ティラミス・インポッシブル④

 小さくなっていくパラシュートを呆然と眺めていると、目をこすりながらメルバが起きてきた。変な寝癖がついていたが、全身黒いスポーツウェア姿だった。

「忍者?」

「ご挨拶だな」まんざらでもなさそうだ。「ふたりとも夜中にどうしたの」

 ハニーとチョコレートミントが怒られる覚悟を決めてすべてを話すと、彼はこともなげに言った。

「ああ、大丈夫。盗られたボトル、あれはダミーだよ」

「え?」

「中にはポピーお手製のコーヒーゼリーが入ってる。盗まれなかったら明日食べようと思ってたのにな」

 ふたりは脱力した。

「よかったあ」

「てっきりこのあいだ捕まえたビターかと」

「あれはもう……」メルバは言葉を切った。「ま、とにかく無事だよ」

「なんでボスはあいつらが今日盗みに来るってわかったの?」

「予告状が来てたから。早めに気づいてよかったよ」

「言ってくれたら残ったのに」

「だってパーティーがあったんでしょ? もう終わったの?」メルバはじろじろとふたりを観察した。「酔ってないね」

 ミントが苦虫を嚙みつぶしたような顔になる。「いろいろあって」

「ちょっと待て、ボス?」ハニーはミントの話をさえぎった。「あいつらが来るのに気づいてた? なのにみすみす入れたのか?」

「それなんだよ」メルバの眉尻が下がる。起きていて自分で確認しようとしていたらしいが、睡魔に負けて寝てしまったようだ。「ゼリーは念のためで、ここ、セキュリティはばっちりのはずなんだけど。警報鳴らなかったよね? 切られたかな」

「窓ガラスはあの通り」ミントがティラミスの侵入口を指さす。

「別室で警備の人に何人か待機してもらってるんだけど、どうしたんだろう」

「く、薬で眠らされてる」と謎の声がスピーカーで言った。「あと、監視カメラの映像も差し替えられています。それに気づいたから、あ、あんたらふたりを呼んだんだ」

 変な奴らだったが、怪盗を名乗るだけはある手際だ。

 残る謎は、警告してきた人物の正体だけだった。

「キアヌ、自己紹介くらいしたら?」

 メルバにそう促されると、謎の声は急に挙動不審になった。「あ、う、その、すみません、緊急事態だったので、い、一刻を争うから……だいたいそっちの名前もちゃんと聞いてないし……お互い様……」

 メルバが大きなため息をつくと、ひゅっと息を飲む音のあと、相手は怒涛の自己紹介を始めた。

「キ、キ、キアヌ・カーター、です。メルバ宇宙生物学研究所の夜間オペレーター、兼、銃整備士ガンスミス

「銃整備士?」ハニーは思わず声をあげた。

「な、なんだよ」

「定期的に新しいメルターが届くけど、あんたが作ってくれていたのか。いつもありがとう」

 キアヌが黙ってしまったので場に沈黙が下りた。

「あとさっきも、音響手榴弾が飛んできたとき、Qフォンのノイズキャンセリングを最大にしてくれたよな。あれ助かった」

 無言のままだ。メルバがつないだ。

「彼は、いろいろあって昼間は働けないんだ。住んでるところからも動けない。それで夜に仕事してもらってる。メルターは彼に発注してるんだ。砂糖弾の製造も彼だよ。……キアヌ?」

 スピーカーから嗚咽が聞こえてきていた。

「あ、うう……そ、そんな……ありがとうなんて……は、はじめて言われた! こ、こ、この一年、チョコレートミントは一回だって気づいたことないのに!」

「や」ミントが心なしか動揺している。「きれいになってるなぁとは思ってたよ? 壊れたのも直ってたし」

「メルターと弾がなきゃ、おれたちはビターと戦えないんだから……」ハニーがミントをたしなめる間にキアヌのむせび泣く声がいっそうひどくなった。「感謝しないと」

「わ、わかってるよぉ。ごめんなさい」

「もういいよ。おれも目立たないようにしてたし」鼻をすすりながらキアヌが言った。「あ、あんたも素直だ。まぶしい」

「ど、どうも」

「おれ、頑張って銃作る。じゃ、作業に戻ります」

「お疲れさま。よろしくね」

 チョコレートミントがメルバに訊いた。「作業って?」

「銃作りのほかに、夜間のモニター監視を彼にまかせてるんだ。夜にビターはあんまり出ないけど、出たときはぼくとミントに連絡する手はずになっている」

 へえ、とハニーとミントが声をもらし、互いを「知らないの?」という顔で見た。やれやれとメルバが肩を落とす。「今度、訓練でもやってみようか」

「今の、キアヌだっけ、どこにいるの? なんで動けないの?」

 メルバの目が泳ぐ。

「ボス?」

「えーと……」

「は、話していいです」突然キアヌの音声が戻ってきたので全員が驚いた。「別に、秘密じゃない。……じゃ、今度こそ落ちます」

 メルバは目をしばたいた。「まあ、でも……この話込み入ってるから明日にしよう。ぼくは警備の人たちを起こしてくる。きみたちは泊まってく? どっちみちシャワーは浴びてきなよ。ひどい有様だよ、なんか川みたいな匂いするし」



