第1話 別れ(1)

 新暦一四二年、エルサレムにある姉弟がいた。


 十八歳の姉、ハルカ・アマミヤと、六歳の弟、スオウ・アマミヤの二人は、父イツキ・アマミヤを病で亡くし、母親のフィリーネ・クライネルト・アマミヤと三人で暮らしていた。

 ハルカは抵天軍の曹長であった。兵学校で優秀な成績を収め続け、あっという間に昇進を重ねた姉を、スオウはいつも誇りに思っていた。

 アマミヤ家は決して裕福ではなかったが、家族の仲は良く、スオウたちは幸せだった。




 しかし、その年の八月。そんな平和な暮らしが崩壊した。

 エルサレム付近に、突如として天使の大群が出現。侵攻を開始したのである。

 これに対し、抵天軍第二管区総司令部エルサレムは即時応戦を選択。曹長だったハルカも、自身の小隊を率いて参戦することになった。

「ねえちゃん、しなないよね? かえってくるよね?」

 スオウが、招集されたハルカに向かって震えた声でそう尋ねる。

「だいじょーぶ。姉ちゃんはちゃんと帰ってくるから。私を信じなさい」

 ハルカは微笑み、スオウの頭を撫でた。そしてフィリーネに向き直り、言った。

「それじゃあ、お母さん、行ってきます。スオウをよろしく」

 フィリーネは黙って、しかししっかりと頷く。

 そして、ハルカは招集場所に向かっていった。



 本格的な戦闘が始まったのは、天使の出現から二日後のことであった。

 抵天軍は、地中海方面から進んできた天使を、エルサレムの西、約三十キロメートル地点で迎え撃った。

 当初は侵攻速度を抑えられていた抵天軍だったが、八時間もすると、次第に少しずつされはじめた。

 

