第8話 NYCCAI紀行
NYCCAI紀行①
「肩の力を抜け。指先をやわらかく。よし、構えろ。引き金に指をかけるのは照準を合わせてからだ。もうちょっと軽く握れ。そんなに力をこめなくていい。そう。顔が引けてるぞ、頭と肩は前に押し出す感じで。リラックス! よし、じゃあ、引き金に指をかけて……」
立て続けに銃声がこだました。
「まだ撃てって言ってないぞ」
「ぜんぜん当たんない」チョコレートミントはむくれて銃を下ろした。「もうやだ」
「まだはじめたばっかりだろ」
三十丁目の射撃場、一番奥のブースにふたりは陣取っていた。黒い人型の的にはてんでんばらばらに穴が開いていた。大部分が中心から大きくはずれている。チョコレートミントがまともに射撃の手ほどきを受けたことがないのは明白で、ハニーは今まで流れ弾の餌食にならなかった幸運に感謝した。
「なんかあたし、才能ないっぽいし」
「銃の扱いを教えてくれって言ったのはおまえだろ」
「そうだけど……」
指に髪を絡ませている目の前のチョコレートミントと、足手まといにならないように少しは戦う手段を覚えたいとしおらしく頼んできた先日のチョコレートミントがうまく重ならず、ハニーは内心で首を大きくかしげた。
「たぶんおまえは」もう一度構えるようにうながす。「慣れてないだけだ。おっかなびっくり撃つのをやめろ。撃つときは迷うな。それには練習しかない」
「そうは言ったって……あたし、女だし、ハニーが言うようには、いかないかも」
「なに言ってんだ、銃ほど平等な武器はない。女が撃っても男が撃っても子供が撃っても年寄りが撃っても、同じ一発だ。銃を持つ以上、自分の非力さは忘れろ」
納得しがたい様子で「うん……」と言ったミントの手から拳銃を取り上げ、新しい弾倉を入れ、スライドを引き、構えた。撃った弾は、最初の一発が少しぶれたほかはすべて的のど真ん中に命中した。
ミントは目を細めて的をながめた。「よく当たるなあ。気持ち悪いくらい」
「どうも」銃に問題がないことを確認して返す。「ほら」
チョコレートミントがぐずぐずしはじめる。「なんか、すぐできるコツとかないの。軍隊式の」
「あるぞ。毎日の練習。ここはいい射撃場だな。家からも職場からも近い」
「毎日やるの?」
「まだ時間あるな」ハニーは隣のブースに入って自分も銃を手に取った。「時間いっぱい撃っていこう」
「手が痛いよ」
「握力も鍛えたほうがいいな」
「そういえばさ」弾倉に弾薬を込めながらミントが言った。「ウォーターハウスさんたちにマスタードさんを直してもらうことはできないの? ていうか、あの人たちはハニーの目的のことは知ってるの?」
「リコとマシューはあくまで義肢の専門家だし、彼らは知らない」
「なんで?」
「一度話してはいるんだが」ハニーは弾倉をセットした。「彼らは、おれに人間の親友がいて、そいつからアンドロイドを譲り受けた、と思ってる。その部品を再利用していると」
「ひとり増えてるね。訂正しないの?」
「今さら言ってもな。義足の話をするのに支障はない」
「まあそうだけど」
むしろ理解しているのはおまえくらいだと、ハニーは言わなかった。代わりにたずねた。「どうしてそこまで気にしてくれるんだ?」
「えー、別に、なんとなくだよ。ミントちゃんは困っている人の味方なのです」
はぐらかされたような、チョコレートミントの気性に基づくきまぐれな返事なのか判断がつきかねる。とにかく、と腕を上げる。その親切には仕事で応えたい。もちろんチョコレートミントがある程度自衛できるのに越したことはないし、射撃の技術が上がればビター捕獲も効率的になるはずだ。だがそれ以上に、自分がもっと強くならなければ。
フレジエは殺し屋番付総合十位で、ハニーマスタードは今朝の時点で二百七十五位だ。最低でもあのレベルを軽く撃退できるようになるために、順位というわかりやすい指標がある。
もう一度狙いをつける。
「ひとつ言っとくけどな、世界最高のスナイパーのひとりは女だ」
「ほんと?」
