第99話「又兵衛の武志道」

 慶一郎けいいちろう喜助きすけ義太夫ぎだゆうの三人が江戸入り前夜の宿泊場所として選択した山小屋には野獣の様な気配を持つ二十五人とそれを率いる一人の強者もののふがいた。

 野獣を率いていた強者は早雪さゆきの育て親である後藤ごとう又兵衛またべえ基次もとつぐ

 又兵衛は早雪さゆきうしおと共に自らの下を去ってから現在いままで日本中を放浪し続け、その道中で遭遇した山賊や破落戸ごろつきを武によって自らの傘下に置き、かつて又兵衛が侍として仕えていた頃の人脈を使ってその者達に仕事や棲処すみかを斡旋して他の生き方をさせていた。

 放浪中の又兵衛は時には残忍とも思える程の行為を行い荒くれ者を従えた。


 


 それが権力を捨て単独ひとりの武士となった又兵衛の武志ぶしどうであった。


「……ま、俺様の武志道かんがえに正義があるとは云わねえよ。正義なんてものは人の数だけあってもおかしくねえんだからな。それでも俺様はてめえにがあるときは非を非として受け入れるだけの度量と経験がある。それには俺様が生まれ持った環境も影響してんだ。生まれがどうこうとかあんまり云いたかねえが事実は事実だ……だが、俺様が旅をしながら見てきた奴等が生まれ持った環境は是非の判断すら存在しねえ。生まれつき是も非も知らねで育った奴ばかりだ。知らねえんなら誰かが教えてやらなきゃなんねえだろ?」


「生まれ持った環境は変えられない。だからこそ環境を得ている者が持たざる者を導く、それもまた必要な事だと?」


 夜は更け、既に今日となった江戸入り後の話を終えた義太夫と喜助が近くの寺に酒を貰いに行っている間、慶一郎と又兵衛は一対一で意見を交わしていた。


「ああ。人としての生き方を知らねえ奴等が人道にもとる行いをするのは仕方がねえ事なんだよ。そもそも人道なんてもん知らねえんだからな。知らねえ以上、それを教える者がいなくてはならねえ。人の道を外れた奴等に人としての道を歩むための道を示し、共に道を作って引っ張る者、文字通り道引みちびく者が必要なんだよ」


(やはり似ている…考え方に多少の差異はあれど、又兵衛またべえ殿の根幹にあるものは信繁のぶしげ殿と同じく民の安寧……)


又兵衛またべえ殿、聞いて頂きたい事があります」


 唐突に慶一郎が切り出した。


「あん?なんだ急に改まっちまってよ。改まるほどの内容はなしか?」


「ええ、そうです。少なくとも私には」


「そうか。なら……」


 慶一郎は胡座あぐらから正座へと座り直し、真っ直ぐに又兵衛を見た。それに対して又兵衛は左手に持っていた酒を呑み干すと酒坏さかづきを床に置き、同じ様に胡座から正座へと座り直した。

 これは、自らに礼を尽くさんとして座り直した慶一郎に対する又兵衛の返礼であった。普段は粗雑な態度を取る又兵衛だが、その実は紛れもなくまことの武志であり、真のである。人同士ならば目上目下はあれども互いに対等で然るべきということを又兵衛は態度で示し、一切の肩書きかざりを捨てて単なる人として慶一郎と向き合った。


「これでいい。んで慶一郎けいいちろう、俺様に何を聞かせたいんだ?」


 その言葉を放った又兵衛の態度にはどこにも粗雑さはなくなっていた。それを見た慶一郎は一層改まり、視線を逸らさずにゆっくりと口を開いた。


「…又兵衛またべえ殿、あなたは私の素性をご存知なのですよね?」


「ああ、早雪さゆき宛の書状を読んだからな。豊臣の血と立花たちばな甚五郎じんごろうだろ?」


「ええ。では本題です。…又兵衛またべえ殿、私達にお力をお貸しして頂けませんか?」


「力だと?…単なる牢人に何が出来る?」


又兵衛またべえ殿には将になって頂きたい」


「将?ってことはおめえ…」


「はい。近く豊臣は将兵を集い挙兵します。それに伴い早ければ年内には戦となるでしょう。相手は無論…」


「徳川か。くくく…戦か。なるほどやっとわかったぜ。真田んとこの次男坊がうしお早雪さゆきを使っておめえを探した理由わけをな。…慶一郎けいいちろう、真田の信繁ガキはおめえに理由わけを話したか?」


