113. 好きなタイプ

 会場となった王城敷地内の迎賓館、豪奢なパーティ会場に僕らが到着した時、主役となるクローディア王女の姿も、そしてフィリップ王子の姿も、まだなかった。


 例外的、特例的に招待されることになってしまった、我が国では未だ身分は学生に過ぎない僕、そしてマリアンヌが、出席者では最年少である。そのことと、そしてマリアンヌの歳に見合わない美しさが、すでに来場していた客たちの耳目を、僕らに集中させることになってしまった。


 ケープをとり、肩を露わにしたマリアンヌは、とても眩しかった。


 話しかけてくる上級貴族の面々の多くが、マリアンヌを褒め、このような美人をエスコートできるなんて幸運だな、と僕に向かって冗談めかす、というパターンを繰り返したが、その一方で、何人かは本当に僕とマリアンヌが良い仲なのだ、と思った様子で、それをはっきりと否定するわけにもいかず、いえいえまだ決まったわけではありません、とか、そうなるといいですね、などといったようなニュアンスで誤魔化したりして、なんとかしのいだ。


「大丈夫ですか?」


 人波が途切れたタイミングで、マリアンヌが気遣ってくれ、僕はこっそり、ハンカチで額の汗を拭う。


 この手のパーティに出たことがないわけではないが、僕のようなキャラクターは、常に脇役だ。こうやって注目されることなどこれまでになかった。流石に疲れる。


 その点、夜会で目上の人間に話しかけられる機会の多かったであろうマリアンヌは、慣れたものだ。


 表情でウンザリした様子を伝えると、マリアンヌは微苦笑を浮かべた。


「ステファン様も、早く慣れた方がよろしいですよ」

「僕は……正直ごめんですよ、こういうのは」


 彼女や、父が考えているような大人に、なるつもりはない。国政になど関わらず、一貴族としてほそぼそと領地経営だけやって生きていきたい。そういう意図を説明する間もなく、その場に起きたざわめきに、僕はつられて、目を向けた。


 開かれた大扉から入ってきたのは、一組の男女。


 男性の方は、我らがフィリップ王子。身につけているのは僕と同じタキシードブラックタイだが、おそらくかかっているコストは十倍以上、いや、もっとするだろう。遠目にもわかる洗練されたシルエットと質の良い生地、仕立ての良さは、さすがは王族御用達といったところ。彼自身の美貌、体型の良さとも相まって、本物の王子様が現れた、という印象だ。


 ホンモノの王子様なんだけど。


 そして、彼がエスコートする女性は、本物の王女様だった。


 白を基調とした、優美な裾の広がりが特徴的なイブニングドレス。白く艶やかな肩のライン、大きく開いた胸元の膨らみは、ボリュームこそ控え目だがとても美しいラインを描いている。健康的な肌色の、美しい顎のライン。若々しさを演出する瑞々しい唇。首が露わになるヘーゼルベージュのショートボブは、緩く内側にカールして、活動的ながらとても女性的な印象を与える。