「伝記映画になってる。今度見せてやる」
「わあ、参考になりそう」チョコレートミントもしぶしぶ銃口を上げた。
ウォーターハウス義肢製作所への小旅行から戻ったあと、変わったことがある。研究所への入り方だ。チョコレートミントに続き、ハニーにもIDが発行されたので、これまでのようにいちいち中からポピーシードを呼び出したり、ミントの後ろからすばやくドアを通り抜けなくてもいい。どうやらハニーは正式に登用されたらしい。「かん違いするなよ。もっといいボディガードを見つけるまでのつなぎだからな」とメルバは釘をさしてきたが、それでもボストン以降、彼の態度は少し、ほんの少しだけ軟化したような気がする。リコとマシューさまさまだと思っていたが……。
「メテロス?」
「ボスが好きなコミックのヒーロー。宇宙を駆けまわって悪党をこらしめるサイボーグなの。左腕が宇宙生物に寄生されてて恋人が金星人。部屋にフィギュアあったでしょ」
「知らないな」
「とにかく、ボスも健全な青少年の御多分にもれずロボとかメカとかが好きなわけ。生物の博士なのにね。こないだついていったのも単純に興味本位だと思うよ」
悪い情報ではない。ハニーは意気込んだ。「ほかにボスの好きなもの全部教えてくれ」
「えー、なんだろ、アイスクリームとか。ミント味は嫌いだって。あと、ポピーさんの焼いたアップルパイ。でもポピーさんの料理はみんなおいしいもんね。音楽はクラシックをよく聞いてる。あとアリかな。アリはすごく好き。深海魚も興味あるみたい」チョコレートミントは自分から疑問を呈した。「これ役に立つ?」
虹彩と指紋で玄関を開けると、オフィスに入る部屋の前でミントがぴたっと止まった。
「待って。お客さんが来てる」
ドアについた小さな窓から中をのぞくと、たしかにメルバが応接セットについていて、来客と向き合っていた。客は、ソファに座っている細身の女性と、彼女の背後に立つスーツの女性のふたりだった。
「あ」とチョコレートミント。知っている人らしい。
話が終わったのか、ソファからふたりが腰をあげる。ドアに向かってくるのを見て、ハニーとチョコレートミントは脇に引いた。廊下は玄関から短くまっすぐにオフィスに伸びているが、右手に入ると給湯室と実験室、ボスの部屋、空き部屋に直接行ける。その空間に収まる。
「――久しぶりにお話できて楽しかったよ」客人がしゃべりながら出てくる。プラチナブロンドのショートカットで、切れ長の目とシャープな輪郭をもつ女だ。品のいいアクセントが耳に残る。「うちのラボにもぜひ遊びに来てくれ」
「機会があればね」メルバがおっくうそうに返事をした。
女はハニーたちに気づくと「やあ、どうも」とほがらかにあいさつをした。「会えてうれしいよ。元気かな? チョコレートミント」
「ええ、まあ」ミントは用心深く答えた。
「それはよかった」女はハニーの顔にも視線を留まらせ、にこりと笑った。「うん。また今度ゆっくりと話をしようね」
客が出て行き、玄関のドアが閉まり切ると、メルバはふうと息をついた。
「今のはカタラーナ」オフィスに戻りながらメルバが説明した。「生物学者だ。医者でもある。ぼくと共同研究をしているんだ。でも、カタラーナもチョコレートミントを狙っているふしがある。前に爆弾使いに襲われたことがあっただろ」
たしかアンゼリカといったはずだ。
「あいつを雇ったのがカタラーナだとぼくはみている」
「なぜ?」
「ミントを殺そうとしなかったろ。生きてるミントをじっくり研究したいからだろうな。彼女の専門は神経科学。神経科学ってひと口に言ってもいろいろあるけど、その中でも」
「睡眠」チョコレートミントが口走った。
「そういうこと」とメルバ。「彼女はぼくの恩師の教え子で、つまり兄弟弟子だな、その縁でチョコレートミントの無眠症についていっしょに調べているんだ」
「あたしあの人はちょっと苦手」
