~卑劣! 男の子なら一度は言ってみたいセリフ~
ルクスがカウンターの上に広げたのは、年季の入った世界地図だった。
少々簡略化されている部分もあるが、おおよその位置を把握する分には問題がない。
神話時代には世界地図は作られていたというが、俺たちみたいな一般庶民が地図を手に入れられるようになったのもどうやら最近の話らしい。
ただし。
最近といってもエルフの語る『最近』なので、あまり意味のない『最近』なのかもしれないが。たぶん百年前とか二百年前とかなんだと思う。
世界地図の中心には俺たちがいる『大陸』が大きく描いてある。その大陸の北側が魔王領となっており、地図も空白になっていた。
なにも分かっていないのが現状だ。
魔王領に行って帰ってきた人間は、いまのところ存在しない。もしかしたら過去にそんな人間がいたかもしれないが、誰にも情報が伝わっていないのでいないのも当然とされている。
もちろん、俺とパルもその中のひとり。
情報が伝わってないのだから、俺たちは魔王領には行っていない。
そういうことだ。
過去には、精霊女王の加護を受けた勇者が何人か魔王領に到達している。
しかし……魔王が健在である現状を鑑みるに、魔王領で朽ち果てたようだ。
闇の精霊女王の加護を受けた先代勇者もそうだったらしい。彼らが早死にしたことだけはラビアンさまに教えてもらった。同じ轍は踏まないように、と。
そんな大陸の周囲は海で囲われており、大陸の他にも島国がいくつか存在する。
一番大きな島が大陸の西側にある『義の倭の国』。
大陸の東側には『日出ずる国』という小さな島国もあるし、他にも『群島列島タイワ』と呼ばれる島がいくつか集まったような国もある。
そられ島国と中央大陸を合わせて『世界地図』となっていた。
「ねぇねぇ師匠」
「なんだ?」
パルが世界地図を見ながら聞いてきた。
「この地図より、もっと遠くってなにかあるんですか?」
そうイイながら、パルはつつつ~っと地図の端っこを指でなぞった。
パルの言いたいことは、地図の外側ってことだろう。
義の倭の国より西側。
日出ずる国よりも東側。
群島列島タイワよりも南側。
そして、魔王領のある大陸よりも北側。
世界地図として描かれれている海よりも外側には、いったい何があるのか?
「残念ながらそこより外側は何も無い」
「なにも無い?」
「滝みたいに、海が落ちてるんだ」
「ほへ~。……ん? え? 待ってください師匠。どこに落ちてるんですか?」
パルの質問もごもっともだ。
俺も初めて知った時には、まったくもって理解できなかった。
「俺も人から聞いただけなんだが、世界の端っこは海が落ちていて、下を覗き込むと別の海が下の世界にあるらしい。そこには巨人族がいるとか、神さまが遊びに行ってるとか、精霊の世界だとか、いろいろな説があるらしい」
もしかしたら、そこが『地獄』や『冥界』と呼ばれる死者の世界なのかもしれない。
まだ誰も確認したことがないし、落ちたら二度と戻ってこれないだろう。
そもそも無事に下の世界に降りられるとも限らないわけで。
まだまだ何も分かっていない状態だ。
「ルビーは知ってた?」
「いえ、知りませんでした。興味深い話ですわ、是非ともヒマになったら行ってみたいと思います」
ルビーのキラキラした瞳に俺は苦笑する。
「気が早いな、ルビー。まだ人間種は大陸の全ての場所を踏破していないし、まだ発見されていない島もあるかもしれない。北側なんか特にな。下の世界に興味を向ける前に、人類種にはやらないといけないことが山ほどある」
「はーい」
「なるほど、分かりました!」
「よろしい」
素直な弟子と好奇心旺盛な吸血鬼の頭を撫でておく。
「さて、師匠の講義は終わったか。では、巨大レクタ・トゥルトゥルの説明をする」
ルクスは世界地図の一点に、トンと銅貨を置いた。
そこは大陸の東側の海岸沿い。真ん中よりそこそこ南側の位置だ。
街を表す丸い点がそこには描かれていた。
「テイスタ国の……ここは、リダの街か」
「あぁ。詳しい情報がまだ入っていないが、真夜中に巨大レクタが海からやってきたらしい。初めは地震が起こっていると錯覚した住人も多かったみたいだ。で、リダの街が半分無くなった」
「半分無くなった?」
「らしいよ」
パルの疑問に軽い感じでルクスは答える。
肩をすくめているところを見るに、それ以上の情報が無いのだろう。
「レクタ・トゥルトゥルはとにかく真っ直ぐに進む。大陸を横断、もしくは縦断して、反対側の海に移動している。今回の巨大レクタも真っ直ぐに進んでいるはずだ。そこに街や村があろうとも、な」
ルクスはそう言って、コインを動かす。
その方角は、大陸の少しだけ斜め上に向かっていた。
つまり――
南東の海から大陸の中心あたりへ向かって、反対側の海へと移動している。
「この国の位置はどこですの?」
「ここだ」
パーロナ国は、ほぼ人間領の中央南側あたりに位置している。魔王領を含めた大陸全体で言うと南方の国になるだろうか。
「通り道?」
パルの言葉にルクスがうなづいた。
「もちろん、詳細な情報が入っていないので方角や位置などにズレがあるだろう。危険かどうか、それを正確に確かめてもらいたい」
角度が少しでも違えば、大陸の反対側に到着する頃にはかなりの差異が生まれる。
