先輩と変な女
野木は男女の楽し気な会話を適当に聞き流しながら、同じ職場のとある先輩のことを考えていた。
野木孝雄から見て六条タケルという男は、
大人の男になるためのイベントを悉く逃したまま大人になった、良く言えば繊細で、悪く言えば面倒な性格の男だった。
あまり年上らしい頼りがいのある行動は目にしたことは無かったが、基本的には優しい。
人に怒るポイントというのがどうも変わっていて、自分の損得よりもどちらかというと誠実かそうでないかに重点が置かれている気がする。
めったに怒らないが、なんというか、悪意のある行動に敏感だ。
ある日、彼の上司が大型案件を拾ってきた。
上司は金銭的利益を優先するあまり、かなり適当な見積もり書でそれらの案件を請け負おうとしていたのだが、六条は部下の体力的、精神的負担を盾にその案件を棄却させたことがある。
もちろん会社からすれば損害を生み出したとしか思えない重大な行為だ。
でも彼は「長い目で見れば損害は大きかった」と主張し続けてその場をおさめていた。
「あいつは仕事をしたくないだけなんだよっ!」
とある部長クラスの人間が、彼をそんな風に評していたのを喫煙所で耳にしたことがある。
上層部は彼の行いを批判し、無能扱いしていることを知っている。
それを聞いて、彼の昇進の芽がまた遠のいたな、と他人事のように思っていた。
本人は気づいていないのか、まったく気にした様子はないけど。
閑話休題――とにかく、少し変わった視点を持っている。
たまにそれが、綺麗ごとや青臭い正義感に見えることがある。
そんな印象は野木のひねくれた性格からくるものではあっただろうが、六条タケルを見ていると、まるで子供の頃の自分を見ているようでむず痒い気持ちになる。
要するに甘ちゃんなのだ。
それが好ましい一方で、不快に思うこともあった。
同族嫌悪という感情に近いのかもしれない。
いや、自分と同じはずがないとも、野木は同時に考えている。
自分は彼にないものをたくさん持っているし、まだ若さもある。
でも、なんというか、人間としてどうにも、下に見れない面があるのだ。
周囲を軽視する野木にとっては、そういう人間というのは極めて珍しく見えた。
飲み会を終えて、他の連中が和気あいあいと連絡先を交換しているのを尻目に、野木は今日の収支に目を光らせている。
レシートを確認し、どれくらいの金が自分の手元に入るのかを考えていた。
合コンの斡旋のようなことをしていた。
人を集め、グループのまとめ役という立場に回ることでいくらか中抜きして収益を得る、野木にとっては小遣い稼ぎの感覚だった。
男も女も、出会いを求める奴はたくさんいる。そういう奴らをあわせて、楽しく話をさせて、満足して帰ってもらう。野木はその見返りに僅かな金を得る。WINWINな関係だった。
「野木さんはこの後どうするの?」
声を掛けられ、慌ててレシートを胸ポケットにねじ込んだ。
「え?」
「二次会だよ。野木さんも行くでしょ?」
派手な化粧をした女が、なにやら熱い視線を送ってくる。
顔は綺麗だが、好みじゃなかった。たしか都内で看護師をしている二五歳の女だ。野木よりも年上で、職場の愚痴をよく話題にしていた。同じ喫煙者だったので、近くに座る相手としては都合が良かった女だ。
野木はどうしたものかと考える素振りをして、残念そうな表情を顔に張り付けた。
「ごめん、明日はちょっと朝早くてさ」
「えーそうなの!?」
「ああ、ごめんね。あ、でも連絡先は交換しようよ。また一緒に飲もうぜ」
そう提案すると、女は嬉しそうに目を光らせた。
こういう時、誘いを無下にしないのが鉄則だった。交友関係を維持することは、次の機会にメンバーを揃えるのにも繋がる。そうして手慣れたようにメッセージアプリで登録を済ませる。
相手の連絡先を知った時に初めて、その女が倉本真矢という名前だということを知った。
どうせ明日には忘れるだろうなと、心の中でせせら笑う。
「それじゃね! みんなは引き続き楽しんできてよ!」
集まったメンバーに元気よく別れを告げて、その場を去った。
めんどくせぇなと思いながら、駅に向かって歩き出した。
*
駅の改札付近で見覚えのある人物を見つけたのは、ただの偶然だった。
六条タケル――何やら酒を入れすぎたのか、真っ赤な顔で突っ立っている。
弱いくせに無理してるなぁと思いながら、声を掛けようと近づく。
ところが、すぐにそれに気づいて足を止めた。
壁際に、見覚えのない女と二人で、割と近い距離感で立っていた。
あの、面倒な先輩と、仲良さげに会話している。
顔を目に入れて驚愕した。
できすぎだと疑うくらいにかなりの上玉だった。あまりお目にかかれないタイプの美人ってやつだ。
女ってのは化粧をすればそれなりに綺麗には見える。化粧を落とすと落胆するレベルで顔面偏差値が下がるタイプは結構多い。
女は化粧を武器に容姿レベルを底上げしているのだ。そういうのを見ると、感心するし、ずるいよなとも思う。男と比べて、容姿を武器に身の丈以上の良い男に近づくことができるからだ。
けど六条の隣にいる女は、そういうのにはカテゴライズされない、特に飾らなくても整った顔立ちなのが分るぐらいに、どの角度からでも綺麗に見えるタイプだ。
そういうのは横顔を見てばわかるというのは、野木が見つけた個人的な判断方法だった。
二人はその後しばらく話していたが、気分の悪そうな六条を労わってか、背中をさするような仕草をしてから、二人で改札の中に歩き出した。
自然とその後を追う。
悪いことをしているという自覚はあったが、好奇心には勝てなかった。
二人は階段前で別れて、別のホームに繋がる階段を登りはじめた。
一瞬迷って、女の方を追うことにした。ホームに登ると、線路を挟んで二人が手を振り合っていた。
どういう関係だ?
