ちに繕う野花 十八
『雪芒』。
人々がとても大切にしていたはずなのに薄らとしか覚えていない、または完全に忘れてしまった風景を思い起こさせ、さらにその風景の一部を依頼人の白扇に映し出す事ができる、その能力そのものの、また、それを使える技巧集団の、さらに国に登用されている管理部署の名称である。
『雪芒』の成功手順。
依頼主の身の内に意識を飛ばすと、強引に引きずり込まれる。
その速度に耐えられず、身体は四分五裂に引き千切られる。
引き寄せるか、新たに構築するか。どちらかを選び、身体を形作ったのち、誘惑や痛みをもたらす常闇に包まれるその空間を、白扇を粋に鳴らして広げて、一振り。白の光で照らして常闇を退かせて、無数現れる扉の中から、必要な一枚を見つけ出して開ける。
必要な扉は灰色に染められている。開ける為の鍵は、光で照らした瞬間に眼前に現れる。退けたはずだが急速に忍び寄る常闇に追いつかれる前に、扉の鍵穴へと差して鍵を回し、扉の中へ飛び込む。
すれば、各々が忘れている景色が眼前に広がる。
一度、『雪芒』を失敗した。
恐怖を抱いたからだ。
依頼主の身の内に取り込まれてしまうのではないかという恐怖。このまま、依頼主の身の内から出られず、己の身体に戻れないかもしれない恐怖。依頼主の身の内に己の意識を取り込ませてしまうかもしれない恐怖。
己という欠落生物の剥き出しの意識を取り込まされて、徐々に、もしくは、急速に、依頼主を蝕んでいくかもしれない恐怖。依頼主を死へと誘ってしまうかもしれない恐怖。
そうだ。恐怖を抱いていたのは、己が消滅する事ではない。
己を取り込ませる事で、依頼主を消滅させてしまうかもしれない事が。それがひどく、
怖かったのだ。
己の依り代となる蒸しぱんを見つけ、『雪芒』の修行場の主に後押しされて、
ただ、その時点で、自信は消滅してしまったようだ。
瞬く間に己を形成するすべてが恐怖に蝕まれる。
ちっぽけなちっぽけな自信だったのだ。依頼を受けると言えただけで消滅するのは当然だったともいえる。
ゆえに、蒸しぱんと恐怖ただその二つだけを身に宿して、『雪芒』を成功させなければならなかった。
依頼を受けると言ってしまったのだ。失敗はもう、できない。失敗したとしても、加治はまたやり直す機会をくれるだろう。そうと分かっていても、そうと分かっているからこそ、失敗はできなかった。
結果として、蒸しぱんと恐怖だけしか持っていなくてよかったように思える。
自信なんてものを持って意識の中に入っていたら、傲慢な考えが発生し、失敗に繋がったのかもしれないのだから。
ただ、と、
加治の身の内に意識を飛ばし、強引に引きずり込まれ、その速度に耐えられず、身体は四分五裂に引き千切られる時。
この散り散りに散らばってしまった己を一つ残らず集めなければならないという事に全集中を注ぎ、死に物狂いで集め、その後の『雪芒』の過程をほとんど覚えておらず、気が付けば、意識が自分の身体に戻っていて、気が付けば、『雪芒』が成功していた。
成功したからいいというものではないように思う。
蒸しぱんを形成する事も、白扇を鳴らしては広げて一振りして暗闇を退かせる事も、光に満ちた空間で無数の扉を出現させる事も、灰色の扉を見つける事も、鍵を扉の鍵穴に差す事も、扉の中へ入る事も、景色を見る事も。それらいくつもの過程をまったく、これっぽっちも覚えていないのだ。
成功したからいいというものではないように思う。
疲労によって襲いかかる睡魔でぼんやりとする意識の中、氷月に迷いが生じてしまった。
(2024.10.28)
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