176. ワインの味

 グラスに注がれた琥珀色の液体を、セシルは一気に半分ほど飲み込んだ。


「少しは味わってくれ。割といい酒なんだ」

「ああ、そう。失礼」


 セシルはグラスを回して香りを確かめるようにした。


「なるほど。いいワインね。たぶん」


 それを聞いて、もし今後セシルと酒を飲む機会があってもワインを用意するのはやめよう、と僕は口には出さずに思う。


 もう一口舐めてから、セシルは続けた。


「さっきの話で、思いついたことがある」

「さっきの話って?」


「あなたがサラエボ事件、と言った。それで、前にも話そうと思いついて忘れていたことを思い出した。実は戦争にも、そのきっかけとなった出来事がある」


 かかった、と僕は内心で拳を握る。


 それは、意識して出した言葉だった。


 僕は“ナイブレ”のオープニングムービーを見たから、「ナバラ国王子によるアレオン国公爵令嬢殺害」が戦争の発端――もしくは大義名分――になることを知っていた。


 僕のメインの目的、ヴィルジニーの結婚阻止のためには、その件が戦争と無関係でないことを利用して、セシルの全面的な協力を取り付けたかった。彼女の立場と知識は、色んな意味で役に立つ。


 しかし僕の方からその話をすれば、していないゲームの導入を何故知っているのか、という説明をしなければならなくなる。

 その説明を避けてこの話を持ってくるにはどうしたらいいか。考えた結果は、セシルから言及してくれること。そのために、セシルに思い出させること。


 セシルが高校で世界史を選択しているかは賭けだったが、第一次世界大戦のきっかけがサラエボ事件というのは基礎教養の範疇だろうし、もしもそれで彼女が思いついてくれなかったら、別のアプローチをするだけのことだった。


 視線で続きを促す。


「これも、ゲーム開始以前の話で、ゲーム中では情報として語られるだけなんだけど、戦争のきっかけとなったのは、こちらの国から向こうの国の王子に嫁いだ貴族令嬢が処刑されるって事件なの」


 僕はワイングラスから口を離して渋面を作った。


「なるほど。口実になりそうだ」

「今度、ナバラから外交使節団が来るという話があるじゃない?」


 今では公になった話だが、セシルには事前に話してあったはずだ。


「ああ」

「タイミング的に、今回の訪問で結婚相手を見つけるのかもしれない。その出会いを阻止すれば、戦争の直接的なきっかけとして語られた事件を、潰せる。それだけで戦争を回避できるかといえばわからないけど、ゲームで重要と語られているんだから、それなりの効果が見込めるんじゃないかと思う。

 あなたの、宰相の息子という立場なら、介入できるんじゃない?」


 僕はいま聞いた話をよく考えてみた、という素振りをしてから、前から考えていたことを口に出した。


「いまの話に思い当たることがある。これはまだ上級の貴族しか知らないことだけど。訪問使節団の責任者、ナバラのフアン王子からは、非公式にではあるが、我が国の公爵令嬢、ヴィルジニー・デジールに婚姻の申込みがなされている」


 セシルは目を見開いた。


「ヴィルジニー? あなたが仲良くしていた?」

「そう」

「じゃあ、最近一緒に食事をしていないのは」

「隣国の王子から婚姻の申込みがあった御令嬢に、馴れ馴れしくしてられないから」


 気の毒そうな目をしたセシルに、僕は続けた。


「それで、なんだって? ナバラの王子が、アレオンから嫁いできた妻を処刑? 貴族令嬢を?」


 セシルは重々しく頷いた。


「いまの話だと、処刑するのはフアン王子で、処刑されるのはヴィルジニーのようね。

 ヴィルジニーというひとは……なんなの?」


 曖昧なセシルの問いに、そういえばそのあたりは説明したことがなかったな、と思い出す。

 彼女にはヴィルジニーに対してメッセンジャーをしてもらったことがあったが、あのときも事情を説明せず協力してもらっていた。


こちらのゲームサクミチ的には、ライバル役の悪役令嬢だ。たぶん」


 それを聞いて、セシルは鼻で笑う。


「ライバル役の悪役令嬢? そんなものがいる乙女ゲームが、ホントにあるとはね」

「やっぱり、いないのが普通なのか」

「そりゃあね。女性が男性とのロマンスを疑似体験するゲームに、他の女なんかノイズになるだけでしょ。ああでも、ジャンルの先駆けとされるゲームにはライバル役がちゃんといてね。アンジェリークっていって」

