第11話 再会の夜に 壱
金曜日の就業時刻――。
僕はいそいそとオフィスから抜け出して、素早くエレベーターに乗り込む。
上司に捕まらずに会社を脱出できたことにほっとしていると、スライドドアが閉まる直前に誰かが入ってきた。
「六条さん、珍しく早いっすね」
後輩の野木だった。追いかけてきたのか、若干息切れしている。
お疲れ、とだけ言って彼の労働をねぎらった。
「そういえば今日また例のヤツがあるんですけど、六条さん一緒しませんか?」
そんな、常連客でもないのに「いつものやつ」みたいに言われても困るし、意味が分かるのが逆に虚しくなる。
「また合コンか……」
「例のごとく一人足りないんですよ。どうせ暇なんでしょ?」
こういう言い回しは彼の性格からくるもので、悪気がないのは分かっている。
「今日は別件があるんだよな」
だから真っ向から拒否るのは胸が痛むなぁ。
「なんで微妙に嬉しそうなんですか……。え? まさかデートとか?」
「いや……それはちがうが……」
無意識に舞い上がっていたのだろうか。どうかしてる……。
僕はそんな盲目的な期待を振り払うように努めた。
デートでは、無いと思う。ただ久しぶりに、元カノと顔をあわせるだけだ。
だけどこいつに元カレと十何年かぶりに食事しに行くと言ったところで、余計な興味心を刺激するだけである。
「相手は女ですね?」
「……」
彼は不敵な笑みを浮かべていた。エレベーターに乗っている間、しばしそんな野木のまなざしから目を背けることになる。
居心地が悪いし、そんなことに浮かれていた自分にも腹が立った。
一階に到着した瞬間、我先にと前を歩いてさっさと会社を出た。しばらく、駅に向かう間、野木の奴はうしろをちょこちょこついてくる。
「ねぇ、誰なんですか?」
しつこいな。
「なんだよ。お前には関係ないだろ」
「いやぁ、やっぱり気になるじゃないですか。俺の誘い断ってまで行くなんて。六条さんって割とノリがいいからそういう願望あるように見えたし」
願望ってのはなんだ。結婚願望のことを言ってるのだろうか。
野木には、自分のことを詳しく話したことはない。全部憶測で言っているにしては鋭い評価だった。でも――
「今日は確かに女に会いに行くよ。でも全然だよ。全然そんなつもりはない」
期待はしてない。だってがっかりするから。
裏切られたときに傷つくのは、もうたくさんだからだ。
「なるほど……」
それで野木は納得してくれたのだろうか。
改札に着くころには彼の姿はいなくなっていた。
*
普段は出向くこともない日本橋に来ている。
人通りの激しい繁華街の方を抜けていくと、おしゃれな店がいくつも並んでいた。
水戸瀬とは指定の居酒屋で落ち合うことになっている。
ここ数日は記憶の混濁が激しく、彼女の事ばかり考えていた気がする。
いや、別になにか変な意味があるわけじゃない。
ただ急に連絡が来たことが衝撃的過ぎて、考えざる得ない状態になっているだけだ。
そもそもの話、電話の相手が水戸瀬本人であることもまだ確実ではない。
そう、今日電話の相手と会うことは、真相を明らかにするには必要なことなのだ。
「やっぱ詐欺とかの可能性もあるしな……」
何事も最悪のケースを考えることがリスクを最小限にする。リスクマネジメントの鉄則である。
水戸瀬を名乗る女が、僕を宗教に引き入れようとたり、高額な壺を買わせたり、なんて展開もあるかもしれない。
美味しい話には裏があるものだ。
気をしっかり持とう。
そうやって現場に行くまでの間は、高揚と疑念の間をふらふらしていた。
*
「あっ」
店員の案内で個室に通されると、そこにはメニューを広げている女性の姿があった。
僕を見ると、大きな瞳を丸くして、口元に笑みを作る。
「ひさしぶりじゃん!」
「……よ、よう」
それが水戸瀬本人だということは、すぐに分かった。たいへん遺憾なことに、悔しいことに、すぐに気づいてしまった。
あの頃教室でたまに目にした、無邪気な笑みは忘れもしない。
陰ながらずっと目で追っていた子だ。
僕なんかと恋人になってくれて、色々な思い出をくれた女の子。そんな彼女との再会は、思った以上に胸にくるものがあった。
そんなこちらの気持ちなどお構いなしに、水戸瀬の方は「早く座りなよ」と軽い調子で促してくる。十年以上も空いているのに、なんだか拍子抜けするぐらいあっけない反応だった。
「う、うん……」
「はろー、元気してた?」
なんて言いながら綺麗な掌を僕に向けてひらひらと動かす。
席に座ってからも、自然と彼女の動きや表情を目で追ってしまう。
改めてみた水戸瀬は、本当に、あの頃の彼女をそのまま大人にしたような雰囲気だった。
やっぱり切れ長の瞳は美しくて見惚れてしまいそうになる。
髪の色は、当時のような茶色ではなく、サラサラの黒髪になっていて、首下ぐらいまでしかないボブカットになっている。
「はろぉ?」
いけない、返事をするのを忘れていた。
「ああ……水戸瀬さんは、まあ元気そうだな」
彼女は一瞬笑顔をこぼしそうになって、おや? という驚きの顔をする。
「なんで苗字? 昔みたいに名前で呼びなよ」
「え? いや……そんな風に読んでたっけ?」
ろくなセリフが出てこない。
取り繕うように言うと「わすれたのー?」と彼女は唇をとがらせた。
「前はそう呼び合ってたじゃん。こっちがタケルで、そっちはアキサって呼んでたよ」
そんなことあっただろうか。忘れてるだけ? 思い出そうとすると、また色んな記憶に翻弄されそうな気がした。
「まあとりあえず飲み物たのもうよ……」
とりあえずこの場はごまかすことに決めて、僕もメニューを手に取る。
「そだね」
水戸瀬は終始ニヤニヤしながら見つめてくる。
恥ずかしい気持ちをごまかすように。メニューで顔を隠してやり過ごした。
想像してたよりもずっと、やばい。
感情を殺せと命じても、正常には戻ってくれない。
水戸瀬が僕の再会を喜んでいるように見えてしまうからだ。
そんなはず、ないのに。
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