第3章 すれ違いとデスマスク ⑦

 ――……別に、一般的な『普通』の暮らしがしたいわけじゃない。俺にとっての普通はこれ・・だ。まっさらな戸籍がどうしても欲しいわけじゃないのだ。


 だが、荊棘おどろとの取引で得られるはずのそれを手放すということは、この先も荊棘おどろと――更に言えばそのバックにいる公安と敵対し続けるということだ。


 俺が過去の罪状は白紙に戻せないとなったら――俺が《魔眼デビルアイズ》のままでい続けるなら、荊棘おどろも俺との決着を諦めたりはしないだろう。


 ――と。


「……姉さん、そんなこと言わないでください……!」


 苦しそうな声で絶え絶えに言ったのはカズマくんだった。


「目、覚めた?」


「すんません兄さん、少し前に……腹が痛むんで身動きも取れなくて……」


 尋ねるとカズマくんはそう言って起き上がろうとする。傍にいた夏姫が慌ててしゃがみ込み、カズマくんの体を支えた。


「ちょっと、大丈夫?」


「なんとか……」


「内臓は?」


 追って尋ねる。少年が踏み抜いた角度、強さ、カズマくんの反応から右の肋骨――その下から何本かは粉々になっていると予想できる。骨折だけなら栄養剤をがぶ飲みしながら治癒能力者ヒーラーに処置させれば明日にでもバトルアリーナのリングにだって立てるだろうが、その砕けた骨が内臓を傷つけていればそうはいかない。すぐにでも外科的な処置が必要だ。《スカム》が経営する病院に大急ぎで運び込まなきゃならない。


「多分平気です……それより」


 自分のことはどうでもいいとばかりにカズマくんは夏姫に向き直る。


「不甲斐なくて申し訳が立たねえっす――……奴は俺が殺んなきゃいけませんでした。それなのに、俺がこんなんだから兄さんにケツ拭いてもらうことになっちまって……俺が悪いんす。だから姉さん、そんなこと言わないでください」


「カズマくん……」


 夏姫が涙ぐんで口元を覆う。


「姉さんは兄さんがつれない頃から、ずっと兄さんだけ見てたじゃないすか。その兄さんが足を洗って姉さんと一緒になるって言ってんすよ。ゲヘナシティまで追っかけたのもこのためじゃないっすか。二人とも足洗って、普通の社会で一緒になってください」


「……カズマくん、そんなこと考えてたわけ? 夏姫ちゃんの気持ち汲んで、それで俺が手出すの嫌がってたの?」


 横槍を入れると、カズマくんは辛そうにしながらも俺の方を向き、


「……そうっすよ。俺ぁ姉さんが日本に来たばっかで、手足伸びきってねえ頃から姉さんのこと見てるんすよ。惚れた男と添い遂げたいって言うなら、そうなって欲しいっすよ」


「……別に、足を洗わなくても一緒にいられるだろ」


 ただその場合、日本にはいられないだろうが。荊棘おどろに追われて日本中を逃げ回るより、国外へ逃げた方が楽に決まっている。


「それが当たり前だと思ってたっすよ、今までは。でも今の兄さんは人生をやり直すチャンスがあるじゃないすか。そのチャンスがあるなら、わざわざ日陰を選んで歩くような生活して欲しくないすよ」


「……まあ、どのみち俺もカズマくんも見通し甘かったな。ここまでの相手とは思ってなかった。どうだった?」


 どうだったとは、直接やられたカズマくんの目から見て、自分の意識を一瞬で奪って見せた少年の異能について、だ。


 俺の所感は、俺と同系統の身体強化能力エンハンス亜種だ。さて、カズマくんはどう見るか。


「……ヤバかったっす。まるで本気の兄さんの前に立ったような、そんな感じでした」


 俺の所感と一致。奴の二つ目の異能は俺と同系統の能力と見ていいだろう。


「――その上、カズマくんが寝てる間に発火能力パイロキネシスも使ってみせたぜ」


「――っ、まさか」


「能力進化で二つ目の異能に覚醒した奴のことを体現者って呼ぶんだってよ。じゃあ三つ目の異能に覚醒した奴はなんて言うんだろうな」


 俺がアメリカで聞くまで知らなかったことだ、カズマくんが知ってるとは思えない――そう言ってやると、カズマくんは憎々しげに――




「……ふざけた野郎すね。俺みたいな能力に、兄さんみたいな能力、それで姉さんと同じ能力すか」




 ……………………


 カズマくんのその言葉に、俺と夏姫は顔を見合わせる。


「でもやっぱ兄さんはすげえっす。異能を三つも操るこんなヤベえ奴に大した傷も負わずに勝っちまうんすから」


 そんな風に言うカズマくんだったが、俺にはもうその言葉は頭に入ってこなかった。おそらく夏姫も同様だろう。


「……カズマくんは天才かもな。それで俺はやっぱり普通の生活は無理なのかも。夏姫ちゃんの言う通り、妥協点を模索するべきだったのかも知れない」


「そうだね、カズマくんは天才だ。でも、そんな能力だと思わないじゃない。あっくんが私の言ったことを考えてくれるなら、これから一緒に身につけよう? 私だって、一般人とは言えないくらい道を踏み外してる」


 お互いに言い合う俺と夏姫に、カズマくんは困ったように、


「や、二人ともなに言ってんすか? 俺が天才て」


「自分で言ってて気付かないか?」


 逆に、カズマくんに尋ねる。


「……すんません、わかんねえっす。俺、何か変なこと言ったっすか?」


「変なことじゃなくて真理だよ。カズマくんみたいな能力に、俺みたいな能力、夏姫と同じ能力――こいつは体現者なんかじゃない。異能は一つ――コピー能力だ」


 俺がそう言うと、カズマくんは目を丸くして――


「……マジすか?」


「異能を三つ持ってる、よりよっぽど納得いくだろ。ま、もう確認しようがないけどな。俺やカズマくん、夏姫ちゃんの精神波に自分の精神波をシンクロさせて、対象の能力を実行するとかそんな能力だったんじゃないか?」


 だとすると合点がいく。奴が使った発火能力パイロキネシスがたいした威力ではなかったこと。なるほどいい能力だ。超能力系ならともかく、特殊能力を持つ超越者は自分と同じ能力を使われればまず動揺するだろう。俺もこんな状況でなかったら大いに動揺したはずだ。


「デュアルスキラー――異能を二つ持ってる奴は実在するし、もしかしたら世界中探せば三つ目の異能に覚醒した奴もいるかもな。でもこいつがそうだと考えるより、コピー能力で俺たちの異能を複製したと考える方が自然じゃないか?」


「……そう、すね」


「ま、答え合わせはできないけどな」


 言いながら俺は骸になった少年――その傍らにしゃがみ込み、うつ伏せだった彼を仰向けにする。


「……夏姫ちゃん、爺さんに連絡してカズマくんの治療の手配してくれない?」


「う、うん――あっくんは?」


「こいつの素顔に興味がある。カズマくんがこいつのサングラスを割ったとき、こいつの目に見覚えがあると思ったんだ。もしかしたら知ってる奴かも」


 そう言って少年のマスクに手をかける。夏姫も興味があるのか、電話を手に俺に――俺と少年に近づいてきた。


 その夏姫にも見えるように少年のマスクを剥ぐ。


「――っ!」


 夏姫が晒された少年の顔に驚いて電話を取り落とす。なるほど、こいつの目に見覚えがあったのも当然だ――




 少年の顔は、一昨日の晩に夏姫がネットで見つけた、二年前の殺人事件――その被害者で、小鳥遊清花の死んだ恋人――佐木柊真のものだった。


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