「ゲーム史の講義なら後にしてくれ。後発ゆえ差別化目的で実装されているとかは?」

「それはあるかも。結果的に誤解が後年、乙女ゲームイコール悪役令嬢という雰囲気を作った形にはなっていたわけだし」

「もしかしたらライバルとかじゃなく、別の役割があるのかも。いずれにしても、ゲームをしていないから、本当のところはわからない」


「それで、ステファン様は、どういうつもりで彼女と?」

「えっ? そりゃあ……好きなんですよ、惚れてるの」

「えっ……悪役令嬢に?」

「悪いか」

「だって……最近評判が良くなったとは聞いたけど、でも……悪役令嬢なんでしょ?」

「あれで可愛いところがあるんだ」

「……ホントに? ギャップ萌え的な?」

「それもある。美人だし」

「……ああ」


 セシルは唇の端に軽蔑を滲ませて微笑んだ。


「おっぱい大きい派手めの美人が好みなのよね、ステファン様は」

「知ったようなことを」

「ミレーユもそうだし、マリアンヌ様もそうだしね」

「っ……どうしてそこでマリアンヌが?」

「好きでしょ? マリアンヌ様」

「そりゃあ……好きだけど。いや、違うそうじゃない。ミレーユもマリアンヌも、胸が大きいから近づいたわけじゃない。たまたまだ」

「どうだか」

「もしかして、酔ってます?」

「どうかな。まだ一杯だけだよ」


 セシルはいいながらグラスを空にしたので、僕は酌をしてやる。


「じゃあステファン様は、恋人をとられて、しかも殺されてしまうってわけか」


 セシルはワインのつまみに僕の買ってきたチーズを食べながら言った。


「お可哀そう」

「……本気で思ってます?」


 僕は口に入れたローストビーフを咀嚼してから続けた。


「僕は元々、フアン王子とヴィルジニーの結婚は阻止したいと思っていたわけですが、結婚が戦争のきっかけになるというなら、なおさら、看過するわけにはいかなくなったわけですが」

「結婚自体がきっかけになるわけではないです。嫁いだ後、王子の不興を買って処刑されてしまうわけです――そうか」

「なに?」

「悪役令嬢だと聞けば、納得です。やらかしてしまうんでしょうね、処刑されてしまうようなことを」


 他人事のように言うセシルを、つい睨んでしまう。僕だって同じように思っていたくせに。


「でも、結婚を阻止したところで、ステファン様のお嫁さんになってくれるかは、わかりませんよ?」

「こちらは婚約直前だったんです。マジで。彼女の父親に挨拶に行ったんだ」

「へぇ!? すごい」


 僕はその時の場面、公爵ヴィルジニーの父の書斎に彼と僕の父親がいて、その場で言われたことを思い出して、つい渋面を作る。


「とにかくそのあたりは、心配無用です。フアン王子が婚姻申し入れを撤回さえしてくれれば、ヴィルジニーは僕のものだ」


 僕の物言いに今度はセシルが顔をしかめたが。


「撤回? ヴィルジニー様側から断るのではなく?」

「立場を考えてください。一国の王子からの申し入れです。立場上、女側からは断れない」

「ああ、それもそうか。でも、どうやって? そういうことなら、フアン王子はヴィルジニー様の立場や家柄で申し込んでいるのでしょう? 完全な政略結婚なら、撤回する理由なんてない」

「いや、もうおっしゃるとおりで」


 僕はワインを一口含み、その間に僕が考えていることをセシルに話していいだろうかと考えた。

 ミレーユは、セシルの友達だ。そのミレーユをフアン王子にあてがうなんて計画、話して大丈夫だろうか。


「ここは腹を割って話す場でしょう? 最終目的が同じなら、非難したりはしませんよ」

「まだ、計画があるとは言ってませんけど」

「あるって顔してます。それも、割と非倫理的なヤツが」


 そこまで見抜かれていては仕方ない。


「フアン王子は美女に見境がないという情報があります。だから代わりをあてがおうかと」


 セシルは得心がいったとばかりに頷いた。


「だからミレーユなのか! 顔を治したことを恩に着せて、いいように使おうってわけね」

「そんなに悪い話じゃないはずだ。男爵令嬢から王子妃だぞ。文句なしに玉の輿でしょ」

「それは、貴族の理屈ではそうでしょうけど……本人はなんて言ってるんです?」

「まだ話してない」

「えっ」

「ホントにその方向で行くか決めかねてる。不確定要素が多すぎる」

「身分差が大きいのも考えものね。仮に気に入られたとして、当初の予定通りにヴィルジニーと結婚して、ミレーユは愛人として連れ帰るってパターンもありえる。もう少し身分が高いお嬢様なら、国際問題になるからって二者択一にできたかもだけど」


 身分が高いフリーの美人と言えば、またまた脳裏に浮上するのがマリアンヌ。

 もちろんマリアンヌは、政略結婚など受け入れないだろうし、フアン王子を誘惑するなんてもっと嫌がるだろう。


「ミレーユの、身分をロンダリングすれば」

「ん……やるなら出会う前がいいだろうけど、でもそういうのは、正式に嫁ぐとなったときに、ありえそうね」


 王子に見合う身分にするために、嫁ぐのを前提にどこかの高位貴族の養女になるということだなと思いつく。


 どこぞの公爵なり侯爵にでも頼めばいいのだ。この結婚で利益が出るなら実質的な名義貸しなど渋るまい――


 ん? 公爵――?