 そして、自信に満ち溢れた、シャープに輝く茶色の瞳。


 はじめて会ったときとはまるっきり印象が違うが……その髪色、そして目を見れば、彼女こそがクロード、いや、クローディア王女なのだとわかる。

 完全に王子様、といった、あのときの雰囲気とはまるで違う。


 いま、そこにいる彼女は、完全で完璧な王女様だった。


「ステファン様、お気をつけください」


 耳元に顔を寄せてきたマリアンヌが、低い声で囁いた。


「そのように見とれておいででは、わたくしの説得力がなくなります」

「見とれてなど――」


 僕はマリアンヌの方へ顔を向けたが、微笑む彼女の視線がことさらに冷たいのを見つけ、思わず目をそらしてしまう。


「――おりません。ただ……驚いただけです」


 確かめるようにもう一度、マリアンヌの表情を窺うと、彼女は悪戯っぽく片目をつぶって見せたりする。演技か、とホッとする。


「であれば良いのですが……ステファン様、お好きなタイプでしょうから」


 言われて、話しかけてきた大人に微笑みを返すクローディア王女を、遠くから眺める。


 確かに、今のクール系美女ともいうべき雰囲気のクローディア姫は、大雑把に分ければヴィルジニーと同系統で、はっきり言って僕の好きなタイプだ。

 マリアンヌに見抜かれている、というより、ヴィルジニーと同系統だから、そう言ったのだと思うが。


「マリアンヌ様も、好きですよ、僕は」


 失礼な言い方だとは思ったが、どう言っても失礼になるだろうとも考えたので、僕はそのまま言った。


「美しい御令嬢を眺めるのは、目の保養になります」


 僕の発言を聞き、マリアンヌは、まあ、と呆れる。


「ステファン様も、そのようなことを仰られるようになってしまわれたのですね」


 僕は不遜に笑ってみせる。


「幻滅、されましたか?」

「少しばかり」

「それは残念」

「ステファン様は、わたくしに嫌われても、どうとも思われないでしょう?」

「そのようなことはございません。マリアンヌ様のようなお方には、好かれていたいです」

「そうですか? とてもそういうふうに思っておられるようには、見えませんが」

「聡い貴女あなたの前で取り繕っても仕方ない、と諦めているだけです」


 次々に話しかけられてしまうクローディア王女とフィリップ王子は、なかなか前に進めないでいる。二人に新たに話しかけた人物が、ドゥブレー侯爵夫妻、すなわちマリアンヌの両親であることに、僕は遅ればせながら気づく。


 マリアンヌへの協力要請は、僕からだけではなく、我が父から彼女の父、ドゥブレー侯爵にも行われていた。侯爵もまた王国内政に少なからず関わり、今回の件で、クローディア王女とフィリップ王子が婚姻に至ることを期待している。今頃、二人が似合いのカップルだ、などとおだてているのだろう。

 それにしても、完璧な笑顔で応じるクローディア王女に対して、フィリップ王子はポーカーフェイスに徹しきれていない。彼にしては珍しいことだが、笑顔を浮かべつつも、どこか浮かない様子を隠せていなかった。


「お父上は、なんとおっしゃられているんです?」


 僕の質問に、マリアンヌはどこか嬉しそうに微笑んだ。


「好きなようにやれ、と、言われております」

「本当に?」


 僕は思わず、眉根に皺を寄せる。


 父はドゥブレー侯爵と話をするにあたり、マリアンヌが将来、宰相のルージュリー伯爵の私設秘書になりたいと話した件についても、相談していた。父の立場では、貴族界に強い影響力を持つ侯爵に無断で、その娘の雇用の可否を判断するなど、できるはずもない。


 そのドゥブレー侯爵としては、娘を政略結婚に利用できない、だけではなく、他所の政治家の手駒として使われるというのは、面白くないのではないかと思うのだが。


「父にとっても損ではない……いえ、むしろ利がある、とでも、考えているのでしょう」


 娘を取られるのではなく、逆にルージュリー家の政治基盤を乗っ取れるとか、そこまでいかなくても影響力を拡大できるとか考えているのだろう。

 スパイを潜り込ませるようなものだ。


「そもそも今回の件、父にとって、対岸の火事ではございません」


 そうなのだ。

 あのあと、更に調べてみてわかったのだが、プレスコット情勢、はじめの印象よりもずっときな臭い。


 プレスコットと隣接する我が国の領土は、ルクレール辺境伯という貴族の領地だ。

 ルクレール家とプレスコットは古くから交流があり、両王国の玄関口、仲介役としての役割を果たしてきた、と同時に、アレオン王国政府を通さない、独自の関係性を築いてきた。


 そのルクレール家が、プレスコットの新石炭利権を狙っている、というのだ。


 例えば、アレオン王国に輸入する新石炭について、ルクレール家を窓口とする必要がある、などという形になってしまえば、手数料を取るというような単純なことばかりではない、流通量そのものを、ルクレール家が制御することだってできる。そのようなことになれば、ルクレール家の国内への影響力は、とてつもなく強まる。


 国内の貴族家のパワーバランスを、大きく変えかねない。


 クローディア王女とフィリップ王子の婚姻が成れば、プレスコット王家とアレオン王家の結びつきが強まる。中央の貴族には、それをもってして、ルクレール家の影響力を弱め、両王国間の取り引きへの介入を防ごうという思惑があるのだ。


 地方に多く領地を持つドゥブレー侯爵には更に、競合することの多いルクレール辺境伯家の台頭は、防ぎたいというのもある。


 その上で、娘を宰相家に潜り込ませられるというのであれば、総合的に見て確かにお得であろう。


 結婚をさせて、思い通りになるかわからない婿をコントロールしようとするよりは、ずっと、有効活用になるかもしれないのだ。


「ご心配には及びません」


 僕の顔色から何を読み取ったのか、マリアンヌは澄ました顔で言った。


「父の思惑がどうあれ、わたくしは、あのひとの思うようになるつもりはございません」


 口ではなんとでも言える――僕は心の中でそう思うに留め、頷くだけにする。


 僕個人としては、マリアンヌが僕にとってかわり、次の宰相になっても、一向に構わないのだ。


 それよりも、目下の問題は……


 僕は、ついに間近にまで迫った、クローディア王女とフィリップ王子に目を向けた。


 目が合ったのに気づいたクローディア王女は、僕に向けて不敵に微笑んだ。

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