「…言葉を交わす猶予ときが無かったため詳しくは聞いておりませんが、早雪さゆき殿からは私の持つ豊臣の血が必要だと聞かされました」


 慶一郎は信繁のぶしげによってとなる事を求められたが、それは早雪から聞かされたことであり、信繁自身の言葉では聞かされていなかった。

 信繁と慶一郎、二人の出逢いはまさしく激烈であった。

 出逢ってすぐに二人は互いに生命いのちを賭して戦い、慶一郎は信繁を斬った。それから押し寄せる様にして潮の死、そして信繁の下半身不随、共に過ごした僅かな期間に起きたそれらの出来事は否でも応でも慶一郎とその周囲の者を急かした。

 慶一郎は徳川の世をより深く知り、その是非を自らの眼で見極めるために江戸を目指し、信繁は自身の描く世の実現に際して必要不可欠な戦いの時に向けて刺客から身を隠して療養せざるを得なかった。

 二人が出逢った時の状況、その激烈な運命の奔流が慶一郎と信繁に多くを語り合う猶予ときを与えなかったのである。


「豊臣の血か。ま、口上としてはそんなとこだろうな…だがな慶一郎けいいちろう。あの信繁やろうは頑ななまでに愚直な男だが、それでも稀代の策士である真田さなだ昌幸まさゆきの息子だ。奴が早雪さゆきつうじておめえにどんな話を聞かせたか知らねえが、奴は真実ほんとうの意味での本心は隠しとおす。そしてそれはうしおも同じだ。あの男は真田のために生きる男、真田の当主となった信繁やつが本音を明かさねえなら自身の意見を螺曲げてでも黙る。そういう奴等だ。尤も、早雪さゆきの奴は腹に一物を抱えた状態まま過ごせるほど器用じゃねえからあいつの云った事はあいつの知る全部すべてだ」


「…では、又兵衛またべえ殿は源二郎げんじろう殿が私に隠し事をしていると?」


「さあな。…どうやら二人が帰ってきたぜ。まずは呑み直しといこうや」


又兵衛またべえ殿、この話はまだ終わっていないことをお忘れなく」


「おう。たりめえだ。おめえが俺様に対しても世の中に対しても真剣ほんきだと感じた以上、俺様もそれに応えてやる。とことん話そうや。…それよりも慶一郎けいいちろう、あの二人はお前の人生みちを一緒に歩むなんじゃねえのか?この話の続きが聞きたきゃ二人も一緒に聞かせるべきだと俺様は思うがな……」


 その言葉の直後、喜助と義太夫が小屋の中へ入ってきた。


「二人共待たせたな。気付けの酒以外全部貰ってきたからとことん呑もうぜ!」


「なあに心配ない!!金子きんすはたっぷりと置いてきた!!代償かわりに坊主の呑む酒は無くなったがのう!!むははははは!!」


 当時の寺には必ず酒が置いてあった。

 その理由は二つ。一つ目は喜助の云った気付けの酒、即ち怪我をした人間の傷口の消毒用の酒というのが一つ。もう一つは義太夫の云った様に仏門に入り寺に住まう者が呑む酒と客人をもてなす際の酒である。


「うっせえぞデカブツ!せめえんだからデケエ声出すな!摘まみ出すぞ!」


「出来るものならやってみい!!」


「まあまあお二人さんよ、楽しく呑もうぜ。なあ、慶一郎けいいちろう


「…喜助きすけ殿、義太夫ぎだゆう殿、呑む前に又兵衛またべえ殿のお話が聞きたいのですが構いませんか?」


 慶一郎のこの言葉で場の雰囲気が一変した。

 騒がしさは消え去り、緊張にも似た真剣な空気が小屋を満たした。

 そして、喜助と義太夫が座ると慶一郎は口を開いた。


又兵衛またべえ殿、あなたの知る限りの事をお聞かせ願いたい」


「くくく…ああ、構わねえぜ。呑みながらならな」


「ほれ、お主の分じゃ」


「おう、ありがとよ。んん…ふはっ!こいつはなかなかいけるな。…さてと何から話すかな。とりあえずは早雪さゆきを預かる時に源二郎げんじろうの親父の昌幸まさゆきさんから聞いたことから話してやるか───」


 義太夫が酒を渡すと又兵衛はそれを杯に注がずにそのまま少し呑み、それから再び四人が揃った小屋で自身の知る事を話し始めた。

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