「ぼくもだよ。彼女の所属する医療機構は軍事関係との連携が密だし、ぼくとしてはあんまり賛同できない方向性なんだ。チョコレートミントのデータは国際睡眠医科学研究センターに提供してるし、そっちとやりとりしてくれてるうちは問題ないんだけどね。まあ、同じNYCC在住だし、たまには会って話さないとな。手ごわい女性だ。きみも顔くらいは知っといてもいい、おい羽生」とメルバに呼ばれたのでハニーは少し驚く。「後ろにいたスーツの女は彼女の殺し屋のひとりだぞ」
「ということは、複数いる?」
「彼女には多くのお抱え殺し屋がいるらしい。カタラーナのところは手広くやってるからな。敵も多いんだろう」
デスクについたメルバにポピーシードがお茶を運んでくる。
「所長、来客対応お疲れさまでした」
「うん」ひと口飲むと、メルバはカップを置いてぱんと手を合わせた。「ほらほら、なにをぼさっとしてるんだよ。ぼくはカタラーナと直に会って話すっていうやっかいな大仕事を終えたんだ。次はきみたちの番だからな。そこに並んで」
ハニーとチョコレートミントが前に立つと、メルバは「携帯を出して」と言った。取り出した携帯を言われるままにデスクに置く。
「いいか」噛んで含めるような言い方で、ボスはふたつの携帯をつまみ上げた。「この、旧時代の遺物は、没収する」
引き出しに放り込まれる携帯にチョコレートミントがかん高い声で抗議する。
「きみたちには木の板と棒じゃなくてライターを持ってもらう!」チョコレートミントを押し戻しながらメルバが声を張り上げた。「だいたいなんだ、最先端の宇宙生物を扱う研究所の職員でありながら、OSは四世代前とかなめてんの? 火星帰りはともかくなんでミントも古い機種なんだよ」
「だってこれで困ってないもん! 空中投映のやつは見づらいし」
「まったく。ほら、これが文明の利器ってやつだよ。使ってみて」
新しい携帯端末が引き出しから現れた。シンプルな、パネルだけの端末だ。その薄さと軽さに、ハニーは自分が火星にいた二年のあいだの技術の普及に思いをはせる。
「Qフォンだ!」さっそくミントがいじりまわす。「えっ、これでいいの? タッチスクリーンだけど」
「最近のスマートデバイスはむしろ“画面”に回帰してる。うちもスクリーンタイプを選んだ。NYCCの街中でビターの情報を堂々と広げられたら困るし。だけど投映もできるよ、メイン表示じゃないだけだ」
「あっ、CMのやつ、できるかな」
チョコレートミントが奇妙なことを始めた。端末の上下を指でつまんで、「これ知ってる?」とハニーに訊く。
「なにを?」
「こうするとね」
見ていると、Qフォンは徐々にたわんできた。チョコレートミントが指先に少し力を加えていくと、端末はぐにゃりと曲がった。
「手ではさむとやわらかくなるんだよ。おもしろーい」
「電気が通ると、ね」メルバが補足する。「クリームディスプレイだ。人体の微弱な電気で曲がる」
「わっかにして腕に着けたりできるの」
「で!」メルバがせきばらいした。「キューカンバー社の端末を選んだのはなにもおもしろいからじゃないぞ。世界トップの音声認識技術と、これ」メルバは声を張り上げた。「IQ! ふたりに自己紹介を」
端末からのびやかな明るい声が響いた。画面が青く瞬く。
「こんにちは。わたしは
「AI秘書?」
「そう。IQ/hは仕事に応じて細かいところまでカスタマイズができるAIなんだ。昨日のうちに学習をさせておいた。こいつは今やビター発見システム運用のプロフェッショナルってわけ。じゃあ、使い方を説明するからよく聞いて……」メルバはチョコレートミントの顔を見て口をつぐんだ。「……実際に使ってみたほうが早いだろうし、ぼくだって試運転はしたいけど、そんな都合よくビターが出てくれるわけが……」
「メルバ博士」IQが口をはさんだ。「グラマシーでビターが一体現れたようです。現段階では三メートルほどの大きさです」
「だそうだ。出動!」命じてからメルバはふたりを引き留めた。「待って、ふたりとも。Qグラスも持っていけ」
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