火星から来た男③

 お客様相手にそういう態度は感心しませんよ、というようなことを言いおいて、エプロンの女性がお茶のカップを置いて下がると、少年の高慢そうな表情がようやく緩んで消えた。

「うーん」少年は目頭をもんだ。それがやけに大人びた仕草だった。「動きが難しいなあ。もっと使いこまなきゃ」

「前より良くなってたよ」チョコレートミントがなぐさめる。

「言い訳しておくと」言葉の割に強気な目線がハニーの方に向いた。「ぼくは見た目で誤解されることが多いんだ。あれもリスクヘッジの一環だと思ってほしいな」

「へえ」ハニーは指を組んだ。「そいつは気の毒に」外見も中身もクソガキじゃねえか、と続けたいのを軍隊で培った忍耐力でこらえた。

「メルバ所長はすごいのよ」あいだをとりなすようにチョコレートミントが言った。「マンハッタン工科大学に十一歳で入学したんだから」

 どいつのご機嫌を取らなければいけないのかこれではっきりした。これは思ったより難しいことになるかもしれない――大人に対して話をするよりも。

「あらためまして、ぼくがパーシー・メルバ」

 少年は白衣のポケットから名刺を取り出した。名前の横に書いてある文字を、ハニーは読んだ。メルバ宇宙生物研究所所長、宇宙生物学者。

 その肩書に対して感想をはさむ間もなく、メルバは身を乗り出した。「きみは火星に行ったのか? 火星人は見た?」

 見たもなにも。

 首肯するだけにとどめた。守秘義務があるからというばかりでなく、を嫌悪する人は少なからず存在する。ここで余計な反感を買うことはない。

「火星人かあ」懐かしいという響きが口調からあふれている。「ぼくの方向性を決めたのは火星と言っても過言じゃないんだ。小さいころ、火星の生命研究レポートを読むのが楽しくて。そのうち別のことに興味が移ったから、火星からは離れてしまったけれど」

「ビター研究がそれですか?」

 メルバの目がネコのように光る。「まあ、ざっくり言えばね。ビターについてなにを知ってる?」

 見聞きしたことと、ファッジから教えられたことがすべてだ。最初の出現が一年近く前というと、ニュースで知っていてもおかしくないはずだが、そのころの自分は謎の生命体どころじゃなかったのだろう。ビターはNYCC市に出現するゼリー状の生き物で、人間を包むように取り込み、周辺一帯を破壊していつの間にか消えてしまう。どんな攻撃も通り抜けてしまうその体を、チョコレートミントが持つふしぎな銃だけが止めて見せたのだ。

「ビターは宇宙から来た新生物だぞ」

 あっさりと明かされる怪物の正体にハニーが目を丸くしていると、このくらいは暗黙の了解だとメルバは続けた。

「去年の七月二十九日午前四時二十分、ロウアー湾に隕石が落下した。その三日後、八月一日午後二時頃、ブルックリンで最初のビターの出現が確認された。最初のビターは今でも特別だ。体長は最も大きい時で二十メートル、活動時間四十六分間の記録は未だに破られていない。それから現在に至るまで、実に多くのビターがここを訪れてくれた。隕石とビターとを結ぶ物質的な証拠は実はないんだが――あったとしても海に流れてしまったんだろうな――隕石に乗って飛来した地球外生命体という説は有力で、対抗できるほど説得力のある他説は今のところ出てきてない」

 チョコレートミントはうんうんとうなずきながら聞いているが、茶菓子として出されたクッキーをつまむ手が止まらない。

「ニューヨーク州以外での出没はまだ確認されていないが、分布を見る限り、これから広がっていくだろうな。人間に危害を加える以上なんらかの対策を講じたいところだが、州政府は後手後手に回り、それどころか研究への支援金というエサをまいて余計なものをNYCCに引き込んだ」

「昨日のあいつみたいなやつらね」チョコレートミントが解説を加える。

「おかげで公正な研究がただの懸賞金レースになり下がった」メルバは吐き捨てるように言った。「まあ、好都合なのは、そういうやつらを遠慮なく蹴落とせるってことだね」

「さすがボス、悪魔みたい!」

「幸いなことに、ぼくはどうやら他の研究者より一歩先んじているみたいだ。おかげで研究所を吹っ飛ばされてしまったよ」

 ――それは不幸なのでは。

「昨日のことは聞いてるよ。チョコレートミントを守ってくれてありがとう。こんなのでも大事なうちの調査員なんだ。研究所に住み込みだったから、ここを借りるまでのあいだホテル暮らしにしてしまった」

