第3話(2) 別れ(3)
濃い土煙が舞い、視界が霞む中で、薄紫の光だけが激しく動く。
「はっ……!」
ハルカの口から、ほとんどただ息を吐き出しただけのような声が漏れる。そして彼女が持つ剣は、二体の天使の体を両断し、赤いコアを砕いた。
「あと、九九……がぁっ……」
ハルカは残りの天使の数を呟いたあと、膝から崩れた。
――ハルカ!
ヤシャが叫ぶ。
ハルカが顔を上げると、天使がハルカの体をめがけて槍を突き刺そうとするのが見えた。しかし、ハルカにそれを回避するエネルギーはなかった。
やっぱり多勢に無勢すぎたか……。ハルカが心中で呟いた、次の瞬間のことだった。
「……え……?」
その天使が吹き飛び、そしてそのまま砕け散った。
我に返ったハルカが辺りを見回すと、複数人の、抵天軍の兵士を見つけた。
「リートミュラー大尉と、ウラス、たち……?」
その兵士たちが見知った顔であると知り、ハルカは力なく呟いた。
「……総員、あいつらを殲滅せよ!」
カイが叫んで号令を出し、それと同時にウラスたちが飛び出した。
「小隊長、ご無事ですか!?」
ウラスがそう言いながらハルカに駆け寄り、肩を支えた。
「あはは……まあ、なんとか……」
ハルカは喘ぎながら、苦笑して返答する。ウラスは目に涙が浮かんでいた。
そしてウラスはハルカをゆっくり立ち上がらせると、天使のいない方に連れて行き、そして離れた場所で座らせた。
「とりあえず、小隊長は一旦休んでください。ここは私達が」
ウラスはそう言って、戦闘の渦中に戻っていった。
「はぁ、はぁ…………戻って、ヤシャ」
ハルカは、ヤシャを宿天武装から出した。
――……どうしてあんな無茶をしたんだ、ハルカ。
宿天武装の拘束が解かれ、自由に喋れるようになったヤシャが問い詰める。
「……ごめん、反省してる」
――そろそろヤバかったんだからね。
「わかってるよ……でも、
ハルカは強く、そう言い放った。
――でも、全部のリミッターを外すなんて正気の沙汰じゃないよ……! そこまで外されると僕じゃどうにもならないってわかってるでしょ?
ヤシャは声を荒らげた。
「……ああ、ここにいたか。体調はどうだ、曹長?」
そこに、カイがやってきた。
「あ、大尉……天使たちはどうなりましたか……?」
「お前が減らしてくれたおかげで、なんとか全部倒せた。その点だけは礼を言っておく」
ハルカの質問にカイはそう返す。
「だが、戦場で単独行動はいただけないな……俺が言えた話でもないが。まあ無事ならそれでいい。戻るぞ。伝えたいことがある」
カイはそう言葉を続けると、
「リートミュラー大尉よりオプステルテン中佐。アマミヤ曹長を回収しました。今からそちらに戻ります」
カイはディックからの返答を受け取ってから通信を切り、ハルカの小隊を呼び集めた。
ハルカは、歩ける程度には回復していた。
しかし、天使たちは次の手を打ってきた。
「閣下! 新たに天使の集団が現れました!」
一人の兵士がエイステンに報告した。
「数と場所は⁉」
「や、約八〇〇、場所は……第三支援連隊の陣地から西に約四百メートル!」
「目と鼻の先ではないか……! 第三支援連隊に後退するように伝えろ! 近くにいる部隊を向かわせる。一番近いのは……」
「最も近いのは第三支援連隊と合流した第七遊撃大隊、次点で付近に展開中だった第五遊撃大隊、直線距離であれば第二統合戦闘団も急行可能です」
