第三幕 寄り道・居候の天使(2021.1.3)

(1)芳賀邸の居候のお話



 九里香は私の友人です。つやのある綺麗な黒髪だった頃を懐かしく思います。


 今から4、5年前でしょうか。金木犀が香り始める秋口に九里香は母の手に引かれて我が家に訪れました。


 初めて対面した時は私の妹と同じ顔立ちをしていたので驚いたことを覚えています。けれども肩身離さず大切にしていたギターが手元にありませんでした。


 髪を染めていない、耳にピアスをつけていない、化粧を何一つしていない、着崩していないきっちり着込んだブレザー姿を見て、高校に通っていた妹が非行に走らなければこのようなの清楚な姿で日々を過ごしていたのだろうと想像しました。


「この子は今日から我が家に居候させるからね。眞喜亜まきあ、あなたもこの子の面倒見てあげなさい」


 母からの突然の言葉に私は動揺を隠しきれませんでした。この時の九里香は口数が少なくこれから先仲良くなれるか不安でいっぱいでした。


「ごめんなさい。私、魚だからよく分からなくて……」


「ううん、気にしないで」


 九里香は時折、自身を「魚」に例えるので変な人だと思いました。


 一時期、九里香が窓辺にたたずんで青空を見上げる姿がありました。哀しげな表情をするので声をかけると九里香はこう告げるのでした。


「眞喜子さんが私に『九里香』という名を捨てて今度から『眞喜奈まきな』って名乗るように指導してきたんだよ。我が子の名を他人に与えるなんて酷い……本当の家族のすることじゃないよ……」



 * * *



 第三幕

 寄り道・居候の天使 



 * * *

      


 2021年1月3日、早朝。


 室内のてつく空気に思わず身震みぶるいします。


 自室のベッドから目を覚ました私は寝巻きの上にロングカーディガンを羽織るとこれから来訪する家政婦さんのために居間、炊事場、廊下を暖めるため各部屋の暖房を点けてまわることを冬の習慣にしています。


 広々とした居間、貫禄かんろくがある盆栽が飾られた廊下を見回して寝起きの母がいないことを確認すると、私は電気コタツの中に潜ります。顔だけ外に出して、身体がポカポカと暖かくなるまで身を潜めていました。


「にひひ」と九里香と同じ笑みを浮かべてみます。私は今年で二十三歳になりますが、こんなだらしのない姿を厳格げんかくな母に目撃されたら烈火れっかごとく叱られるに違いありません。


 二階にいる母が下に降りてくるまで気配を見計みはからいつつ身体を暖めていました。家政婦さんが呼び鈴を鳴らす時間になっても降りてくる様子はありませんでした。


「ごめんくださーい」


「はーい」


 呼び鈴が鳴ったと同時に玄関に向かうと、玄関口の引き戸の硝子ガラス越しにコートを着込んだマスク姿の古内さんの姿が見えました。


「どうぞ古内さん、鍵は開いてます」


「はいはい」


 扉が開かれて古内さんと対面すると互いに新年の挨拶をします。


「あけましておめでとうございます。古内さん」


「今年もよろしくねえ。眞喜亜まきあちゃん」


 古内さんは家政婦として、この家に勤めて20年以上経つそうです。黒髪に白髪が少し増えたけれど気品のある五十代後半の女性で、私が赤ん坊の頃にオムツ交換をしたこともあると話に聞いたことがあります。


「年末年始はゆっくり休めました?」


「おかげさまでね。眞喜亜ちゃん、眞喜子さんはまだ起きていらっしゃらないの?」


「はい、お母さんは新年の挨拶と仕事が忙しくて疲れてるのかもしれないです」


「相変わらず忙しい人ねえ……。そうだ、忙しいといえば『』は今年帰ってくるのかしら?」


「ふふっ、どうでしょうね。帰ってきてくれたら嬉しいのだけれど」


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