疑いの報酬⑤

 ビター発見システムの大画面を利用して、監視カメラの映像の検証が行われた。会議室の廊下から男子トイレにメルバが入り、後からギモーヴ教授が入る。出てきたのはひとりだけで、清掃員の恰好でカートを押していたが、先ほどまでギモーヴ教授だったはずの男だった。カートはゴミ袋が満載だった。従業員用の出入り口に消える。

「ダストシュートを使ったのか」グリーンが映像を総括する。

 メルバ――シーツにくるまれた大きなかたまり――がダストシュートに投げ入れられる瞬間は映っていなかったが、グレイヴィーズ保険の職員が画面を操作すると、ゴミ収集車が地下の出入り口から出ていくところの映像が出た。

「ナンバープレートは盗まれたものでした。今確認中ですが、車もそうでしょう」

 一般道の監視カメラ映像が流れ出す。ハニーはメルベイユ警備保障とメルバのつながりにやっとぴんときた。ここで見られる映像は、みなメルベイユの管理する監視カメラのものなのだ。

 収集車が信号の下を通るところで、ホワイトが映像を止めさせた。運転手の顔がクローズアップされる。「この人物。顔認証システムで指名手配者リストと照合してみた」

 動画が、華奢な男を正面から映した画像に切り替わる。

「ゾーイ・ラムレイ。名前はゾーイだけど男よ。二十九歳。傷害の前科がある。二年前ニュージャージー州で男女のカップルが殺された事件で逮捕されたけど、不起訴になった。ほかにもこいつがやったと思われる傷害と殺人事件が四件ほどある」

 ゾーイは口だけで薄くほほえんでおり、それがどことなくアンバランスで、不気味な印象を見た者に強く残した。

 ハニーはQフォンからファッジに“ゾーイ・ラムレイ”とひと言書いたメッセージを送った。三分後、“おれは検索エンジンじゃないんだが?”という一文とともに殺し屋番付の該当ページのアドレスが届く。殺し屋ラムレーズン、番付三十九位、機密獲得の――拷問のスペシャリスト。

 つまり、だれかがゾーイを使って、メルバからなにかを聞き出そうとしている。となると、身代金を要求してくる可能性は低そうだ。添付された新聞記事のファイルを見てハニーは背筋が寒くなる。メルバが危ない。一刻も早く助けなければならない。

 誘拐保険チームのざわめきに、ハニーは顔を上げた。スクリーンは動画の一時停止画面だった。移動中の一幕か、車から出ようとするギモーヴ教授とメルバが映っている。

 どうしたんだ、とハニーは訊いた。

「どうやって坊ちゃんが誘拐されたかわかった」グリーンがささやき返した。「自分から着いていったんだ」

 たしかに、画像のメルバは拘束されていなかった。



「やめろ! その子は関係ないだろ!」

「ん? やめてほしいの?」

 くすくすと笑いながら、ゾーイは手の中のビニール袋を軽く揺すった。カシャカシャと音がする。割れたガラスのかけらがたくさん入っていた。ゾーイはうやうやしくひざまずき、少女の素足を取ると、袋の中に差し入れた。

 悲鳴をあげ、少女は弱々しく身をよじった。左足がみるみる血だらけになる。メルバは思わず耳をふさごうとして、縛られた手ではできないことに愕然とした。「やめろ……なにが望みなんだ? ぼくはなにをすればいい!」

「きみはいい子だね」ゾーイはほほえむと、彼女の足を袋から抜き出した。「きみと関係のない、かわいそうな女の子の姿を見なくて済む方法がひとつだけあるよ。マンハッタン工科大学のシトロン・ウィークエンド教授について話してくれ」

 ――それだけ? 

 メルバの拍子抜けしたような顔を見て、ゾーイはまた笑った。「ふふ、なんだと思ったんだい? ま、あの変な生物の話を聞いてもいいけどさ、ぼくはあんまり興味ないしね。でも、いい? 『それだけ?』って顔してるけどさ、きみ、教授についてすべてしゃべってもらうからね。すべてだ。つまりもちろん、教授の死の真相についてもだよ。ん、顔色が変わったね。やっぱり知ってるね、きみ」にやけ顔がどんどん近づいてくる。まつ毛が触れそうなほどに近い。「なんで教授はいなくなったのかな? 最初から説明してよ。言っておくけれど、うそをついたらすぐにわかる。そのときは、またシンデレラにガラスの靴を試してもらうから」

