第2話(2) 別れ(2)
「……おかしい」
追ってきた天使を一掃し、移動を開始してから一キロメートルほど歩いて小休止となってから、ハルカが呟いた。
「どうしたんですか、小隊長?」
近くにいたウラスが尋ねる。
「さっきから衛生科の人が見当たらないの。負傷兵もほとんどいないし……」
ハルカは悪い予感を抱えながら周囲を見回す。
そこに、沈んだ表情のエルデムリがやって来た。
「…………小隊長、こちらがディック大隊長から渡された損害報告です」
ハルカはエルデムリの手からメモ用紙大の紙を取り、食い入るように見た。
「衛生科のテントとシェルターが崩壊……衛生科三十人、及び治療中の負傷兵十八人、付き添いの兵士八人の全員、民間人三十人の計五六人が、死亡……? じゃあ、ブルンベルヘンと、マシェフスカヤは……」
ハルカの声が震える。
「残念ながら……」
エルデムリもまた、絞り出すような声で返した。
「ッ…………!」
ハルカは目を伏せ、走り出した。
「あっ、小隊長!」
「曹長……!」
「スオウ、スオウ!」
ハルカは民間人の間を、スオウの名前を呼びながら走る。
「ねえちゃん!」
ハルカの声に反応し、スオウがハルカを呼び止めた。
「スオウ……! 良かった……」
ハルカはそう呟き、スオウに駆け寄った。
「お母さんは、どこ?」
ハルカが尋ねると、スオウは暗い顔をしてふるふると首を横に振った。
「そっ、か……」
的中してしまったハルカの悪い予感。半ば予想していたことであったが、ハルカは、親しい人間三人の死に、いやそれだけでない、見知った人間何人もの死に打ちひしがれた。
彼女は静かに涙を流した。
「ねえちゃん、泣かないで」
スオウがハルカにかけた言葉は純粋だったが、残酷なものであった。
「……あはは、はは……」
ハルカは乾いた小さな笑い声を上げたあと、しゃがみ込んでスオウを抱きしめた。
「わかってた……予感はしてた、けど、流石にこれは、キツいなぁ…………」
さっきまで生きていた人が突然死ぬのが戦場だと、約束された次の瞬間などありはしないのが戦争だと、理解はしていた。しかし、理解していることとその現実を直視できるのは違う。
ハルカは虚ろな声で呟きながら、スオウを抱きしめる腕に、無意識に力を込めた。
「いたいよ、ねえちゃん」
スオウがそう声を上げたことで、彼女は我に返った。
「ご、ごめん、スオウ……!」
ハルカは謝り、すぐに腕の力を抜いた。
スオウがハルカを仰ぎ見ると、ハルカは強い殺気を帯びていたように感じた。
「ねえちゃん……?」
「何?」
スオウが呼ぶと、ハルカはその殺気を抑えて微笑み、反応した。しかし、その微笑みは無理やり作ったような、硬いものだった。
「あ、いや、何でも、ない……」
その表情に、スオウは言葉を飲み込んでしまった。
「そっか…………ごめんね、スオウ」
ハルカは再び謝り、スオウをもう一度、優しく抱きしめた。「貴方を独りにしてしまうかもしれない」という言葉を、必死に押し止めながら――。
それから数秒後。
「アマミヤ曹長、上を!」
ハルカを追いかけ、そしてやっと見つけたエルデムリが叫んだ。エルデムリの後ろには、ウラスやストリーチェクたちがいた。
「ッ⁉」
ハルカは一瞬で立ち上がり、エルデムリが行った通りに上を見た。
そこには、天使が放ったのだろう、何百、何千もの巨大な石の杭が降ってくるのが見えた。
「みんな、近くの人を守って!」
ハルカの咄嗟の指示に、ある者は降ってくる杭を弾き飛ばし、またある者は盾で人々を庇った。
「ヤシャ!」
――了解! 出力を上げる……!
