イン・ヒズ・シューズ②
左肩は出血していた。傷口が開いたのだ。帰りは絶対に車を使うからな、と水を一杯もらって少し回復したメルバが低い声で言った。
「リコの言うことなんか気にしなくてよかったのに」青年は救急箱を片づけながら言った。「大変だったでしょう」
何の話だろうという顔のチョコレートミントに補足する。「『次に来るときは、自分で歩いてくる』って約束した。前に来たときは車いすだったから」
「たいしたやつだ」
「それは次回の定期メンテナンスを想定した言葉だから! 二度とそういう約束はしないで」口調はやわらかくも青年がたしなめると、老人はわずかに肩をすくめたが、青年の見ていないところでハニーに片目をつぶってみせた。
ハニーはふたりを紹介した。
「リコリス・ウォーターハウスと――」老人が眉をあげる。「マシュー・ウォーターハウス」青年が会釈する。「義肢装具士だ。リコ、マシュー、こっちは、今の職場の上司と同僚」
マシューはチョコレートミントとメルバを見比べた。「ええと――どっちがどっち?」
答える前に、外から車の音がして、全員の注意がそっちに向いた。
「ただいま、ねえ、外の黒服の人なに?」と買い物袋を抱えて入ってきた女性は、ハニーを見るなり「あら!」と声をあげた。「羽生さん?」
「サンドラ?」ハニーは片足で立とうとしてその場の全員に止められた。「元気そうでなにより」
「久しぶり! どうしたの? あ、足壊れちゃった?」
「子供は?」
マシューが答えた。「そこのベビーベッドで寝てるよ」
「え? 本当だ。うるさくして悪かった」
「いやいや、全然起きない子なんだ。となりの部屋で石膏削ってても起きない。このずぶとさ、だれに似たんだか」
「どう考えてもお父さんでしょ。隔世遺伝」
チョコレートミントが明らかに、家族関係の図をいろいろ思い描いている顔をしたので、軽く説明してやる。サンドラはリコの娘だ。マシューとサンドラは夫婦で、マシューはウォーターハウス家に婿入りしたかたちになる。リコとマシューは師弟だ。義肢装具士としてのリコにほれ込んだマシューがこの家に押しかけて半ば強引に弟子として住み込み、サンドラと恋仲になり、今に至る。
「わかるか?」とリコ。「人生で大事なふたつ、技術と大事な娘、両方取られる気持ちが」
ハニーが師弟に義足を仕立ててもらったのは、サンドラが出産で実家に帰る直前から、無事お産を終えるまでのあいだのことになる。脚部パーツを持ち込んで、それが義足として使えるようになるまでの約一か月間、ハニーはほぼ毎日製作所に通い、その過程を残さず見せてもらったのだった。
「最後のほうは泊まっていったんだよねえ」
「その節はどうも」
「あのときはぼくもリコも、サンドラがいなくてさびしかったところだったから」
ウォーターハウス義肢製作所の応接間は、仕事場と自宅の中間といった位置づけの部屋のようだった。ガラス製の展示棚があり、中に義足が数本収められている。
「変わった義足があるんですね」とメルバは言った。
色も形もさまざまな“足”があった。中世の騎士の甲冑を模したもの、華奢なシルエットの総花柄、くるぶしに歯車がついたスチームパンク風、透明な素材で中の機構が透けて見えるもの、爪にライトがついておりその色が数秒おきに変わるもの。
「むしろうちはこういうのばっかりですよ」よく言われることなのか、マシューは手慣れた様子で説明した。「うちでは子供の義足を作ることが多いんです。切断のショックから立ち直れない子や、ふつうの義足をいやがるような子もいますから、そういう子たちのための最初の一本として選んでもらえるようなものを作りたくて、自然とこういうデザインも手掛けるようになったんです」
すらりとした真っ赤な義足をしげしげと見ながら、「かっこいい」とチョコレートミントが口にする。
「それよ」あごをなでながらリコが言った。「百人いたら、百通りの希望がある。かっこいい、身に着けたいと思うものもそれぞれ違う。だから、うちは何度も客と会って、話しながら作っていく。セオリーなんてものはない……うちのオリジナリティってものもない。まあ、時間はかかるけどな。このやりかたのほうが、いいものが作れる。ショーケースに入ってんのは、ほんの一例だ。できるだけとんでもねえやつを入れてある」
「この白と黒のはなんですか? ピアノみたい」
「鍵盤ハーモニカ義足。実際に弾けるぞ」
「なにそれ!」
「ねえ、盛り上がってるところ悪いけど」サンドラがぱんと手を合わせた。「まず昼食にしない? いっしょにどうかしら」
ありがたくごちそうになることにした。ここまでの長い道のりに、みんなおなかがすいていた。
「羽生、先に義足を見てやる」リコが隣室のほうを親指で指す。「来な」
メルバがはじかれたように立ち上がった。「ぼくも行っていいですか」
「羽生がいいなら」
構いませんとハニーが言うと、メルバの顔がぱあっと明るくなった。
昼食の支度をチョコレートミントが手伝うことにして、彼女たちを残し一同はとなりの部屋へ移動した。ハニーは工房を見回した。ここに通い詰めたのは去年の夏の終わりごろだった。そのときからあまり変わっていない。白い壁にかかった数々の工具、コルクボードにピンで止められた注文書の束、客が描いたのであろう義足のイメージ図(かかとにブースターが仕込まれて空を飛んでいる)、机の上にはウォーターハウス家の者が愛用する色違いのマグカップ、デザインの参考にする科学誌やファッション誌やコミック、書きかけのひざや指の設計図がある。いすに無造作にかかっていたエプロンを腰にまいて、リコがハニーにいすをすすめた。