エイステンが地図を見始めたとき、別の兵士がそう言った。
「……第七遊撃大隊か」
一瞬の思考。しかし次の瞬間、エイステンは言った
「第五遊撃大隊を前に出し、第七遊撃大隊の動けるものがそれに加勢、それと同時に天使の後方に第二統合戦闘団を展開させる。急げ!」
エイステンは兵士たちを急かした。
「……閣下、もっと近くに、戦える人間は残っています」
一人の兵士が、冷たい声で言った。
「まさか……!? いや、しかし……それはあまりにも……」
隣にいた兵士が呻くように言う。
「…………アマミヤ曹長か」
エイステンが、発言した兵士の顔を見て言った。
「時間稼ぎにはなるかと。報告によれば、彼女は宿天武装の第五リミッターを外して戦っていたようですし」
兵士たちに、二重の意味で衝撃が広がる。
「それは、アマミヤ曹長に『死ね』と言っているようなものではないか!」
エイステンは声を荒らげた。
同時刻、第七支援連隊陣地。
第三支援連隊連隊長、ジョージ・キリサワ大佐が、兵士たちに言った。
「天使が近付いている。後退せよとの命令だ。我々はここから南東に二キロメートルほど移動する。総員、負傷者や物資の移送にかかれ」
兵士たちの間にざわめきが起こった。
「これは命令だ! 急げ!」
天使の新手の情報とエイステンの指示は、全員に伝えられた。
「行かせてください、大尉!」
ディックのもとに戻る途中でそれを聞いたハルカは、すぐに飛び出そうとした。が、それをカイに止められた。
「いいわけあるか! 確実に死ぬぞ、曹長! 第一、そんな状態で何ができる!」
カイは叫んだ。
「第五遊撃大隊の到着まで時間稼ぎくらいはできます!」
奇しくも、ハルカの考えはエイステンが却下した案と同じであった。
「何を言ってるんですか、小隊長! それでは……それでは小隊長が……!」
カイの横から、ウラスが言った。
そんな問答の最中にも、天使たちは止まらない。
「……危ない!」
一人が空を見て叫んだ。
少し前に暴れた天使が放った杭と同じものが、ハルカたちめがけて……侵攻ルートに合わせて一帯を薙ぎ払うように放っているのだろうが……降ってきた。
土煙が舞い、何人かが被弾する声がした。それぞれが自分を守ったが、間に合わなかった者もいたのである。
「ぐあっ……」
ハルカもその一人であった。ハルカは宿天武装の起動が遅れたために、杭の雨を回避しきれなかったのだ。
彼女の胸部と右腹部、そして左足は杭に貫かれていた。
「ぐっ……」
ハルカはうめき声を上げる。
「小隊長、しっかりしてください!」
ウラスが駆け寄り、抱き起こす。
「ヤ、シャ……」
ハルカが呟く。
――ハルカ、ハルカ! 死んじゃ駄目だ!
ヤシャは叫ぶ。
――僕の魂でも、なんでもあげるから……!
ヤシャはただならぬ覚悟を持った声で、そう叫んだ。
次の瞬間、ハルカの周囲が半球状に、白い光に包まれた。
「ッ……⁉」
あまりの光量に、ウラスが目をつぶる。
「ハ……カ」
誰かが自分を呼んでいる。ハルカは薄い意識の中でそう認識した。
「――ハルカ!」
ハルカはハッと目を覚ます。
「え……ヤシャ……?」
地面に横たえられたハルカの視線の先には、ヤシャがいた。
「……ここは?」
ハルカは周囲を見回しながら上半身を起こす。その体は傷一つない、綺麗な状態だった。
「言うなれば、君の精神世界……かな?」
「精神世界……?