 ログアウトしたキアヌは、ヘッドセットを外してデスクに置いた。ふう、と息をついて右肩を揉む。初めて会う相手としゃべるのは、とても緊張する。

 ――メルバに近づいてきた大人というから、どんな野郎かと思っていたが。ああいう感じなんだ。ちょっと怖かったけど。

 消耗が前提のメルターを大事に使ってくれているのはわかっていた。銃を見ればすぐわかる。自分でメンテナンスもしてくれているようだ。ミントのS&Wはちょっと雑に扱われているけれど、子供が自分の自転車を扱うような雑さだ。問題はない。

 チョコレートミントも、ハニーマスタードも、悪いやつではなさそうだ。でももし、仮に、メルバを裏切るようなことがあれば――どんな手を使ってでも、思い知らせてやるんだ。

「S10999」ドアがノックされた。「大丈夫か?」

 泣き声が止んだので声をかけてきたのだろう。「へ、平気です、看守さん」とキアヌは返した。夜はまだ長い。涙の残りを拭き、キアヌはモニターを切り替えた。



「受刑者?」チョコレートミントは応接セットのソファの上から聞き返した。

「そう。メルベイユ警備保障の民間刑務所……にある少年拘禁施設にいるんだよね。まだ十五歳だから」

 ハニーはビルの外でガラス窓の交換作業をしている業者から目を離した。「なにやったんですか」

「ギャングに武器を提供した罪」メルバは朝の紅茶のおかわりをしながら説明した。「彼の地元は武闘派ギャングの縄張りで、キアヌは昔から3Dプリンター銃を作らされてたんだよね。去年、そこのギャングが一斉摘発されたときにキアヌも捕まったんだけど、脅されてやってたってことで減刑されたんだ。と言っても、あと一年くらいはお勤めしなきゃいけない。キアヌの作るプリント銃は高性能で、悪党界隈では有名だったんだ。それで、他のタチが悪い連中より先に声かけて、刑務作業としてうちの仕事をやってもらってるってわけ。あと、夜しか働けないのは体質だよ」

「大丈夫なのかそれ」

 メルバの視線がまた明後日の方へさまよっていく。「表向きは、ぼくの趣味のモデルガンを作ってるってことになってる」

「アウトなやつでは」

「ボスもギャングといっしょじゃん」

「ひどいこと言うなあ! ぼくはちゃんと対価を払ってる。出所後の就職も世話してあげる約束だし。あとね、悪いけどきみたちももう同じ穴のムジナだよ。メルターを使ってるんだから」

「知らなかったもん、あたしが捕まったらボスに言われて仕方なくって言うからね」

「いずれ人間を襲う宇宙生物に対する法律が整備される」メルバは頭をいすの背もたれに預けた。「それまでの辛抱だ。メルターの有効性が認められれば、大手を振って持ち歩けるようになるさ。もし今、現行犯で捕まっても正当防衛で戦う」

「対ビター専用武器として常時携帯してるのをどう言い訳するんです?」

「じゃあ、ぼくたちはモデルガンに砂糖を詰めて遊ぶ趣味のある人間のサークルということにする。メルベイユの最強弁護士軍団を付けてもらうから安心して」

「ミントちゃん、死んでも捕まりたくないなあ」

 Qフォンが鳴った。着信を確認したハニーが言った。「マジか」

「どうしたの?」

「昨日の変なのの実績がすごい」ハニーはファッジから届いたティラミスの資料を読み上げた。「フライホールディングス、グラッセ証券のインサイダー情報、エイミス技研、ラッテゲームス、TCS株式会社の特許情報、フェイジョア航空、NYCCタイムスの機密ファイル、上院議員の不祥事の証拠、行方不明だったフェルメールの絵、等々の奪取、だと」

 チョコレートミントはメルバから下賜されたハロウィーンのお菓子を開けた。「大企業ばっかりじゃん。よくうち狙われたねえ」

「弱小研究所で悪かったな」メルバが小言を飛ばした。「その被害者リストに名を連ねるよりよっぽどましだけどさ」

 殺し屋番付百九十七位という数字を見ながら、ハニーは喉の奥からあいまいな音を出した。今後、用心棒として、多様な殺し屋に対応できることがより重要になってくる、のか? これ以上トンチキな殺し屋が出てこないのを願うばかりだ。

「本当に、ポピーのゼリーさまさまだよ」

「防衛成功してよかったね!」

「あれはおれの成功ってことになるのか?」

「あ、そっか、防衛したのはポピーさんてことになる?」ミントは蛍光ピンク色のチョコレートを口に放り込んだ。「あとでアーモンドファッジに訊いてみなよ」

「そうする」ハニーはくしゃみした。

「えっ? お大事にブレスユー!」メルバが言った。「どうした? 風邪か?」

「まさか」

 ピンピンしているミントを横目に捉えながら、もう一度くしゃみした。



(おわり)

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