メルバはというと、おとなしく部屋のはじっこにおさまったものの、きょろきょろし通しだった。型取りの道具に見入ったかと思うと、作りかけの義足にじっと視線をそそぐ。さわりたいのを我慢しているかのようにそわそわと両手をもみしぼっていた。なんだか子供みたいだな、と思ってから、そういえば子供なのだった、と気づく。
渡した義足ケースを師弟がのぞきこむ。リコがそっと中身を取り出す。彼の器用な手で慎重に持ち上げられる右足はやけに痛々しく見えて、ハニーの胸はまたつらくうずいた。
「直るか?」とハニーは訊いた。
「もちろん。ねえ、リコ」
「ああ。派手にやられてるが、パーツを代えりゃいい話だ」リコはこともなげに言った。「ひびが入ってるのは外殻だ。しかも膝の部分をおおう、面積のせまいところ。そんなに複雑じゃない。うちですぐ用意できる。前作ったときに予備もひと通り用意したからな」
「もともと正規パーツじゃないみたい」マシューが補足する。「他のところと微妙に違うんだよね。別のアンドロイドの部品を流用したんだと思う。足りないところがあったとしても左足を参考にして新しく作れそうだけど、やっていいかな?」
「いいけど、じゃあなんで動かなくなったんだ?」
「別の問題だ」リコの古木を思わせる手が、足の内側にある部品を指さす。「センサーの不具合だな……赤いランプがついてるだろ? 衝撃で受信がうまくいかなくなったのかもしれない。再起動をかけてみる。最悪壊れていてもセンサーだけ交換すれば片がつくぞ」リコは顔を上げた。「外殻、ちょっと妙な割れ方をしてるが、なにをやってこうなった?」
フレジエに足をねじ切られたことを説明すると、義肢装具士たちは嘆息したりまゆをひそめたりした。
リコが天井をあおぐ。「そりゃ壊れるわな」
「けんか?」マシューが目を丸くする。「なんでまたそんな」
メルバの視線を感じながら、実はこの春からボディガードの仕事を始めて、と説明すると、「ボディガード?」とマシューがすっとんきょうな声をあげ、「でかした」とリコが叫んだ。
「わしの客でボディガードの職に就いてるやつは今までいなかった。こら、マシュー、そんな顔をするな! 使用者の職業選択に文句をつける気か?」
「でも心配だよ。NYCCは特に物騒だって聞くし。羽生さんの足は特別だし、次は直せないかもしれないよ」
「これっきりだ」ハニーはきっぱりと宣言した。「もう二度とこんな故障はしない」
「ま、たしかに、無傷に越したことはないな」リコは腕を組んでハニーをじっと見すえた。「そのへんは、弟子の言う通りでな……親友の形見がそう何個もあるわけじゃなし。だろ?」
「ああ」
うむ、とうなずいて、リコは作業に取りかかった。「わかってるならいい」
マシューが訊ねる。「他の義足は、相変わらず受けつけないのかい?」
「だから杖で来たんだろ」リコが部屋の反対側から声を飛ばす。
「すまない。あれだっていい義足なのに……」ハニーは目をふせた。ブレード義足もウォーターハウス製のものだった。ハニーの違和感を少しでも緩和しようと、マシューがぎりぎりまで軽量化を図った一対である。
「でも途中までは来られた?」マシューは身を乗り出した。「何時間もった?」
「三時間くらい……」
「すごいじゃないか! 前は十五分もたなかった」
「そいつはいいな」リコも言った。「おまえさんは少しずつよくなってる」
――よくなってる、か。
ハニーはいすの背に頭を預けた。足が直るとわかってほっとしたせいか、急に疲れがどっと襲ってきた。
「眠い?」マシューが目ざとく気づく。「寝てていいよ。もう訊くことはだいたい訊いたから。足は勝手に見るけどいい? お昼ができたら起こしてあげる」
そういうわけにもいかないと思ったものの、三分もたたないうちにハニーはうつらうつらしていた。
「でもよかった」食器を出しながらサンドラが言った。「羽生さん、ずいぶん明るくなったわね」
チョコレートミントは思わず「明るくなった」と口の中で繰り返した。
「そうよぉ、前に来たときはもっと、追いつめられたような雰囲気だったから」
サンドラが言うことには、ウォーターハウス義肢製作所の玄関に車いすで現れたその男は、やけにすわった目をしていたそうだ。これを使って義足を作ってほしい。そう言って持っていた包みをほどくと、白いアンドロイドの足がひとそろい現れた。これはなんだとリコがたずねると、長い沈黙のあとでこう答えた。親友の形見だと。
「きっと今の環境がいいのね」サンドラは笑うと、いったん子供の様子を見に行った。
チョコレートミントが考えこみながらトマトとチーズをスライスしていると、キッチンにメルバが現れてミントの手元をのぞきこんだ。「お昼なに?」
「あれ、修理は?」
「足りない部品を出力してるところ。しばらくやることないって。あいつ寝ちゃったし」
「ねえねえ、今サンドラがね」
聞いたことをチョコレートミントは話して聞かせた。
「ね、だからね、あれでも愛想よくなったほうで……」
「きみはやけにあいつを好印象に見せようとするな。なぜだ」
「ええっ、そんなつもりじゃないよう」
あたふたとごまかすチョコレートミントを「それより」とメルバはさえぎった。「あの義足は親友の形見らしいな」
「うん」
「『マスタードさん』の」
「うん」
「で、『アンドロイドの足』でもある」
「うん?」
「つまり、その親友はアンドロイドってことか?」
チョコレートミントはトマトの汁まみれの手を思わず額にあてた。「そうみたいだね」とだけ言った。
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