 そしてその三日後。主戦場はついに、エルサレムの町中に移った。

 逃げ惑う人々の悲鳴、天使を穿うがたんとする抵天軍人の怒号、建物が崩れ落ちる音、交わる剣の甲高い金属音……様々な音が鳴り響く。


「くたばりやがれ、天使!」

「砕け散れ!」

 二人の男性兵士がそう叫び、真っ白な陶器のような質感の、いかにも作られたような天使の体に剣を叩き込む。

 この剣……いやそれだけではない。抵天軍が使う武器は、当然ただの武器ではない。悪魔などと契約し、その力を借りて戦う武器、「宿天武装」である。

「ザンディ、エルデムリ、後ろ!」

 先の兵士たちに、その上官らしき女性兵士が叫ぶ。

「ッ!?」

 その声に反応し、ザンディと呼ばれた男性兵士は急いで後ろを向き、剣を振った。

 その剣は、彼を突き刺そうとした三体の天使の「コア」を正確に捉え、その後すぐに体全体が欠片となって砕け散った。

「ふぅ……ザンディ、怪我は?」

 女性兵士が迫ってきた天使の大群を片端からなぎ倒し、一息ついてからそう尋ねる。

「大丈夫です。助かりました、曹長」

 女性兵士は、ハルカであった。ハルカは安堵のため息を吐き、言う。

「うん、それなら良かった……ヤシャ、次の天使はどこにいるかわかる?」

 ハルカは、彼女の「契約悪魔」である「ヤシャ」……名前はハルカがつけたものである……にそう尋ねた。

――ここから北西に約四百メートル、数は二十三。数が多い。気をつけて。

 ヤシャはそう答える。

「了解。北西四百メートル、数二十三ね。アマミヤ班、まだ行ける?」

 ハルカはヤシャの言葉を復唱し、そして彼女の班員を見やった。

「ザンディ上等兵、大丈夫です」

「エルデムリ軍曹、問題ありません」

「ブルンベルヘン一等兵、無事です。ですが……」

 無事だと応えたブルンベルヘンが言葉を濁らせる。

「ですが?」

 ハルカが聞き返すと、ブルンベルヘンは再び話し始めた。

「マシェフスカヤ一等兵が負傷。戦闘は無理です」

 負傷したマシェフスカヤを見ると、彼女は出血多量で気を失っていた。

「そう……ブルンベルヘン、マシェフスカヤを大隊本部にある、衛生科の救護テントまで連れて行って」

 ハルカはブルンベルヘンに言った。

「了解!」

 彼はその指示に従い、止血処置をしたマシェフスカヤを抱えて走り去った。

「残りの二人は私と一緒に行くよ。ついてきて!」

「「了解!」」

 ハルカの言葉に、ザンディとエルデムリが同時に返答した。


「あれかな…………ザンディは左、エルデムリは右をお願い。私は中央を叩く」

 ハルカが地面に伏せながら小声で言うと、ザンディとエルデムリが首肯した。


 そして、ハルカは突入するタイミングをうかがう。

「…………今! 突っ込んで!」

 ハルカが言うとともに、二人が飛び出す。それと同時にハルカ自身も飛び出した。

「はっ……!」

 エルデムリが、天使を背後から叩き切る。

「おらっ!」

 エルデムリの方に天使たちが引きつけられた瞬間、今度は反対側からザンディが切り伏せる。

「はぁーー!」

 そしてハルカが、中央に寄せられた天使たちを薙ぎ払う。

 歴戦の兵士たちによる、見事な連携だった。

「よし。これでここらの天使は片付いたかな、ヤシャ?」

 ハルカはヤシャに確認する。

――そのはずだけど……ッ⁉ まだだ、ハルカ! エルデムリが!