精神分離システム、Spirits Separation Systemとは、悪魔と宿天武装の使用者との間を隔て、融合を防ぐための安全装置である。
双方の同意があれば外すことはできるが、焦燥したヤシャと気を失いかけていたハルカの間にそんな同意はなかったはずである。
「わからない。でも、一つだけわかってることは、君が死にかけているってこと、それだけだ」
「うん、覚えてる……新手の天使たちが現れて、その攻撃を受けて……他のみんなは!?」
ハルカはヤシャの肩を掴み、問いただした。
「安心して、みんな軽傷だ」
ヤシャはハルカの腕に触れながら言う。それを聞いて、ハルカは胸をなでおろした。
「それで、本題なんだけど」
ヤシャは声音を変えた。
「君はこのままだと確実に死ぬ……ほら、今もこの空間が崩れようとしてる」
ヤシャは遠くを指差した。その先には、真っ白な空間に黒とも赤とも見えるヒビが入り、砕けようとしている光景があった。
「もしかしたら、僕は君を助けられるかもしれない」
ヤシャは目線を戻し、ハルカを見ながら言った。
「……ハルカ、僕と、魂を繋げてくれ」
ヤシャは半ば震えた声で言った。
「魂を繋げる」……それはすなわち、悪魔と人間が一つになるということだ。当然、下手をすれば元には戻れなくなる。だからSSSという安全装置があるのだ。
「良いの……?」
ハルカは尋ねる。
人間が人間に戻れなくなる可能性があるように、悪魔も悪魔に戻れなくなる可能性があるのがこの行為である。ほとんどありえない状況に、ハルカは戸惑った。
「僕は構わない。あとは、君がどうするかだ」
ヤシャはきっぱりと言い切った。
「ヤシャって、たまに悪魔みたいな選択肢を押し付けてくるよね……そんなの、『死ぬ』か『人の生を外れる』かの選択じゃん」
「外道なのは重々承知してる。君が人でいられるように、僕も努力する……だから……」
「良いよ、やる。私のすべてを、君にあげる……スオウとの約束を破ることになるのは心苦しいけど…………」
ヤシャの言葉を遮り、ハルカは言った。
「それじゃあ、いくよ……!」
ヤシャはハルカの手を取った。
次の瞬間、ハルカを包む光は柱となり、天に昇っていった。
「は……?」
カイが呆然とそれを見上げる。
「まさかあの悪魔、精神分離システムを突き破ったのか……⁉」
カイが「ありえない」という顔をしながら言う。
光が収まると、カイが見上げた先にはハルカがいた。ただ、それは、人間にしては異様な姿だった。
薄い光をまとい、黒い翼を持ったハルカがそこにいた。
「あれは……いったい何だ⁉」
エイステンが叫び、確認させた。
「あれは……あ、アマミヤ曹長です……!」
「……SSSか!」
エイステンも、カイと同じような結論に至った。
ハルカは天使たちの方に向かって
『君が僕と完全に繋がる前に片付けよう。全力で行くよ!』
「オーケー……!」
ハルカは天使たちの直前で停止し、剣を空に掲げた。
「弾けろ……!」
『弾けろ……!』
ハルカとヤシャは全く同時に叫び、剣に力を込めて振り下ろした。
一筋の光線が天使たちに降り注ぐ。
「はあっ……!」
ハルカは剣を振るう。
光線の先にいた天使たちは跡形もなく砕け散り、みるみる数が減っていった。
「まだまだ……!」
ハルカは叫び、さらに一撃を加えようとしたが、その通りにはならなかった。
天使たちが、撤退を始めたのである。
次々と姿を消す天使たちを見ながら、ハルカは全身の力が抜けていくのを感じた。
「なん、で……」
『一気に、力を……使いすぎたんだ……僕も、ちょっとマズい……』
背中の翼が、光の粒となって大気中に散っていった。
支えを失ったハルカの体は、重力に従って落ちていった。
土煙を上げ、ハルカの体は平野に落下した。
「終わった……のか……?」
消えていく天使たちを見て、エイステンの幕僚の一人が呟く。
「ああ、終わった……アマミヤ曹長の回収を急げ!」
エイステンがそれに反応し、そして指示を出した。
かくして、第二次エルサレム防衛戦は終結した。結果は防衛成功で人類の勝利ではあろうが、人類は多大な損害を被った。
