第11話 少女の正体(3)
エーリッヒは戸惑いながら呟き、さらに資料を出した。
「これは……?」
エルヴィンが問う。
「これはランゲンツェンから送られてきた、天使が出現した瞬間と直後のレーダーの観測データ」
エーリッヒは返答しながらその資料を机に置き、隣にまた新しい、同じような資料を並べた。
「そしてこれは、あの
彼の言う「レーダーの観測データ」とは、いわば「空間の乱れ」を波の形で表しているものだ。
天使たちはワープするように現れる。その瞬間、天使たちの規模によって程度は変わるが世界の
データ自体は地震の揺れを記録した波のようになっており、普通は出現する前後で乱れが爆発的に大きくなり、その後小さな揺れが続くのである。
「確かにこれはよく似ているな……でも」
「……でも、明らかに違う所がある……」
呟いたエルヴィンの言葉を遮るようにスオウが補足した。
「そう。あの少女が起こした乱れは、
二つの波を見比べると、それが明らかに違う点だった。先述の通り、「天使」が出現すると消滅するまである程度空間の乱れが続く。
そもそも、様々な法則で固められた状態にある世界をこじ開けて地上に存在しているようなものだから、世界に影響を与え続けていても不思議ではない。
しかし、少女の場合は違う。ということは、全く同じ存在であるとは考え難いのだ。
「……でも、あいつが現れた過程を見たら、人間じゃないのは明らかなんじゃ……」
スオウは問う。
「うん。だから『一応ヒト』なんだよ、スオウ君。生物学的にはほとんどヒトなんだけど、いまいちまだ『人間』だとは断定できない状態にある」
エーリッヒはその問いに、そう説明して返答した。
「……そのあたりも含めて、僕としてはしばらく観察して様子を見たいんだけど……どう思う?」
続けて自身の思ったところを述べ、そしてスオウにそう投げかける。
「うーん……
「やっぱりそう思う? でも、個人的には
二人の会話に、突然指示語が増えた。関係の浅い者には何を言っているのかわからなさそうな会話だが、スオウとエーリッヒの共通の知り合い、カイ・リートミュラーの話題である。
「兄さんとなら簡単に連絡が取れるし、抵天軍が周りにいてくれれば、不測の事態が起こっても対処できそうだからさ」
彼の言う「ありがたい面」が何なのか視線で問うスオウに、エーリッヒはそう説明する。
「まあ、たしかにその通りか……」
スオウはそれに納得して引き下がった。
「兄さん……あっ、そういえばアマミヤ、中佐に連絡しないと……!」
エーリッヒの言葉を聞いたエルヴィンは、まだ自分たちがカイに結果を伝えていないことを思い出して言った。
「それなら、もうしてありますよ。昼過ぎにはこっちに着くかと」
エーリッヒは「だから焦らなくていい」とエルヴィンをなだめる。
「あ、ああ……すまない、ありがとう」
エルヴィンは礼を言うと、思わず浮かしていた腰を落とし、椅子に座り直した。
「とりあえず、現時点で僕から伝えることは以上かな…………あっ」
一連の話を締めようとしたエーリッヒが、突然何かを思い出したらしく、パンと手を叩いて鳴らした。
「そうだそうだスオウ君、彼女の名前、わかるかな? データを保管するのにあったほうが便利なんだけど……」
エーリッヒいわく、名前があったほうが記録をつけたりファイリングしたりするのに都合がいいという。
「ああ、えっと、名前はまだ思い出せていないようなんですが、一応、俺が付けた名前なら……」
スオウがそう返すと、エーリッヒはまあそれでも構わないと言うので、スオウは言葉を続けた。
「……それなら、あいつの名前は……」
「――アイリス!」
しかし、彼の言葉は遮られた。スオウが名前を呼ぼうとした、まさにそのタイミングで、彼の後ろから少女の声がしたのである。
「うわっ、アイリス⁉ いつからそこにいた……?」
スオウは椅子から前方、エーリッヒの方へ飛び退くと、例の「少女」……もとい「アイリス」にそう尋ねた。
「えっと……『中佐に連絡しないと』って言ってるあたりかなぁ。みんな、全然気付いてないんだもん」
アイリスは「おっかしいの〜」と言って、クスクスと笑った。
「……そのとき、そんな気配あったか……?」
――……一応あった。ただ、信じられないぐらい薄かったが。
スオウがアイリスから顔を背けてボソリと尋ねると、アザゼルはまた苦々しい様子で返答する。最近アザゼルはよくアイリスに調子を乱されているような気がしたが、スオウは「そうか……」と返し、元の方向に向き直った。
「ええっと、アイリスちゃん、だったっけ。体の調子はどう?」
エーリッヒは一度名前を確認するように呼びかけると、アイリスに尋ねる。
「うん、全然問題ないよ。大丈夫!」
アイリスは胸を張り、トンと叩いて言った。
と、そのとき、胸を叩いたのに反応するかのように腹の虫が鳴く音が聞こえた。
「あ、あはは……」
アイリスは手で腹を押さえると、やや恥ずかしそうに笑う。
「まあ、一週間は何も食べてないからね……何か食べるかい?」
エーリッヒがそう言うと、アイリスは無邪気に首を縦に振った。
エーリッヒはそばにいた助手に、なるべく胃に負担のかからないものを持ってくるよう頼んだ。