どの位置からどの方向へ向かって真っ直ぐ移動しているのか。
その際に、巨大レクタが方向を変える可能性があるのか無いのか。
それを見極める必要がある。
「今、詳細な世界地図を手配してもらっている。少しのズレが致命傷になるからな。あとテイスタ国の地図も持って行ってくれ。星見は出来るか?」
「あぁ、問題ない」
「ホシミってなんですか? 干し身?」
なんか食べ物的なニュアンスでパルが言う。
干し肉みたいなものを想像しているのだろうか。
「夜空に浮かぶ星だ。方角は特定の星を見て判断する。北星とか聞いたことがないか?」
パルはふるふると首を横に振った。
絵本とか英雄譚にはあまり載ってない情報だからな。
パルが知らないのも無理はないか。
「北星は、北に浮かぶ明るい星だ。方角を知る分かりやすい目印になっている。同じように南星や東星、西星がある」
「じゃぁ夜にレクタが進む方向と星を見比べたらいいってことですか?」
「簡単に言うとそうだ」
俺がうなづくと――パルは世界地図を持ち上げて、天井を見上げながらおろおろと方角を探すように地図を動かした。
マヌケな姿だが、間違っていないのでなんとも言えない。
「む、難しそう……」
「安心しろ。俺がやる」
さすがにこれは訓練として任せるわけにはいかない。
ちょっとのズレで人々を混乱に巻き込むかもしれないので、複数人でのチェックが望ましいだろう。各国各地の盗賊ギルドが動いているだろうし、国からの学者の派遣があるはず。
いざとなったら彼らに相談するのが安全安心だ。
「ひとつよろしいでしょうか」
ルビーが手をあげた。
「なんだい、ルゥブルム」
「そのレクタ・トゥルトゥル。足止めや殺してしまうことは不可能なんですの?」
「もちろんやっている」
だが――、とルクスはカウンターの上にドンと石のような物を両手で置いた。見た目の大きさと置いた時の音が比例していない。むしろ反比例するように鈍く重い音がした。
痩せ細ったルクスがギリギリ両手で持てるような重さ。
そんな石のようなものが机の上に置かれた。
とてつもなく重くて、とてつもないほどに頑丈。
レクタ・トゥルトゥルが死んだとしても永遠に残る甲羅だった。
「この小ささでこれだ。生物として不可解なほどに重いくせに、自分で歩きやがる。そんなヤツを破壊できるか?」
「失礼します」
ルビーは片手でレクタの甲羅を持ち上げた。どうにも最近、日中のルビーの力がアップしているような気がする。
これは成長と言えるのだろうか。
それとも太陽の光を克服しつつあるのだろうか。
聞いてみるのが怖いので、俺は黙っておくことにした。
なにせ……
太陽の光が平気になった吸血鬼って、もう無敵じゃないですか。
俺はとんでもない存在を生み出してしまったのかもしれないので、ちょっと怖い。でも、こんな吸血鬼より魔王が強いっていうんだから、嫌になってしまうよなぁ。
「確かに重くて硬いですわね。ちょっといいでしょうか?」
ルビーは床を指差す。
叩きつけていいか、ということだろう。
「どうぞ。まぁ砕けるのは甲羅じゃなくて床石のほうだが」
「では……えいっ」
その言葉通り、ルビーが甲羅を叩きつけると床に敷いてある床石のほうが割れた。甲羅は転がることなく、その場に鎮座する。
重すぎて跳ね返りも転がりもしなかった。
「ふむ」
ルビーは甲羅をブーツの先でツンツンと蹴ったあと、踏みなじるようにグリグリと足を動かした。
「ルビー、なんか嬉しそう」
「気のせいです。踏みつけて喜ぶようなサディスティックな趣味は持ち合わせておりませんわ」
ギルティ。
という言葉は飲み込んでおく。
そんな趣味を向けられたくないので。
「まぁ、大抵の武器は効かないし魔法も効かない。攻撃が激しくなると甲羅にこもって出てこないのだが、攻撃が止まればまた動き出す。餓死するまで永遠に攻撃を続ける必要があるが、伝承によればレクタ・トゥルトゥルは大陸横断の間はそもそも絶食してるらしい。一年か、二年か、はたまた半年でいいのか。足止めレベルの攻撃を永遠に続けないといけない。以上のことから、レクタを殺すのは不可能と言える。足止めがせいぜいだ」
「そっか~」
パルは床からレクタの甲羅を持ち上げる。
両手で持って、その大きさと重さを確かめていた。
その間に俺はこっそりとルビーに聞く。
「ルビー、どうだ?」
「試してみないと分かりませんが……恐らく無理です。割れそうにありませんわ」
吸血鬼よりも頑丈か。
ふむ……
「師匠?」
パルが俺の顔を見た。
なにかを期待するような表情だった。
別にパルが何か言ったわけでもないし、望んではいないのかもしれない。
でも。
でも、だ。
世界のどこかで誰かが困っていて。
それで誰も解決することができないっていう状況だ。
仕方がない。
ここは弟子の期待に答えてやろうじゃないか。
それに――
なにより――
男の子だったら死ぬまでに一度は言ってみたいセリフがある。
今がそのチャンスだった。
「別に――」
俺が口を開き、パル、ルビー、ルクスが俺を見る。
だからすまし顔で言ってやった。
「別に、倒してしまってもかまわんのだろう?」
そのセリフに、パルとルビーの瞳がキラキラと輝いた。
ふふふ。
どうだカッコいいだろう!