「なんだって⁉」

 ヤシャの言葉にエルデムリの方に視線を向けるハルカ。

「エルデムリ、後ろ!」

「なっ……⁉」

 ハルカが叫んだのを聞いたエルデムリは振り向いたが、既に間合いに入られ、防御姿勢を取る他に取れる行動はなかった。

「軍曹!」

 しかし次の瞬間、ザンディが叫び、エルデムリに向かって突進した。

「ザンディ、何を⁉」

 そのまま進んできたザンディは、驚くエルデムリを勢いそのままに突き飛ばし、彼と天使の間に挟まった。


 ザンディが振り抜いた剣が天使のコアを砕いたのとほぼ同時に、伏兵として現れた天使が振るった剣は、防御しようとしたザンディの腹部を捉えた。

「ぐっ……」

 ザンディが一瞬だけうめき声を上げる。

「ザンディ、大丈夫か⁉」

 エルデムリが走り寄り、尋ねる。

「なんの。この程度、問題ありません」

 ザンディはそう言うと、止血剤のボトルを開け、針を患部に刺して薬剤を打ち込んだ。

「ザンディ、くれぐれも無茶はしないで」

 立ち上がったザンディに、ハルカが言う。

「わかってますよ、曹長」

 ザンディはニカッと(「ニコッと」ではなく)笑って言った。

「しかし天使どもこいつら、なんかよりも数が多くないですか?」

 ザンディは露骨に話題を変えた。

「はあ……」

 ハルカは一瞬ため息を吐いたが、その話題に乗った。

「前回……第一次エルサレム防衛戦で手酷くやられたから戦力を増強して来てるのかも。何のためにエルサレムここに攻めてくるのかはわからないままだけどね」

 ハルカはそう言って肩をすくめた。

 そう。エルサレムが天使の襲撃を受けたのは、今回が初めてではない。十年前、ハルカが八歳のときにもあったのである


「ところで曹長、流石に一旦休憩を取りませんか?」

 ふと、エルデムリがハルカの方を向き、そう言った。

「疲れた? まあ無理も無いかな、朝からずっと動き回ってたし」

「いえ、私ではなく曹長です。日中の休憩の間もずっと警戒なさってたでしょう」

――そうだぞハルカ。今日だけで、さっきのが二〇三体目だった。少し休んだほうがいい。

 エルデムリの提言にヤシャが反応する。

「……いや、それはできないかな。私は戦わなきゃいけない。少しでも多く天使を倒さなきゃ。それに、休憩ならこんなふうに、ちょくちょくとってるから大丈夫!」

「曹長……」

 ハルカの拒否の言葉に、エルデムリは言葉を詰まらせた。


 と、その時。エルサレムの中心方面から大きな爆発音が響いた。

「ッ⁉ 今のは?」

 ハルカは警戒態勢をとった。

「……あの煙の位置は…………曹長! あれは恐らく、大隊本部です!」

 エルデムリが距離と方向を地図と見比べながら確認した後、ハルカに伝える。

「大隊本部って、まさか第七遊撃大隊うちのですか⁉」

 ザンディがそう尋ねる。

「ああ、多分だがな……」

 エルデムリがザンディに、唸るような声でそう返す。

「……ッ! ブルンベルヘンとマシェフスカヤ!」

 ハルカは声を上げ、通信機(これも当然、宿天武装だ)に手をかけた。

「ブルンベルヘン! 応答して! ブルンベルヘン一等兵!」

 ハルカは焦った声を上げる。

『ザザッ…………ザーッ……………ザーー………………………ブツン』

 通信機から聞こえてきたのは、酷いノイズと後ろに聞こえる瓦礫の音、そして悲鳴と怒号だけだった。

「まさか、天使の襲撃が⁉」

 ザンディが焦燥に満ちた表情を浮かべて言う。

「それなら救援に行かなきゃ……!」

「落ち着いてください、曹長! 一人で行って何ができると言うんです!」

 エルデムリが、焦燥に駆られ一人で走りだそうとしたハルカを引き留めて言う。

「エルデムリ……でも!」

「……第二小隊全員を集めましょう。それが無理でも、せめて二個分隊は……!」

 エルデムリは、小隊全員、つまり六個班三十人、もしくは二個分隊、つまり四個班二十人を招集するように提言した。

「……わかった」

 ハルカは通信機を取り、言った。

「小隊長から小隊各員、手の空いている者は至急、事前に伝えておいた緊急時の集合場所に集まって」

 各班から、その指示を了解する旨の返答が届いた。



 ハルカたちが爆発音を聞いたのと同時刻。第七遊撃大隊本部。

「何があった⁉ 状況と被害を報告しろ!」

 爆発が収まってから、大隊長、ディック・オプステルテン中佐が叫ぶ。

「天使の襲撃です! 被害は現在確認中、大隊長も戦闘の用意を!」

 一人の兵士がそう言う。

「なっ……⁉ わかった!」

 ディックは衝撃を受けつつ頷き、彼の宿天武装である銃を手に取った。

「報告します! 先程の攻撃により、救護テントが被弾! 医療班、及び治療中の兵士たちの生存は絶望的です……!」

 その報告によって、大隊本部に重たい空気が流れ始める。


 その一瞬の沈黙を破ったのはディックだった。

「…………総員、出られる者から応戦を始めろ! 大隊本部のシェルターに避難していた住民の避難も急げ! すぐにでも天使が直接乗り込んでくるぞ!」

 兵士たちがそれぞれ応答して走り去る。

「だが、大隊本部の戦力はかき集めてもせいぜい二個分隊……支援科や補給科の人間は住民の避難を優先させなければいけないから戦力には数えられない……ノイマン少尉! 大隊の各部隊に救援要請はできるか?」

 ディックは、副官のノイマン少尉に尋ねる。

「無理です! 先程の爆発で本体とアンテナを繋ぐケーブルが断線し、パスが切れました! それを繋ぎ直さなければ通信はできません!」

 ノイマンは確認し、ディックに返答した。

「そうか……駐屯している工兵中隊に繋ぎ直してもらうことはできそうか? できれば普通科の人員は戦闘に割きたい」

「そうですね……少し、掛け合ってきます」

 ディックの言葉に、ノイマンが本部テントから出ていく。


「大隊長! 敵軍、距離およそ百、数およそ九十!」

 観測員がディックに報告する。

「九十か……多いな」

 報告を聞いてディックが呟く。

「……よし、総員、撤退を進めつつ、民間人の避難を支援するぞ!」

 ディックが、応戦中の兵士たちに叫ぶ。

 それを聞き、兵士たちはそれぞれが返答した。

「大隊長! 工兵中隊がパスを繋ぎ直してくれるそうです!」

 それとほぼ同時に、ノイマンがディックのもとに走ってきて、そう伝えた。

「そうか……! 修復までどれくらいかかる?」

「あと四分で終わらせるとのこと!」

 ディックの質問にノイマンが返答する。

「わかった。ありがとう」

 ディックは頷いて謝辞を述べた。


 そして、工兵中隊が作業を終え、ディックに報告すると、ディックはすぐに通信機を手に取って通信を始めた。

「大隊長から大隊各員。現在、大隊本部が天使の攻撃を受けている。敵数はおよそ九十。至急応援求む! 繰り返す。現在、大隊本部は天使の攻撃を受けている。敵数はおよそ九十。至急応援求む!」

