空のアリエル
長靴を嗅いだ猫
第0話 夢の出会い
それが夢だと言うことはすぐにわかった。
見慣れた自分の部屋。クリーム色のカーテン、小学校の頃からずっと使っている勉強机。それとは別の折りたたみ式の小さなテーブル。身体が埋もれてしまいそうなクッション。
ゲームセンターで獲りまくってきたぬいぐるみが、本棚にずらりと並んでいる。
窓際のベッドのシーツは水色の花模様。そのベッドに見知らぬ女の人が腰をかけている。
「こんばんわ」
見知らぬ女の人は
「あ、ええと。こんばんわ?」
部屋の中はとても明るい。まるで朝起きたばかりのように。なのに、こんばんわ。
戸惑いながらも、夏帆は夢を見ているのだからこんばんわで合っているのだと強引に自分を納得させる。
「そう、こんばんわ。今はまだ午前三時。おはよう、というにはちょっと早いわね」
「ええと、そうですね」
夢なのだからと言ってしまえばそれまでだが、どうにもとりとめがない。
「いいお部屋ね」
「あの、ありがとうございます」
この人は何を言いたいのだろう? いや、むしろわたしは何を言いたいのだろう?
夢の中で出てくるモノは、それがどんなものであっても無意識からのサインだ。
例えば自分の部屋を夢に見るというのは自分の身体や心の象徴。六畳の少し狭い部屋は不安の表れで、見知らぬ人がまるで自分の家族のように当たり前のように自分の部屋にいるのは――家族とやり直しをしたいから。
そう、まさに今の夏帆の心そのままだ。これは夢なのだと納得できる。
だから、見知らぬ女性が言った言葉を少しもヘンだとは思わなかった。
「夏目夏帆さん。あなたに一つ提案をしたいの。いいかしら?」
「どんな提案ですか?」
「ホームスティのホストになってみる気は無い?」
「ホームスティ、ですか? どこに?」
「あなたがホームスティするのではなく、あなたにホームスティを受け入れて貰いたいの。もちろん、お礼はちゃんとします。人数は一人。あなたと同じ年ぐらいの女の子。私が言うのもなんだけど、とても良い子よ」
さて、これはどんな意味があったっけ。
夏帆は寝る前に読んでいた夢辞典の内容を思いだそうとして、すぐに馬鹿らしくなった。夢の中で夢判断なんてナンセンスも良いところだ。
ようするにわたしは寂しいのだ。きっと。だから、こんな夢を見る。家族ではないが、一緒に居てくれる都合の良い誰か。だから、同年代の女の子のホームスティ。そういうことだ。
「いいですよ。けど、わたし料理とかあまり出来ないですよ? 家には他に誰もいないし」
「いいわよ。それでも」
ベッドに腰掛けたまま、その女の人は小首を傾げるようにして微笑んだ。そういえば、この女の人は白衣を着ている。女医さんか何かなのだろうか。
「二人で色々と覚えていけばいいわ。お料理も洗濯も。掃除や買い物なんかもね」
「あと、わたし寝相悪いですよ? 今だって、たぶん、ひどい格好で寝てると思うし」
「あら大胆。一緒のベッドで寝るつもり?」
わたしは何を言っているんだ。いや、夢だから別にいいのか……いや、よくない。なにかそれは、人として間違いかけている。
「あ、いや。そうじゃなくて」
夢の中だというのに、首筋がカッと熱くなる。女医さんはそんな夏帆を見て、楽しそうに言った。
「了承、ということでいいのかしら?」
「えっと、はい。どうせ、私しかいないし。父さんたちにはああ言ったけど、一人暮らしなんて自信ないし。この家、広いしなんか寒いし。だから、ハイでいいです」
夏帆はそう答えると、ストンと部屋の真ん中に置いてあるクッションに座り込んだ。自然とベッドに腰を下ろしている女医さんを見上げる形になる。
「けど、どうしてわたしなんですか?」
そりゃあ、自分の夢なんだから。あたりまえだ。
しかし、返ってきた答えは夏帆が思っていたのとは少しだけ違っていた。
「私たちにとって、あなたが都合良かったから」
「都合がいい?」
「そう。肉親の縁があまりなくて、それでいてそういったものを疎ましく思ったりするほどには防衛反応が発達していない。一般的な学生生活の中にあって、友人もそれなりに多い。つまり、社会からは孤立していない」
「ストレートに言うんですね」
さすがに少し腹が立った。なにか自分が実験動物にでもなったみたいな気がする。
「曖昧な言葉でごまかされるのは嫌いでしょう?」
「それは……そうですけど」
夏帆の家族は曖昧な言葉と微苦笑を繰り返しているうちに、バラバラになった。ひょっとしたらという甘い期待と、そんな都合の良いことなんてありっこないという現実を繰り返す一ヶ月だった。
「これはとても大切なことだから、私も言葉を飾ったりはしない。もし、あなたがそれは嫌だというなら、残念だけどこの話はなかったことになるわ」
「話、続けてください」