男の子だったら、死ぬまでには一度は言ってみたいよね、このセリフ!
「ぶふっ! ふひ、ひひひひひあははははははははは!」
でもゲラゲラエルフは爆笑したのだった。
はいはい、知ってる知ってる。
こういう時、笑ってしまうのがルクス・ヴィリディっていうエルフだよな。付き合いはめちゃくちゃ浅いけど分かる。そうそう、おまえは笑っちゃうよな、ぜったいに。うん。知ってた知ってた。
「あはははは! かかか! かかかかか、かーっこいいぃ! あははは、ふひゃはははは、師匠、ししょー、師匠かっこいい! あはははあははははははは! ひぃいぃいい!」
いや、もう悲鳴になってるじゃん。
こいつ何にもしなくても拷問できるんじゃね?
目の前でキリっとした顔しながら何でもいいから言ってたら、勝手に笑い死にしそう。
そう思いました。
「ちょっとちょっと。師匠さんがカッコいいこと言ったんですのよ? 笑うとはどういう了見ですの?」
「そうだそうだ。師匠はカッコいいんだよ?」
我が愛すべき弟子と吸血鬼が抗議してくれた。
ありがとう。
好き。
「ふひひひ、知ってる、知ってるけど、ふひひひはははははは! あははははは! でも、でもマジで言うやつがいるんだ、って思って! ひひひひはははははははあははははははははっはははは! あぁ、死ぬぅ、じぬぅ! 苦しいくるしい! いひひひひははははは! も、漏れちゃうもれるぅ、あははははははははは!」
ダメだこりゃ。
「よし。パル、ルビー。遠出の準備だ。しばらくこいつは役に立たん」
「はーい」
「分かりましたわ」
「うひひひひひ、ひひひひひひひ! ま、まってまって! まえきん、前金わたすから!」
お腹をおさえながらルクスはカウンターの上に革袋を置く。
まぁ、そこそこの金額だ。
本来なら馬車をひとつ、御者ごと借りてもいいぐらいの仕事となる。馬を買う必要もあるかもしれないな。
危険は無いが、速度と正確さが求められる任務なので、前金はそれなりに多いのだろう。
俺は革袋を受け取り、よだれを垂らしながら笑うエルフに告げた。
「準備してくるんで、その間に笑い止めとけ」
「うひぃ!」
どんな返事だ、それ。
エルフっていうのは、もっとこう……落ち着いてて優雅な感じで優しい雰囲気があって、美しいはずなんだけど。
ハイ・エルフといい、ゲラゲラエルフといい。
どうにも俺は、まともなエルフと縁が無いようだ。
まぁ、それも無理はないか。
なにせエルフといえば長命種。どんなに美しかろうが、ババァには違いないわけで。
ロリコンの俺と相性が良いわけがない。
むしろ、年下のエルフがいたなら俺はイチコロかもしれないよな。
たぶんパルを越える美少女に違いないので。
あっという間に心を奪われる自信がある。
うん。
マジで。
「ねぇ、ルビー。なんか師匠があたしを悲しそうな目で見るんだけど、なに?」
「奇遇ですわね。わたしも師匠さんに申し訳なさそうな表情で見られています。なんでしょう?」
おっと、しまった。
表情に出てしまったらしい。
「いや、なんでもない。もしも俺が浮気をしたら遠慮なく殴ってくれ。そう思ってただけだ」
「え……師匠、ルクスさんが好きになったんですか!?」
「いや、ぜんぜん」
「即答するのもどうかと思いますが……浮気する予定がありますの?」
「いや、ぜんぜん」
よくわかんない、という顔でパルとルビーに見られた。
それもまた、なんかゾクゾクする感じがしたので。
やっぱり俺は、勇者パーティにいてはいけない人間だというのが証明された気がしないでもない。
うん。
勇者よ。
俺、頑張ってるよ!
だからおまえも頑張れよ!
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