 そう言ってからディックは通信機を置き、ノイマンに向かって言った。

「少尉、ここで各部隊からの連絡を待ってくれ」

「中佐はどうなさるんです⁉」

 ディックの指示に、ノイマンがそう返す。

「私は戦闘に加わる。少しでも奴らを減らさなければならん。お前は、ここを頼んだ」

 ディックはノイマンに、そう念を押した。

「……了解!」

 ノイマンの返事を聞いて、ディックは最前線に走っていった。



 ハルカが伝えた集合場所には、ハルカたちが到着したとき、それよりも前に到着した五人がいた。

「あれは……ウラス?」

 ハルカが名前を呼ぶ。

「あっ、小隊長!」

 ウラスと呼ばれた女性兵士が、ハルカに気付き、走り寄る。

「ウラス軍曹以下五名、参りました!」

 ウラスと、ウラスの班員が揃って敬礼する。

「よしよし、今日も元気だね、ウラス。全員無事なら良かった」

 すり寄るウラスの頭を撫でながらハルカは言った。

「あれ? 小隊長、ブルンベルヘン君とマシェフスカヤさんはどうしたんです?」

「……二人の安否はまだわからない。その確認のためにも、大隊本部に行かなきゃいけないんだけど……」

 ウラスの質問に、ハルカは言葉を重くした。

「それは……申し訳ありません、小隊長。思慮が浅かったです……」

 ウラスはそう謝罪し、力なく下がった。


「小隊長、ストリーチェク軍曹以下四名、参りました」

 続いて到着したのは、ストリーチェクという男性兵士の班だった。

「欠けたのは誰?」

「フォルーハリ二等兵です。天使の攻撃をまともに受けて重体だったので、途中にあった第三支援連隊の陣地に預けてきました」

 ハルカが血相を変えて尋ねると、ストリーチェクはそう返した。

「それじゃあ、まだ生きてるね?」

「おそらくは」

 質問の回答に、ハルカは胸を撫でおろした。


「ティムーリ班、ミラディン上、等兵、参り、ました……ぐっ…………」

 血にまみれ、息もえの兵士がやってきた。

 その兵士にハルカが駆け寄り、尋ねる。

「何があったの!?」

「ティムーリ班、天……使との、戦闘により、私以外の全員が……戦死。通信機も……破損し、報告が遅れ、ました……申し訳、ありません……」

「そんな…………わかった。今すぐどこか治療できる場所に……えっ……?」

 ハルカがミラディンにそう言い、運ぼうとした瞬間、ミラディンは事切れた。

 彼は自分のいた部隊の全滅を伝えるために走り、そして、あまりにも静かに戦死した。


『ドーソン軍曹から小隊長、申し訳ありません、どうやら、貴女のもとへは行けそうに……』

 通信機から声が聞こえてきたが、その最後は突然の爆発音とノイズにかき消され、そして通信が途絶した。

「……なんだって⁉ おいドーソン! ドーソン軍曹! 返事しろ、馬鹿野郎!」

 エルデムリが声を荒らげる。

「ッ⁉ ドーソンはどうなった⁉」

 目の前で静かに死んだミラディンを見ていたハルカは、その叫びに我に返り、エルデムリに問いただした。

「わかりません……ただ、通信は途絶。考えたくはありませんが、他の班員からの連絡がないことを考えると、ドーソン班は、全滅……」

 エルデムリが、低く、絞り出したような声で言う。


『スライマーン軍曹から小隊長。申し訳ありません、現在天使と交戦中につき、そちらには行けません!』

『アトリー軍曹より小隊長。現在スライマーン班と合同して戦闘中! 十人全員、生存しています!』

 二人からの無線が続けて入る。

「アマミヤ曹長、了解。全員、無事に帰ってきて」

『了解……!』

 二人の返事がほぼ同時に聞こえた。


『大隊長から大隊各員。現在、大隊本部が天使の攻撃を受けている。敵数はおよそ九十。至急応援求む! 繰り返す。現在、大隊本部は天使の攻撃を受けている。敵数はおよそ九十。至急応援求む!』

 そしてその直後、ディックからの無線が届いた。

 ウラスたち九人の顔に、驚きと焦りの表情が浮かんだ。

「やっぱり、天使の攻撃を受けてたんだ……」

 ハルカはそう呟き、集まった九人に向かって言った。

「これより私達は、大隊本部の救援に向かう。全員、着いてきて!」

 九人のうち、すぐに頷いたのは数人だった。が、他の者もやがて、しっかりと頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る