再びエーリッヒの研究室の扉がノックされたのは、それから二十分ほど経った頃だった。
「エーリッヒ、君の助手から持っていってくれと頼まれたものがあるんだが……」
扉の向こうから、先程出ていった助手とは違う男性の声がした。
「っ……! トビア、帰ってきてたのかい?」
エーリッヒは扉の向こうの声の主にそう言うと、入室を促した。
トビアと呼ばれた声の主はドアノブに手をかけ、そして扉を開く。
「やあエーリッヒ……流石に食事を取るには中途半端じゃ……っと、おや?」
トビアは大きなカバンを肩にかけ、片手にトレーを持って部屋に入り、やや呆れたような声音でそう言ったが、部屋にいるのがエーリッヒだけでないことに気付いて言葉を切った。
「……あっ!」
「ああ……!」
次の瞬間、スオウとトビアの声が重なった。
「モンテメッツィさん!」
「この前のケルンの……!」
そう、トビアという人物とは、つい先日までスオウたちとともにランゲンツェンにいた研究員、トビア・モンテメッツィだったのである。
「ああ、そういえばトビアもランゲンツェンに行ってたね……トビア、それを食べるのは僕じゃなくて彼女だよ」
エーリッヒは納得したような様子でうなずいたあと、アイリスを指しながらトビアの言葉を訂正した。
「うん……? 君は、あのとき落ちてきた……⁉ 目が覚めたのか!」
トビアは半ば叫ぶような声を上げると、安堵のため息を吐いた。
「そういうことなら、確かに
そう言いながら、トビアは手に持っていたトレーをエーリッヒの机の端に置いた。
トレーの上に乗っていたのは、ちょうどその日の朝食として出されていた、ミルヒライスという粥のような料理が入った器だった。
「アイリスちゃん、これは食べられるかい?」
エーリッヒがアイリスに器を見せ、確認する。
アイリスは首を勢いよく縦に振ると、エーリッヒの机の近くに寄ってきてトレーを手に取り、空いていた椅子にポンッと座った。
そしてトレーを膝に置くと、パクパクとミルヒライスを食べ始めた。
「味はどうだ?」
トビアが尋ねる。
「美味しい……!」
アイリスは一瞬だけ顔を上げて即答すると、再び食べ始めた。
アイリスの言葉を聞いたトビアは「それは良かった」と独り言のように言うと、エーリッヒの方を向いてカバンのポケットを漁りだした。
「えーっと、確かこの辺りに…………ああ、あったあった」
探しものを見つけたらしいトビアが、エーリッヒに向かって手を出す。
「ランゲンツェンの辺りで調査をしていたら、こんなものを見つけてね。関係性があるかはわからないが、
トビアの手の中にあったのは、布に包まれた何かだった。
「ああ、ありがとう」
エーリッヒは布に包まれた何かを受け取ると、慎重に布を開いて中身を見る。
「これは……?」
その中にあったのは、くすんだ銀色をした、長さ三センチメートル、幅二センチメートルほどの小さな「鍵」だった。頭の部分に宝石のような薄黄色い石がはめ込まれるなどの装飾が施され、その石は月光に似たかすかな光を放っている。
そして細い紐が通されており、ペンダントのようになっていた。
「鍵……だな」
横から覗いていたエルヴィンが呟くように言葉を漏らす。
「うん。それも、装飾品として作られたものだと思う……」
「まあそうだろうな。形状からしてペンダントだとは思うが……」
エーリッヒが考察し、トビアがそれに同調した。
「……あっ!」
一方で、エーリッヒの手の中にある「鍵」を見た瞬間、アイリスが大声を上げた。
アイリスは膝の上のトレーを跳ね飛ばすように立ち上がると、エーリッヒの方に走る。
「それ、私の!」
そう言うと、エーリッヒが持つ鍵をまじまじと見つめ、やはりそうであると確信したように首を振る。
「……本当にそれはお前のものなのか?」
アイリスが跳ね飛ばしたトレーなどを受け止めて回収したスオウが尋ねた。
「うん! 間違いないよ!」
アイリスは強い自信を持って言う。
「うーん……念の為、検査してもいいかな? 終わったらすぐに返すから」
エーリッヒは手をどけると、すぐ近くにいるアイリスと目を合わせて尋ねた。
「本当に、返してくれる……?」
アイリスは心底不安な様子で言葉を返すと、エーリッヒは「もちろん。約束するよ」と返答する。
「……それなら……」
アイリスはエーリッヒの言葉を信用し、渋々ではあるが了承した。
そして元の椅子に戻ると、スオウからトレーを受け取り、食事を再開した。
あれだけテンションの振れ幅があっても、食欲はまだあるんだな……スオウはそう思って苦笑した。
――あの『
アザゼルは小さく、声になるかならないかという声量でボソボソと言う。
「うん? アザゼル、何か言ったか?」
アザゼル何か言っているのが聞こえたような気がして、スオウは尋ねた。
――…………いや、なんでもない。ちょっとした独り言だ、気にするな。
アザゼルは話すか否か少し迷ったが、そう言って誤魔化した。
もうしばらく、様子を見たほうがいいな……。
アザゼルは心中でそう呟いた。
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