結局、天使たちの目的は何もわからなかった。
「見つからない……だと⁉」
ハルカの回収に向かった第五遊撃大隊の報告を、司令部の師団長室で聞いたエイステンは、執務机を叩き、言った。
「そんなはずはないだろう! あそこは草も少ししか生えていない平地だぞ!」
「はっ、しかし見つからないのです。何度も捜索しましたが、やはり……」
報告に来た兵士は姿勢を正してそう返した。
「どういうことだ……!」
ハルカの捜索が打ち切られる二日前のことであった。
防衛戦終結から五日後、つまりハルカの捜索が打ち切られてから三日後の夜に、カイは第三支援連隊本部に併設された病院を訪ねた。
「調子はどうだ、スオウ」
気を失っていたスオウが目を覚ましたという報せを受けたのだ。
「あ、このあいだの…………」
スオウはカイの名前を思い出そうとしたが、できなかった。名乗っていないから当然である。
「俺はカイ。カイ・リートミュラーだ」
名乗っていなかったことに気づいたカイが名前を告げた。
「カイ…………ねえちゃんは?」
スオウはキョロキョロと辺りを見回し、尋ねた。
「あー……ええとな、今日はその話でここに来たんだ」
カイは言葉をつまらせながら言う。「姉が消息不明」という事実を聞いてスオウが耐えられるかが気にかかっていたのだ。
「その……落ち着いて聞いてくれ。お前の姉さん、ハルカ・アマミヤ
捜索打ち切りとともに、ハルカは「戦死」という扱いになったため、二階級特進で中尉になった。
カイはスオウの顔を伺う。
スオウは突然突きつけられた事実に思考がついていけず、どんな反応をすれば良いのかわからない、という様子だった。
「ほんとうに……?」
スオウは、なんとか絞り出したような声でそう尋ねる。
「…………ああ」
カイもまた、重たい声で返した。
「……これだけは見つかった。お前が持っていてくれ」
カイは、手に持っていた宿天武装を、スオウが使っているベッドの隣に置いた。
それは若干土で汚れていたが、綺麗に整備されていた。
「すまん、また来る。じゃあな」
時計を確認し、カイは急いで部屋を出ていった。
カイが出ていくと、スオウは脇に置かれたハルカの宿天武装を少し引きずってベッドに乗せ、抱えた。
そしてスオウはうつむき、泣き出した。
母親を失い、唯一の家族となった姉をも失ったのだ。それも当然の反応だろう。
スオウは目をつぶる。すると、誰かの声が聞こえた気がした。
――ごめんね、スオウ君……僕には……これが、限界だった……。
吹けば消えてしまいそうな、か細い声だった。スオウには、それが誰なのかはわからなかった。
しばらく泣き続けたあと、スオウは泣き疲れて眠りに落ちた。
カイが再び訪ねてきたのは、その二日後の朝ことだった。
「原隊に戻ることになった」
唐突なカイの言葉に、スオウはポカンとした表情を浮かべた。
「まあわからんよな……あー、ここを離れることになったんだ」
カイは頭をかきながら言い直した。
その言葉に、スオウは驚き、目を見開く。
「それで、ものは相談なんだが」
カイはスオウを見て、話を切り出す。
「俺と一緒に来ないか?」
つまるところ、カイは、戦災孤児となったスオウを自分が引き取ると言っているのである。
「えっ?」
スオウは唖然とする。
「返事は明々後日までに頼めるか。自分勝手なのはわかってるが、考えておいてくれ」
そう言ってカイは去ろうとした。
「……いく」
しかし、スオウがそう呟いたのを聞いて引き返した。
「そうか……!」
「
スオウは目を伏せ、呟く。
「う、すまん、無神経だった」
「ううん、いいよ」
カイが謝ると、スオウは首を横に振って言った。
「とりあえず、出発は五日後だ。聞いた話じゃ、明日には退院できるみたいだしな」
カイはスオウの頭をクシャクシャと撫でた。
新暦一四二年、夏。
手痛い被害を受けながらも、人の営みは終わらない。
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