第27話
「すごい! 本当に一面ラベンダーだ!」
見渡す限りラベンダー畑だった。
紫色だけじゃない。黄色や白、ピンク色がまるで虹のようになっているところもあった。
僕らは富良野にまでやってきていた。
有名なラベンダー畑だ。
写真ではよく見る場所だけど、実際に来るとそれ以上だった。
「ソータくんは前もここに来たの?」
「いや、確かあの時は来なかったんだよ」
「え? どうして?」
「どうしてだったかな……たぶん寄ってる時間がなかったんじゃなかったかな」
ちょっとうろ覚えだったけど、ここに来るのは初めてだった。
「ええ~? こんなに綺麗なのにもったいない!」
「僕もあの時来なかったことを後悔してたところだよ」
「あ、ラベンダーのソフトクリームだって!」
「ちょっと食べてみようか。あ、でも後でメロンにソフトクリーム乗ったやつ食べるんだっけ……」
「それはそれ! これはこれよ!」
「なるほど」
それには一理あると思った。
なので僕らはラベンダー畑を見ながら、ラベンダーのソフトクリームを食べた。
ここはちょっと小高い丘みたいになっていて、北海道の真っ平らな大地がよく見渡せた。
「……広いなあ」
それしか言うことがない。
もっと他に言うことはないのかって?
ないんだな、これが。
実際に来ればきっと分かってもらえるだろう。
この北海道の雄大な大自然の前では、どんな言葉を尽くしたところで無力でしかないということだ。
決して語彙力がないから何も思い浮かばないわけではない。
「うん。広いね」
真白さんもしみじみと、同意するように頷いていた。
それから僕らはお目当てのサンタのひげというところに向かった。
どん!! と半分に切られたメロンにソフトクリームが乗っていた。
「お、おいしそう……!!」
真白さんの目が輝いていた。
ものすごく輝いている。
確かにこれは見ているだけでけっこうわくわくした。
僕は普段、食べる前にいちいちスマホで写真を撮っている連中を見下していた。
どうせインスタとかに上げるんだろう。
それかツイッターに上げて「なう」とか呟くんだろう。
……やれやれ。
そんなことをしてる暇があればさっさと食べれば?
冷めるよ? 美味しくなくなるよ?
僕は絶対に何があっても、食べ物を写真に撮ったりしない。
そう、絶対にだ!!
「映え~」
めちゃくちゃ写真に撮った。
……いや、これは撮るでしょ。
まぁインスタもツイッターもやってないけど。
僕はSNSはやらない派だ。
なぜかって?
呟いても誰も見てくれないからだ。
「あ、そうだ。真白さん、ちょっとこっち向いて」
「え?」
ちょうど真白さんがスプーンをくわえていたところを写真に撮った。
「え!? ちょっと待って、いま写真撮った!?」
「うん、撮った」
「いや待って!? いま絶対変な顔になってたよね!? それ消して! 今からちゃんとポーズ決めるから!」
「ヒビキさんに送信」
「ええ!?!? いや待って!?!? ほんと待って!?!?」
速攻で返事が返ってきた。
『ありがとう。待ち受けにします』
思ったより丁寧な言葉が返ってきた。
……ヒビキさん、ラインでは敬語なのか。
不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。
「ヒビキさん、待ち受けにするって」
「やめて!?!?」
そんなこんなで富良野を満喫した。
……心の奥底では、この時間が後もう少しで終わることは分かっていた。
でも、思っていたよりも終わりが早く来てしまうことを――僕はまだ、知らなかった。
μβψ
今日のキャンプ場に到着した。
場所は中富良野だ。
街からは離れ、かなり山の方に入ったところにあるキャンプ場だった。
最初はこっちで道があってるのか、ちょっと不安になったけど……無事にたどり着いた。
道からそれてキャンプ場に向かう道はダートだった。
ようはアスファルトじゃない未舗装路だ。
「ああ! 砂利にタイヤがとられる!?」
「わ、わたし降りようか!?」
「だ、大丈夫!」
……ダートは苦手だ。
ほんの数秒の恐怖を体験してキャンプ場に入った。
実際にやって来ると、色々と思い出してきた。
そうそう、こんな感じだった。あの時も放し飼いされている羊がいたのを思い出した。確か朝起きたらテントのところに羊がいて、かなりびっくりしたのを覚えている。
「……それにしても」
僕は空を見上げた。
随分と分厚い雲が空を覆っていた。
天気予報では雨は降らないみたいだけど……晴れる様子はなかった。
ここはよく星が見えるところで、以前に来た時は本当にすごい星空が見えた。
「なんか、天気悪いね」
真白さんも空を見上げていた。
その顔は、ちょっと残念だけど……まぁ仕方ないか、という感じの顔だった。
……その時、僕はこんなことを思ってしまった。
〝天使の階段〟は――今も、真白さんの目には見えているのだろうか?