ハルカもまた、近くにいた人、つまりスオウを庇った。向かってくる杭を片端から粉々にしたのである。
周囲に悲鳴と轟音が響き渡り、土煙がたった。
杭の雨は止むまでに約十五分を要した。
杭の雨が止むと、それから生き延びた兵士たちが周辺を確認した。見ると、人が数十人はいたはずの建物が完全に崩壊していた。そして土煙が次第に晴れるにつれて、惨状が目に入ってきた。
「ゲホッケホッ…………これは……⁉」
誰かが唸るように呟いた。
杭の雨を生身で受けることになった人々はほとんどが即死。なんとか生き残った者も、命は助からないような重傷を負っていた。
周囲には、血と砂が混じった泥と、バラバラになり砂埃を被った人の死体があった。
「スオウ、大丈夫⁉」
ハルカは血相を変えて、惨状をなるべく見せないようにしながらスオウに尋ねる。
「う、うん。ありがとう、ねえちゃん」
スオウは恐怖に耐えながらそう答えた。
「よかった……」
ハルカは一瞬だけ胸をなでおろした。
「曹長、無事ですか?」
その直後、ハルカのもとに、ザンディが駆け寄ってきた。
「私と
ハルカはザンディの質問に返答したあと、言葉を詰まらせた。
「……酷い有様です」
ウラスが暗く細い声で言った。
「軍曹、ストリーチェク軍曹! 目を……目を開けてください……!」
「マグラッシ曹長! 返事をしてください、曹長!」
当然ながら、兵士たちの損害の軽くはなかった。ストリーチェク軍曹やマグラッシ曹長を含めた二十人の兵士が、腹部や胸部、頭部などに杭の直撃を受けて死亡した。
「嘘……ストリーチェクたちが……?」
報告を聞いたハルカは、衝撃のあまり膝をついた。
あまりに呆気ない戦死に、精神がついていけなかったのである。
「曹長、立ってください! 第二波が来ます!」
ザンディが叫んだ。
彼の言う通り、空には再びおびただしい量の杭が浮かんでいた。それも、その何割かはハルカの方を向いていた。
しかし、ハルカの動きは鈍かった。これまででボロボロになったメンタルが立ち直れなかったのである。
確かにハルカは、白兵戦においては強い。しかしながら精神面では弱かった。初めて経験する仲間の戦死の衝撃は、彼女にとっては非常に重いものだった。
「ぐっ……曹長!」
ザンディが再び叫ぶ。彼は彼自身と数人を守るのに精一杯で、ハルカのもとへは行けなかった。
十数本の杭が、ハルカと、それに庇われたスオウに向かって降ってくる。
「させるか……!」
そこに、一人の兵士が飛び込んできた。
「エルデムリ……⁉」
ハルカたちと杭の間に入り込んだエルデムリが剣を構える。
「はあっ……!」
エルデムリはそのまま飛び上がり、ハルカたちに向かっていた杭を叩き落とす。
しかし。
「がっ……!」
エルデムリが突然、うめき声を上げながらかなりの勢いで落下した。
彼は勢いそのまま地面に叩きつけられる。その胸には、あの杭が深く突き刺さっていた。砂埃が舞っていたために、遅れて飛んできた最後の一本に気付けなかったのだ。
「エ、エルデムリ……!」
ハッと正気を取り戻したハルカが叫び、駆け寄る。
「ご無事ですか、曹長……」
エルデムリは血を吐きながら尋ねる。
「喋らないで! 今手当を……」
「それは、駄目です……資材も、少ない状況で、私にそれを割く必要は、ありません……」
なんとかして応急処置をしようとするハルカを、エルデムリは止めた。
「でも……!」
「戦場に、『でも』も何も、ないでしょう、曹長……!」
引き下がらないハルカに、エルデムリはきっぱりと、強くそう言った。エルデムリがハルカに対して語気を強めた。
「あなたは、強い。私は、あなたとともに戦えて、幸せでした、よ……」
エルデムリはそう言って、そのまま息絶えた。
「エルデムリ……? エルデムリ……!」
ハルカが、エルデムリを揺さぶる。しかし当然、反応はなかった。
そして、天使たちに容赦はない。
確実にハルカを狙った軌道で、三度目の杭が降ってきたのである。
ハルカは急いでスオウを庇う。しかし、その姿勢では自分の身を守れないのは明らかであった。
「はぁ――――!」
だが次の瞬間、ハルカたちに向かっていた杭は、何者かの叫び声とともに全て粉々に砕け散った。
