに体に毒は持っていますが、光が当たる角度によって色を変える面白い蛙じゃないですか。紫の目元なんて、まるで貴婦人の目元――」

「そんなわけないでしょう! 第一、好きな色のドレスを持ってきてくださいとお願いして、どうしてそんな枯草色のドレスを持ってくるんですかっ」

「……蝶の蛹みたいで可愛くないですか?」

「だからどうして例えるものが虫や爬虫類なんです!」

「……かわいいのに」


 シャーロットがぼそりと言えば、途端に女官長にキッと睨まれた。


「今王都で流行しているドレスのデザインは何ですか? 色は?」

「ええっと……」

「髪型は?」

「うーんと……」

「少なくともあなたのお好きな詰襟の枯草色ではないことはご存じですね!」

「はい……」


 女官長の剣幕に、シャーロットがしょんぼりとうつむいたその時だった。

 遠慮のない笑い声が響き渡って、シャーロットは顔を上げた。

 暇さえあればシャーロットの部屋に来る第三王子アレックスが、読んでいた本に顔をうずめるようにして笑っている。

 シャーロットはむっとして、アレックスの手から本を奪い取った。


「何がそんなにおかしいのよ!」

「なんでって、そりゃぁ……、ぷくくっ、蛹……」


 どうやらシャーロットが女官長に怒られているのが面白いらしい。シャーロットはむかむかしたが、木の棒は女官長に見つかって没収されてしまっているから、アレックスを殴るものがない。手に持っている本で殴ると本が傷みそうなので、シャーロットは、武器としての効果は少ないがソファにあったクッションをつかんでアレックスの顔面に投げつけた。


「この筋肉バカのアホ王子――!」

「ぶっ」


 クッションが顔面にクリーンヒットしたアレックスは、けれどもまだ笑うのをやめないらしく、肩を揺らしている。

 シャーロットがほかに武器になりそうなものはないかと部屋を見渡したとき、ぴくぴくと眉を震わせた女官長が声を張り上げた。


「いい加減になさい、はしたない! 殿下も、教養はシャーロット様のおかげで身についたようですが、次期国王として学んでいただくことは山のようにあるのですよ! 今までのように遊んでばかりいられませんから、そのおつもりで!」


 アレックスの教養は彼の乳母の教育によって身についたものであるが、表向きはシャーロットがすべて教えたことになっている。

 暇さえあれば筋トレばかりして「遊んでいた」王子は、げっと顔をしかめて視線をそらしたのだった。

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