なんだか、学生カップルの別れ際みたいなやり取りで、見ているこっちが恥ずかしくなる。
それに六条尊があんなに女に愛想を振りまく姿、今まで見たことが無かった。
野木は、女と同じ列車に乗り込む。
途中で、これは悪質なストーカー行為じゃないかという思考が頭を巡った。
「何やってんだ俺は……」
ようやく今の自分を客観視しはじめていた。
次の駅で降りようと決めた。戻って今日合コンで会った女のフォローに回った方が生産的だと気づいた。
でもそのとき、ふと女が電車の窓から外を見つめる姿を見て、一瞬目を奪われた。
そいつはたぶん、野木よりもずっと年上だ。化粧に頼らない見た目は、割と幼く見えたはずなのに、ふとした瞬間の退廃的な表情は、息を飲むくらいに大人びて見えた。
本当の美人は横顔も綺麗だ。そんな理論を裏付けるぐらいに、完璧なフォルムだなと、感心した。
でもそれで疑問が深まったこともある。
そんな美人が、なんであんな面倒な男と関わっているのかと。
駅に着いたところで、女が動き出した。
どうやら彼女もここで降りるらしい。本来の自分の最寄りに向かう前に、どうしてもそいつと話をしてみたくなった。
歩き出す彼女の後を追ってホームに飛び出す。
「なあ!」
いきなり声をかけるのには慣れてる。
学生時代はこれで何人も女をひっかけてた時期もあった。
女が振り返ると、これまた驚くほど完璧な容姿で、面を食らう。
それでも、同じ人間であることは変わらない。
勇むように前に出て、一歩彼女に近づいた。
「なに?」
自分の容姿には自信があった。
声をかければ、それが好感触かどうかはすぐにわかる。
その女は、かなりNG寄りな反応だった。
でも警戒をあらわにしたが、決して逃げたりしない。軽くあしらう自信があるらしい。
ますます興味深かった。
「あんた、六条さんとどういう関係ですか?」
単刀直入に尋ねる。六条の名前を口にした瞬間、女の目が細くなった。
何か不味いものを見られたような顔だ。
「あんた、タケルのなに?」
「おい、質問に質問で返すなよ」
流暢に切り返してはいるが、女の口から『タケル』と呼び捨てが出てきたことで内心では驚いていた。
しかし野木の言葉で気分を害したのか、女はこちらを無視して歩き出した。
女の歩調に合わせて後を追う。何度も声をかけるが、反応してこない。どうやらこのまま無視を決め込むつもりらしい。
「どうせ先輩のこと弄んでるだけだろ?」
彼女の隣に並んで、耳元でそう言ってやる。すると女はようやく足を止めて、今度は明らかな敵意でこちらを睨んできた。
「あの人、すぐに騙されちゃうもんなぁ。あんたみたいな美人に弱いから」
六条のことは何度も合コンに誘ったが、一度として上手くいったことが無いのは知っていた。
これは女を怒らせるためのブラフだ。
「あんたも、男を食い物にしてるだけだろ? 一体いくら貢がせたんだ?」
この辺りは野木自身の偏見もあったが、こんな美人が六条に近づく理由は、それぐらいしか思いつかなかった。経験則的に、それがこの女と六条の関係なのだと、野木はそう結論付けていたのだった。
「ぶっ、あははっ」
ところが女は、ついさっきまで怒っていた表情を消して、豪快に笑いだした。
「面白いこと言うね、君」
おかしすぎて溢れ出てきたであろう涙をぬぐいながら、女は続けて言った。
「でもあいつほどじゃないかな」
泣き笑いを浮かべながらの、意味深な言葉――
野木はその、男をかどわかすような軽妙な反応が、心底気に入らないと感じた。
「遊びなら、あの人に近づくのやめろよ」
六条のことは、別に同じ会社の先輩としか思ってないのに、余計なことに足を踏み込んでいる。そういう自覚はあるのに、そのいけ好かない女をこのまま帰すのは我慢ならなかった。
「あの人に普通の恋愛なんてできるわけねーんだわ」
嫌味のつもりで放った一言だった。
でも女はこちらの思惑を知り尽くしたように、含み笑いを浮かべたまま改札出口を抜けた。
そして風のように人ごみの中に消えていった。
何も言わないのが、一番こちらの嫌がらせになると、あの女は知っていたんだ。
胸の内に気持ち悪い何かを抱えたまま、野木はその場に立ち尽くすしかなかった。
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