夕暮れ時のソイツ
勝哉 道花
1
夕暮れ時。
『ソイツ』は現れる。
ソイツの正体は誰も知らない。
名前も姿形も、どんなものか知る者はいない。男か女かだってわからない。
そもそもソイツに姿形はあるのか。実際に出会った事がある筈の僕でさえ、わからない、と答える以外にない。
それでもソイツについて一つわかることがある。
ソイツは、こちらの後をついていくる。
こちらが歩けば歩いて、走れば走って、こちらの後を追いかけてくる。
誰もいない、日が落ちかけた路地。
そこを一人で歩いていると、ふと足元の影が増えていることに気づく。けど、周囲を見渡してもそこには誰もいない。
影は自分の歩み方に合わせて、同じ歩み方で追いかけて来る。怖くなって速度を上げれば、影の速度も上がる。気がつけば、二つの影の距離は短くなっており、自分の影にソイツの影が迫ってきている。
追いつかれたら、どうなるかはわからない。異空間に連れて行かれる、という話もあるし、自分の影が二つに増えてしまう、だなんて噂もある。
なかでも一番噂されているのは、『交換させられる』という噂だ。捕まったら最後、ソイツと自分の立ち位置が入れ替わる。
今まで自分が生活してきた居場所がソイツに奪われ、代わりに自分がソイツになる。そうして、ずっと誰かと入れ替わる時が来るまで、誰かのあとを追いかける羽目になるのだという。
どうしてそんな噂が流れ始めたのかはわからない。
いつの間にか流行っていた、というのが正しい。
今にして思えば大人達が流したものだったのかもしれない。夕暮れ時になると暗くなる街中。帰り時を知らせる鐘が鳴っても帰らない子供達。そういう子供達に注意を促す為に流したんじゃないかと思う。
しかしなんであれ、そんなこと当時の僕にはどうでもよいことだった。
なぜなら、その時の僕は、そんなことを気にしてる余裕などなかったから。
当時、小学四年生。
僕はクラスの奴等にイジメられていた。
理由は単純明快で、僕が誰よりもトロい奴だったから。頭も悪く、ついでに足も遅い。皆がわかる問題を僕一人が解けないし、会話に入ろうにも喋りが遅すぎて、皆についていけない。僕はクラスの中で、一番鈍重な生き物だった。
教科書やノートは、引き出しにいれてるのにボロボロにされた。上履きや外履きがなくなるのはいつもの事。体操服が水浸しだったこともある。僕には物を借りられる友達もいなかったので、次の体育ではその濡れた体操服を着るしかなかった。先生には怒られ、水浸しのまま校庭を十週近く走らされた。足の遅い僕はどんどん皆と週に差が付き、最後の一人になっても走り続ける羽目になる。翌日風邪をひかなかった事だけが幸運だった。
だからきっと、あの日もその延長だったのだと思う。
とある秋の日。放課後、トイレに行っていた数分の出来事だった。
教室に戻って来た僕は自分の荷物がなくなっている事に気がついた。机の上、教科書やノート、全てを詰め込んで置いておいた筈のランドセルが、どこにもなくなっていた。
慌ててランドセル置き場である、教室後ろの戸棚も確認したものの、ランドセルはなかった。
そんな僕の様子を数人の男子達がニヤニヤと笑ってきた。僕をいじめる奴等はクラスに何人もいたが、その数人は誰よりもよく絡んでくる奴等だった。
「トロ虫くん。お前の荷物なら、俺らが外に運んでおいてやったぜ」
『トロ虫くん』とは、当時の僕のあだ名だった。
僕がトロい事と、少し前までにクラスで飼っていたアゲハ蝶の幼虫を掛け合わせて作られたあだ名だ。僕のトロさが、幼虫の動き並みにトロいから、というのが理由だった。
ちなみにその幼虫は蝶にならずに亡くなっている。僕をトロ虫と呼ぶ彼らが、顔を洗ってやるといって水に無理やりつけて亡くなった。でも、それを知っているのは僕だけ。クラスの皆は、不幸な事故で亡くなってしまったと思っている。僕が知っているのは、彼らに言われて僕がそれを行ったからに過ぎない。
お前トロいからな。俺らに感謝しろよ、と彼らが教室を出て行く。
彼らがいなくなった後、ドアの向こうに見えた窓が開いてる事に気がついた。慌てて廊下に出て、その窓から顔を出す。
一本の川があった。
と言ってもそれはとてもお粗末な川で、周囲をコンクリート壁に囲まれた、町中の汚い生活用水が流れていくようなそんな真っ黒に汚れた川。
その中に、僕の黒いランドセルが、色とりどりの中身をぶちまけながら浮かんでいた。
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