管理棟で受け付けを済ませた。
受付してくれたのは男の人だった。確か、この人がここのオーナーだったと思う。人の良さそうなおじさんだ。
「ここ初めて?」
「何年か前に一度だけ来たことあります」
「そう。それじゃあ一通り案内するよ」
そう言うと、おじさんは管理棟を出て歩き出した。
向かった先にはバギーみたいな小さな車があった。
あ、そうだ。
思い出した。
これに乗って案内してくれるんだ。
真白さんといっしょにバギーに乗り込むと、おじさんは言葉通り、キャンプ場を一通り案内してくれた。
「ここがライダーのサイトね。このへんならどこでもテント張ってくれて大丈夫だから」
「はい。わかりました」
「薪は管理棟で売ってるから必要なら言ってね」
「あ、じゃあ後でひと束ください」
「焚き火するの?」
「うん。ほら、ここ焚き火するところあるから」
サイト内には点々と焚き火する場所があった。ここはそこで直火で焚き火オーケーなのだ。
「ジンギスカンはどうする?」
「お願いします」
「ジンギスカン?」
「ここ、あの建物のところでジンギスカン食べられるんだ。すごい美味しいよ」
「そうなの? それは楽しみ――」
そう言いかけた真白さんがハッとした顔をした。
「――あれ? ここって羊いたよね? あれってもしかして……」
彼女は気がついてしまったようだ。
それから僕らは管理棟に戻り、そこで薪をもらって、ライダー専用サイトに移動した。
ここもバイクの乗り入れはオーケーだ。
今日は運良く空いてるな。
ここはかなり人気のキャンプ場だ。予約してなかったからちょっと不安だったけど、たまたま空いている日に来られたようだ。
……後は天気さえ良かったらな。
「せっかくだから焚き火できる横にテント張ろうか」
「うん、そうしよ」
二人でテントを張り、てきぱきと準備した。
最初に比べればかなり手際は良くなったと思う。二人の息もぴったりだ。
「じゃあ、さっそく焚き火ね」
真白さんが豪快に薪を焚き火場に放り込んだ。
「いや待って!? そのままじゃ燃えないから!?」
「え? なんで?」
「そんな太い状態じゃ火なんてまずつかないよ。もっと小さく細くしないと」
「そうなの?」
「そう、だから焚き火は手間がかかるんだ。だから今まで木炭で誤魔化してきたけど……今日、僕らは本当の焚き火をする」
「ほ、本当の焚き火……?」
「そう、本当の焚き火を――ね」
にやり、と僕は笑った。
特に意味はない。
μβψ
……そして、一時間後。
「もう飽きたぁ!!」
真白さんが音を上げた。
「真白さん、まだまだ薪は残ってるよ」
「これいつまでやるの!?」
僕らはひたすら薪を小さくしていた。
お互いにナイフを持って、それを薪にあてがって、別の薪をハンマーのようにして刃を打ち込んでいく。そしてひたすら割って細くしていく。
この作業を一時間、ずっと続けていた。
「まぁとりあえずここらへんにしとこうか。先にジンギスカン食べに行こう」
まだ作業は半分くらいだったけど、そろそろジンギスカンの時間だ。
「もうお腹ぺこぺこ……」
真白さんはぐったりと疲れている様子だった。
ジンギスカンを食べに建物へ行ったところで、僕は見知った顔を見つけてしまった。
「あれ? お兄さん?」
「ん? おや、君か」
SRの人だった。
彼は一足先にジンギスカンを食べていた。
「あ、SRのおじさんだ」
少し遅れて来た真白さんがお兄さんを指差した。
「よく会いますね。おじさんもここ来てたんですね」
「ああ、お兄さんと君たちはよっぽど縁があるみたいだね」
「おじさんもここでキャンプしてるんですか?」
真白さんにお兄さんの訴えが届く日はたぶん来ないだろう。
「いや、おれはバンガローに泊まってるんだよ。キャンプ道具とかは持ってないからね」
「そうなんですか? あ! それじゃあ後で一緒に焚き火しません?」
真白さんは何やら思いついたような顔をした。
……これは薪割りを手伝わせるつもりだな。
「おや、いいのかい? せっかく二人で来てるのに、おれがお邪魔しちゃっても」
「いいですよ~。ね、ソータくん?」
「う、うん。そうだね。せっかくだし」
「そうか。それじゃ、後でちょっとお邪魔しようかな」
薪割りを手伝わされるとまだ知らないお兄さんが哀れに見えた。
「ていうか、それじゃあもうジンギスカンも一緒に食べません?」
と、真白さんがそう言った。
「ん? おれは別にいいけど……」
お兄さんがちら、と僕のほうを見た。
僕も頷いた。
「これも何かの縁ですし。お兄さんが良かったら」
「そうかい? じゃあ、一緒に食おうか。これも何かの縁だ。ここはおれが奢るよ」
「え!? い、いや、そういうわけには……」
「遠慮することない。そういう時があってもいいさ。人生ってのはそういうもんだ」
「さっすがおじさん!」
「ま、真白さん。ここでおじさんはちょっと……奢ってもらうんだし……」
「……はは。いや、いいんだよ。そう、おれはおじさんさ。おれも分かっていた。現実から目を逸らしても、その事実は変わらないってことをね。現実ってのは、どうしてこうも残酷なんだろうね」
お兄さんの顔にはちょっと哀愁が漂っていた。
それから僕らはお兄さん(僕はあえてそう呼び続けよう)とジンギスカンを食べ、その後は一緒に焚き火をすることになった。
――ついにこの時が来たか。
焚き火の準備は出来た。
おもむろに僕は麻紐を取り出した。
今からこれをほぐして綿のようなもの――
それにファイヤースターターで着火して、火をおこす。ファイヤースターターってのはようするに火打ち石だ。
これでスマートに焚き火をおこして、出来るところをアピールするつもりだった。
さて、それでは鮮やかに火を――
と、思っていたら真白さんが細かくした薪の束に着火剤を放り込んでいた。
「えい」
ライターで着火剤に火を点けた。
あっという間に火が付いた。
「……」
……あれ?
僕の見せ場は……?
「あれ? ソータくん、
「……う、ううん。なんでもないよ」
僕はそっと、麻紐とファイヤースターターをしまった。
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