「こんなのとはなによ!」と大声でわめくことで、チョコレートミントはハニーの発言権を打ち消した。あてがわれたホテルを夜な夜な抜け出して遊んでいたことをばらされたくないらしい。

 メルバはうるさそうに片手を振った。「でもそれときみを雇うのはまた別の話だ」

「というと」

「情報屋アーモンドファッジの旧友だそうだね」

「仕事を紹介してもらっただけだ」

「昨日の件にやつが一枚噛んでいるらしいじゃないか?」

 それは図星だが認めるわけにはいかない。「話が違うな」と突っぱねる。「そもそもおたくの方からガードの斡旋を頼んだんだろ? 言われて来ただけのおれにそこまで文句を言われても困るな。最初に上どうしで話をつけといてくれよ」

「アーモンドファッジは文字通りきみを売ったようだな」

「なに?」

「やつからもらった資料にはきみの実家の庭に何の木が生えているかまで書いてあるが、残念ながらきみを信頼するには少し足りない。アーモンドファッジがどこかのスパイを仲介した可能性は無視できない」

 空気が不穏になってきた。チョコレートミントの顔を見ると、あからさまに「しまった」という表情の彼女と目が合った。――この女はおれの目的をボスに話していないのだ。

「その誤解は昨日解けたと思ったけどな。研究体だって取り返した」

「残念ながらぼくは納得していない」ぼくは、を強調しながらメルバはソファに背を預けた。

 いや、チョコレートミントはむしろ正解だ。この状況でコネ目的だと告げたらどうなる? 疑心暗鬼のボスに自分を遠ざける理由を与えるだけだ。考えなければ。なにがなんでもここに残る理由を。

「ボス」

「きみは黙ってて」メルバがチョコレートミントをはねつけたときだった。

 液晶の方から警告音が鳴り始めた。

 メルバはソファから跳ね起きた。ふたりが機械の山の方へ駆けていくので、ハニーも腰を上げた。

 液晶画面は次々に切り替わり、街の様子を流し始めていた。しばらく見ているうちに、監視カメラの映像だとわかった。なぜNYCCの監視網がここで見られるのだろう。チョコレートミントが警備から逃げた理由の一端かもしれないが、今のふたりは不審がるハニーを気にも留めなかった。メルバは空中デバイスからなにやら打ち込んでいるし、チョコレートミントの方は映像に目を走らせている。手持無沙汰なハニーに、エプロンの女性が近寄ってきて、小声で教えてくれる。「これは所長が作ったビター発見システムなんですよ」

「いた!」チョコレートミントが叫ぶ。

「ぼくも見つけた、中央郵便局をちょっと過ぎたところにいる。九番街の交差点だ」

「二番のモニターを拡大して」

 メルバがそうすると、例の黒い怪物が伸びたり縮んだりしながら通りを闊歩する様子が大写しになった。信号機をたたき折っている。怪物の足元で人々が逃げ回っているのも見えた。

「近いな」

「こっちに来る」

「好都合だろ」

 メルバは足元にあった箱から銃を取り出すと、「これを使って。新作」とチョコレートミントに向かって放り投げた。宙を舞う銃を、ハニーは横からバシッと奪い取った。

「話が終わってない」

「忙しいの見てわかんない?」メルバが辛辣な口調になる。「もう帰ってよ」

「こちらにも面目というものがある。子供にはわからないかもしれないが」

「今なんて言った」

「けんかしてる場合じゃないんだけど!」とミント。

「らしいな」モニターをちらりと見上げる。「おれにやらせてくれ」

「なに?」

「あいつを」あごでビターを指した。「こいつで」と手にした銃を持ち替える。「仕留めてくればいいんだろ?」

 メルバは鼻で笑った。「そんなにやさしくないぞ、ビターは」

「ここに勤めるならそのくらいできないとな」

「なら見せてほしいね」高らかに言い放つと、メルバは窓の下を指さした。「きみの言う通り、メルバ研究所に所属するからには、ビターの捕獲ができなきゃ困る! 下で暴れているビターを二十分以内に仕留めてこい! そうしたら一応信用してやる」

 にらむメルバと見下ろすハニーのあいだで、チョコレートミントがいらいらとピアスを揺らした。「ねえ、もう行かなきゃまずいんじゃない?」

 部屋を出ようとすると、エプロンの女性がまた近づいてきて、ハニーにふたつのものを渡した。カートリッジと、透明なボトルだ。「はいはい、こっちは対ビター専用の弾薬だから、その銃でしか使えませんからね。こっちはビターを入れるボトル。ふたはしっかりしめてね」笑顔でひらひらと手を振る。「ご武運を」