「それって結果的に――ミレーユが処刑されて戦争がはじまるってこと、ありえないかな?」


 セシルは言及しなかったが、オープニングムービーでは確か、処刑されるのはとなっていたはずだ。

 いまのところ該当するのはヴィルジニーだけになるわけだが、もしもミレーユが婚姻を前提にどこぞの公爵の養女になるなどすれば、それは当然、立場的にはミレーユも公爵令嬢になるということを意味する。


 ナバラの王子にアレオンの公爵令嬢が嫁ぐ、という形は成立してしまう。


「ミレーユは、いくらなんでも、夫に処刑されるような浅はかな真似はしないでしょ」


 ミレーユの友人であるセシルはそう言う。

 まあそれもそうか。


 隣国の王子に嫁ぐ上級貴族の娘というのは、実質的に人質だ。それになにかあるということは、二国間の関係は無事では済まなくなるということだ。それを処刑する、しかも王子が、というのは、最終的究極的な手段だ。ミレーユは身分は公爵令嬢でも血筋的には違う、としても、我が国の貴族の娘であることには変わりない。それを処刑するなどというならそれこそよっぽどの何かがなければならないし、ミレーユはそこまでの愚を犯すような人間ではない。


 ヴィルジニー? まあやりかねないじゃん。

 彼女は悪役令嬢――そういう星のめぐりになるよう用意されたキャラクターなのかもしれないのだから。


「だったら……フアン王子には、ヴィルジニーではなくミレーユを連れて行ってもらいたいが」

「――そもそも、結婚自体をナシにってのは、いかないの?」


 不満そうなセシルに、僕は首を横に振る。


「この婚姻は、二国間の安全保障にも関わってくる。結婚自体はして、両国の関係を友好的なものにしておけば、戦争突入へのブレーキになるでしょ」

「なるほど」


 とはいいながらも、セシルは不満そうにワイングラスに口をつける。


「何が気になる?」

「ミレーユのこと。友達だから。あなたは玉の輿だって言ったけど……本人の意志はわからないんだし」

「なるほど。セシルさんがそばにいてやるっていうのは?」

「……は?」


 セシルの呆気にとられた顔に、僕は頷く。


「少し前から考えてた。学園でのミレーユの世話役に、ルージュリー伯爵家ウチからメイドを出してるんだが」

「知ってる」

「その関係でメイドを増やす計画があるんだが、どうだろうか。セシルさんがウチに転職して、ミレーユの世話係をやるというのは」


 セシルは目を見開いた。


「可能なの!?」

「あくまでもルージュリー伯爵家に雇われる形で、ハウスメイドもやらなきゃいけないだろうけど、あなたのキャリアを考えたら、いま世話係をやってもらってるメイドといずれ交代するというのは、できると思う。僕が個人的に雇えたらいいんだけど、それができるだけの予算がない。転職となれば、住むところも必要だろうけど、ハウスメイドなら住み込みで働けるし。

 普段は伯爵家のことをやってもらって、有事の際に僕の仕事をやってもらう。そういう形でいいか、ウチの家政婦長ハウスキーパーと相談してみる。

 どうかな? 前の記憶があるなら、御令嬢の化粧だってできるでしょ?」


「少し教えてもらえれば、できると思う、けど」


 考えるように目を泳がせたセシルに、僕は続けた。


「そういう形にできれば、僕かミレーユのお供で、王城にだって潜入できる。学園の使用人では、難しいだろう。もちろん、学園にだって」


 ミレーユのお世話係で出入りできるし、学内の彼女の情報網もある程度は引き続き活用できるだろう。


「いまここで決める必要はない。家政婦長ハウスキーパーとは相談しなきゃいけないし」

「そう、ね……ミレーユがナバラに渡ることになったときにも、監視役としてついていけるってわけね」


 僕は頷いたが、スパイだと思われると処刑されてしまうのはセシルの方になるかもしれない、と思いつく。が、ここでは言わないでおく。

 彼女が監視役として機能するならその方がいいのだ。


「学園に縛られているより、行動の自由度は高まる。ウチの使用人は、人数は多くないけど、仲が良くて居心地は悪くないと思うよ」

「アットホームな職場です、って?」

「なんだったら、ブリジットに様子を聞いてみればいいよ」

「そうする」


 セシルは、ミレーユのところに出入りしているメイドの名前も把握しているようだ。


「セシルさん。この機会に、ゲームに詳しいあなたに、色々と聞いておきたい。質問させてもらってもよろしいだろうか」


 いいながら、僕は酒瓶を差し出した。

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