「そういうと思っていた――あなたは私たちにとって都合が良かった。もちろん、私たちにとって都合の良いケースは他にいくつもあったけどうまくいかなかった。この提案をするのは、夏目さん。あなたで45人目になる。だから、あなたが45人目にならないことを私は祈っている」
夢の割にはずいぶん具体的な数字だ。
「あなたに受け入れてもらいたい女の子はヒトではない。厳密に言うと生物と言っていいのかどうかという疑問もある」
「は?」
思わず、声が出た。
「えっと、天使とか悪魔とか宇宙人とかロボットとか?」
弟が嵌っていたゲームやアニメの内容が脳裏を駆け巡る。あれだ。いきなり部屋に可愛い女の子が飛び込んできたり、道を歩いていたら天使と悪魔の戦争に巻き込まれたり。そりゃあ、みんな断るだろう。みんな? いや、これは私の夢だ。たぶん。
そんな夏帆の困惑とは裏腹に女医さんは先を続けた。
「最後のロボットというのが一番近いかもしれないわね。彼女たちは私たちが関与して誕生した。そういった意味では生物ではない。しかし、その一方で彼女たちには私たちとは完全に別個の意識があり認識がある。私たちは精霊意識体/ECと呼んでいる」
「精霊、意識体……」
不思議というよりも強引な響きの言葉だった。
鉄筋コンクリート掘っ立て小屋とかあんパンサラダとか、相容れない言葉を無理矢理くっつけたような感じをうける。
「そう。私たちの技術によって組み上げられた構造体に生じた意識。その意味では人工意識体と言えるはず。しかし、彼女たちの反応はこちらの想定とは大きく異なっていた。まさに、何かが宿ったとしか言いようがなかった。人では無い何かの意識。しかし、彼女たちは私たちとコミュニケーションをとれるように見える。彼女たちは我々の個人や集団に対して何を求めるのか。それを知りたい」
どういう意味だろうか。ホームスティ、寂しさを紛らわすただの夢のはずなのに。なのに女医さんが何を言おうとしているのかよくわからない。
「あの……もう少し、わかりやすく言ってくれませんか?」
「そうね……夏目さん、空を飛びたいと思ったことは無い?」
まるで違う話題に少し面食らう。それでも、人工がどうとか意識がとかいう話よりはずっと分かりやすい。空を飛ぶという夢はどんな意味だっけ。いや、まだ飛んでないか。
「彼女なら、連れて行ってくれるかもしれない」
「空に?」
空に、と女医さんはうなずいた。
「彼女がそれを望むなら。そして、彼女もあなたに何かを望むかもしれない。彼女が何を望むのか。あるいは何も望まないのか。それを私たちは知りたい。人ではない彼女たちは私たちとどういう関係を築こうとするのかしら」
「……よくわからないけど、危なかったりすることは無いんですか?」
何を言っているのか半分もわからないが、女医さんの言葉に少し寒気を感じた夏帆は遠慮がちにそう訊いてみた。とにかく人間では無いというのだから安心は出来ない。
夏帆の言葉に女医さんはフっと力を抜いたような笑みを浮かべた。
「それは大丈夫。彼女たちは滅多なことでは危害を加えたりしない」
「滅多なこと?」
「常識的なことと言い換えてもいいわ。夏目さん、あなたがもし人気の無い夜道でレイプされそうになったとする。たまたま、手の届くところに手頃な大きさの石があった。あなたはどうする?」
「殴ります」
当たり前だ。そんなのは絶対に嫌だ。誰だってそうする。
「同じことよ。そういった危険が身に迫れば彼女は危害を加える可能性がある。逆にそんなことでも無い限り、危害を加えたりはしない」
少し安心した。
「私からのお話は、これでお終い。あとはあなたが決断することよ」
気がつけば、部屋の中が少し暗くなっていた。さっきまではっきり見えていた女医さんの顔が暗がりに溶けてよくわからなくなってきている。夏帆は夢の終わりに近づいてきているのだとぼんやりと思った。
「夏目さんにその気があるなら、明後日の午前六時に美登里川沿いの桜並木に来てちょうだい。その行為を受諾の証と考えます」
「明後日?」
「そう。明後日の朝六時」
「……寝坊したら?」
「縁がなかったと諦めるわね。あなたにしてもすぐにヘンな夢を見たとしか思えなくなる」
どんどんと視界がぼやけていく。もうすぐ目が覚める。その前に最後に一つだけ聞いておきたかった。
「名前を教えてください。わたしと一緒に住む、その女の子の」
「アリエル。彼女はそう私たちに名乗ったわ」
綺麗な名前。そう思ったところで、夏帆はベッドに寝そべり天井を眺めていることに気がついた。
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次回 第1話 友だち
今日の20時15分過ぎに更新予定です。
少しでも気に入っていただければ、嬉しいです。
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