 どうにもあの人調子が狂うなあ、と思いながら廊下に出たとたん、チョコレートミントがまくしたてはじめた。「正気? ビター見たの、こないだが初めてなんでしょ?」

「ああ」

「バカじゃないの?」

「銀行のやつはうまく仕留めて見せただろ」

「毎回あんなふうにいくと思ったら大間違いなんだけど」

「気合い入れないとな」

「もう!」

「……ボスに言わなかったんだな、おれの目的」

「え? うん」ミントはきょとんとした。「あたしが勝手に話しちゃ悪いと思って。だめだった?」

「いや、だめじゃない」

「だよね」先を行ってドアを大きく開ける。「大事な人だって言ってたもんね」

 何十機もあるエレベーターの中から下に行くひとつを選び、到着を待つ。その間にハニーは手の中の銃をざっと点検した。細めの銃身……ドラグノフ狙撃銃の模造品だ。おもちゃみたいだが照準器もついている。やっぱりこれもプラスチックだ。黒地にところどころネオングリーンの塗装が入っている。「3Dプリンターで作ったの」とチョコレートミントが教えてくれる。

「何発撃てる?」予備弾薬も渡されたし、弾倉はモデルに忠実についているが。

「えっ、わかんない」

「何発か撃ったら壊れるとかないよな」

「気にしたことない」

「いつもどうしてるんだ。前持ってたピストルは」

「あ、これ? 弾がなくなるまで撃ってる」

 ハニーが言葉を失ったタイミングで、エレベーターが来た。

 乗り込んだとたんにチョコレートミントの携帯端末がじゃんじゃん鳴りだした。ミントはハニーにも聞こえるように音声をスピーカーモードにした。「ハロー、ボス?」

「ビターが移動してるぞ。どんどんこっちに向かってきてる」

「今どこ?」

「メイシーズの前だ」

「もう五百メートルもないじゃない」

「きみたちは今何階だ?」

「まだ九十二階だよ」

「外に出るころには通り過ぎてるかもな」

「うええ。走るのかあ」

 ハニーは口をはさんだ。「おい、ボス」

「まだおまえのボスじゃないっての」生意気な声で返事が返ってくる。

「この銃、射程はどのくらいだ?」

「さすがに本物には劣るけど、四百メートルくらいはいくかな。モデルガンにしちゃ上等でしょ?」

 ハニーは八十六階のボタンを叩いた。

「なにしてんの?」チョコレートミントが悲鳴を上げた。

 エレベーターがアナウンスを流した。「八十六階、屋外展望台フロアです。地上三百二十メートルからの眺めをお楽しみください」

 開いた扉を抜けながら、こっちが聞きたいな、と心の中で思った。だったらなんのためにスナイパーライフルなんか作ったんだ、こいつらは?

 屋外展望台に銃を持った体格のいい男が姿を現すと、平日の少ない観光客はクモの子を散らすように逃げ去った。フェンスを越えて反対側に降り、西の角から下をのぞく。

「あぶないよぉ」チョコレートミントが一応というふうに止める。

「おまえはそっちにいろ」

 ビルの谷間で、ビターのぬめぬめした体が鈍く光っている。三十四丁目の車の流れが滞り、周囲の道路にもそれが波及していくさまを、ハニーは少しのあいだ目の当たりにした。

 安定した姿勢を探しながら、さて、とハニーはつぶやいた。高さ三百二十メートル、底辺は、そうだな、三百メートルと仮定して、その直角三角形の斜辺は何メートル?

「438.63メートルだよ」後ろから携帯を通じた不機嫌そうな声がした。

「さすがはボス」とスコープをのぞいた。「博士だけある」

 風は弱いがビル風が気になる、でも、あんなにでかい的なら、多少のズレは問題ない。ゼリーの体の表面に立つさざ波、街路樹の揺れる葉、ビターのパンチで折れる標識、低く這い飛んでいく新聞紙、ビターの中にうっすら見える、もがいているような人影。

 引き金を絞った。

 ビターの左上の方――肩があるとすればそこに、着弾した。

 動きを止めた化け物にすかさずもう一発。背骨まで響く反動。

 今度は先ほどよりもやや下に当たった。

 ゼリーの塊が徐々に小さくなっていくのを見て、ハニーは銃を下ろした。ふうと息をつく。

 フェンスの向こうでは、チョコレートミントがぼうぜんと突っ立っていた。「うそでしょ?」

 ハニーは少なからず、どうだ、という思いで振り返った。

「回収は?」

「は?」

「だれがビターを回収するの?」とミント。

「行って! 今すぐ!」

 メルバの金切り声に急き立てられ、ハニーはあわててフェンスを乗り越え、エレベーターに走った。

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