 わかった、とメルバは言った。

「ん」ゾーイは体を起こし、メルバの手の拘束を外すと、何かを取りに行ったのか、少女の乗ったいすを放置してとなりの部屋へ消えた。

 メルバは自分のいすを引きずり、少女のそばへ行った。少女のいすは近代的な黒いメッシュのデスクチェアで、ひじ置きに両手がテープで固定されている。メルバが座っているのは四角い座面のダイニングチェアだが、やけに重く、足がつながれているかぎり逃げることは難しそうだ。

「ごめんね……!」メルバは手を伸ばして彼女の目隠しを取った。「ぼくのせいで……」

「あなたが悪いんじゃないわ」数回まばたきし、目にかかる髪を振り払うと、少女は疲れた声で言った。「悪いのはあの外道なんだから。あの……わたしはアリス。あなたは?」

 メルバは小さく息を飲んだが、すぐに言った。「ぼくはパーシー」

「何歳? 十四? ふうん。わたしのほうが年上ね」少女はほほえんだ。「あなた、前にニュースに出てたよね? もう大学を卒業したんでしょ? すごいなぁ」

 それには答えず、メルバは目隠しだったタオルをアリスの足に巻いて縛った。タオルに赤い染みがにじんでくる。

「それで、どうなの?」アリスがおずおずと訊いた。「あいつが言ってたこと……」

「正直、あいつが何を知りたいのか、よくわからないけど。話してあげるしかないしね。きみは知ってる? ビター・バグって呼ばれてる生き物のこと。ぼくはウィークエンド教授と一緒に、そいつを研究してたんだ」



 ハニーが給湯室をのぞくと、ポピーシードは冷蔵庫を開けて中のものを取り出しているところだった。食パン、ハム、レタスを順に置いていく。

「ポピーさん」

「夜食を作ろうと思って。長丁場になるかもしれないし、今のうちにみなさんに腹ごしらえしてもらったほうがいいかと」

「あなただって疲れているでしょう。デリバリーを頼みましょう」

「ありがとう。でも、なにかしていたほうが落ち着くの」

 ポピーの手つきはしっかりしていたが、ハニーは戸口にとどまることにした。捜索の経過を訊かれたので、動画に映っていたメルバの様子と、あまり伝えたくはなかったが殺し屋ラムレーズンについても教える。彼女の表情は見えなかったが、レタスの水を切る手は止まることはなかった。

「誘拐保険に入っていて正解でしたね。前にもこういうことが?」

「いいえ。でも独立するとき、ジョージ様……所長のお父様が、万一の事態に備えておいた方がいいと、専門チームをつけてくれたんです。それが彼ら」

「父親に連絡は?」

「してあるけど、彼ができることはすでにないわね。専門家が動いていて、お金の支度もすぐできる。彼自身は今ビジネスで地球の反対側にいることだし」

「要求があれば、身代金を払うつもりですか?」

「ホワイトさんがそうしたほうがいいと言えばね」

 要は、グレイヴィーズ保険とは、金に糸目をつけずにメルバを取り戻すための組織なのだ。警察は誘拐犯に身代金を払わない。その金が組織犯罪の資金源になるかもしれないからだ。

 ハムの端をつまんで重ねながら、ポピーは小さく首をかしげた。「やっぱり、お金目当てなのかしらね? どう思います?」

「ずいぶんと危ない橋を渡るな、とは思います。ボスは、金目当てにちょっかいを出すには危なすぎる人です。事実、まだ身代金要求も来てない」

「まあ、そうね。もし私が誘拐犯だったら、もっと無防備そうな子を選ぶわね」

 実行犯にラムレーズンがいるのも、彼の技能がいるからだ。つまり、誘拐犯は他ならぬパーシー・メルバをさらい、なにかを訊く必要がある人物ということになる。

「そういう人、いるのかもしれないけれど……わたしには具体的な心当たりがないわ。しかも、顔見知りの可能性もあるんでしょう? うーん……自分をさらおうとしてる人についていくなんて、いったいどうして……」

「あの」ハニーは言った。「ボスは普段から、あなたに黙ってどこかへ行ってしまうような子なんですか?」

「……いいえ、そんなことは、これまでだって一度も」ポピーシードははたと振り向いた。「そうよ……もしかして、メッセージを残しているかもしれない!」

「現場を探してきます。ここを離れてもいいですか?」

「ええ、頼むわね」ポピーは作りかけのサンドイッチに目を落としため息をついた。「バターを塗り忘れたわ。やっぱりなにか頼んだほうがよさそう」

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