「戦場でボサッとするな! 死ぬぞ、アマミヤ曹長!」
その声の主は、ハルカに向き直って言った。
「リートミュラー、大尉……」
ハルカは声の主、カイ・リートミュラーに向かって呼びかけた。
「立て、曹長。
カイが言い放った言葉に、ハルカは目を見張る。
「…………大尉……この子を、私の弟をお願いします」
ハルカはカイにスオウを預け、カイの返事も聞かずに飛び出した。
「おい、曹長! 一人で行くんじゃない……!」
カイはそう言った後、スオウを見た。
「……お前、名前は」
カイが尋ねる。
「スオウ……スオウ・アマミヤ」
「オーケー、スオウ。とりあえず俺と一緒に来てくれるか?」
スオウが名乗ると、カイはスオウにそう言った。
「ねえちゃんは……?」
スオウはハルカが走り去った方を見て言う。
「姉ちゃんはお前を守るために戦ってる。それなのにお前が死んじまったら駄目だろ?」
カイがそう言うと、スオウはこくんと頷いた。
「だから、安全な場所まで避難するんだ。わかったか?」
スオウは再びこくんと頷いた。
「よし」
カイはかがんでスオウの頭を一撫でし、そして立ち上がる。
「急いで行くぞ、ついてこい」
カイはスオウを連れてディックがいる方向に走った。
ハルカは、杭の雨の中心に向かって走る。
――ハルカ、ハルカ! 何するつもり⁉
「これだけ大規模な攻撃、どこかに元凶がいるはず。さっさとそれを叩くのが、被害拡大を防ぐ最善手でしょ」
慌てて問いただすヤシャに、ハルカは走りながら答える。
――確かにそうだけど……。
ヤシャは言葉を詰まらせる。
「私はもう、何も失いたくない。だから……!」
固い決意とともに言い放たれたハルカの言葉。その最後の一言は、もはや命令の域だった。
――…………本当に、死なないでよ。
ヤシャはその「命令」に従った。
「ありがとう、ヤシャ」
ハルカは町の中を走りながら感謝の言葉を呟く。
「……リミッターを三段目まで
ハルカは、宿天武装にかけられた五段階のリミッターのうちの三つを解いた。こらのリミッターは、悪魔の強大な力から使用者を保護するためのものだが、それを解いたのである。
つまるところ、ハルカは死をも受け入れる覚悟であった。
――本当に良いんだね、ハルカ?
ヤシャは最後の確認をする。
ハルカは沈黙を以て肯定とした。
――じゃあ……行くよ。
ヤシャが、制限されてきた力を一部解放した。
「ぐっ、ああっ……!」
突然流れ込んできた力に、ハルカは身悶える。
「良いよ、ヤシャ……その、調子……」
ハルカはそう言ったあと、
「……見つけた」
ポツリと、屋根の上でハルカが呟く。視線の先を見ると、空に一体の天使が浮かんでいた。それが手を天にかざすと、空中に無数の杭が出現した。
その杭は、ハルカに向かって飛んでくる。
「行くよ……!」
ハルカは杭が飛んでくる方向に走り出す。
そして、杭を足場にしながら天使に近づいていった。
「落ちろ、天使……!」
ハルカは低い声で叫んで剣を振り下ろし、天使の右半身を叩き切る。
そして勢いそのまま、天使の体に剣を突き立て、地面に衝突させた。
地面にはクレーターができ、天使は粉々に砕け散った。
「はぁ、はぁ……」
ハルカは剣を振って刃についたものを払い、息を整える。
その後ハルカが確認すると、ほとんど一瞬のうちに周囲を天使に囲まれてしまっていた。
――ざっと数えて二五〇……エルサレムに投入されてる全戦力っぽいね。
力をある程度解放したことで大規模な索敵が行えるようになったヤシャが言う。
「つまり、ここで、こいつらを全部倒せば、この戦いが終わる……って、こと、でしょ?」
ハルカは息も整いきっていない状態でそう返す。
――だけど危険だ、ハルカ。君の体はもう限界が近い。そんな無理はさせられないよ。一旦逃げよう……!
ヤシャは切実な声で言った。
しかし、そんなヤシャとは対照的に、ハルカは前へと歩を進める。
「逃げるにしても、戦うにしても、どっちみちこの大群を突っ切らないことには始まらないよ、ヤシャ……!」
ハルカは自身を取り囲む天使たちに向かっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます