第66話「間合」

 慶一郎けいいちろう喜助きすけが巨男と対峙する日から凡そ四年半前───


「うおおおおお!」


「………」


 鬼助きすけは長さ一丈程の木槍を双頭槍そうとうそうに見立て、うつろに対して激しい連撃を繰り出していた。

 空もまた鬼助と変わらぬ長さの木槍を手にし、それを偃月刀えんげつとうに見立て、無言のまま鬼助の連撃をさばいていた。


「こおっこだあああああ!」


「……ふっ…」


「えっ!?ちょっ…ぐはっ!」


 鬼助の連撃は三分近く続き、その最中さなかに空の身体からだが僅かに揺らいだその瞬間、鬼助は渾身の力を込めて右から左への横薙ぎを放った。

 鬼助はこの直前に左足で踏み込みながら左の横薙ぎを放っていた。対して空は右手に持った木槍で身体の右側でそれを受けた。

 しかし、この一連の流れは鬼助の仕掛けた策略であった。鬼助は左足を踏み込みながら左の横薙ぎを放ち、そのままの体勢で下半身を使わず即座に上半身の力のみで攻撃を繰り出すことで空の意表を衝き、左腕のない空にとって死角とも云える右の横薙ぎを打ち込もうとした。だが、空は鬼助の策略に全く動じていなかった。

 鬼助の右の横薙ぎが放たれる瞬間、空は右手に持っていた木槍を手放し、空手からてとなった右手で鬼助の左前腕を掴み、それと同時に右足を踏み込んで鬼助の左足を払いながら鬼助を投げ飛ばした。


「惜しいな、鬼助きすけ。我の虚を衝こうとしたまではよい。だが、その後が未熟だ」


 空はそう云いながら腰を打って悶えている鬼助に手を差し伸べた。

 この頃、二人はまだ空の里となる地へと辿り着く前の旅の途中だった。無論、喜助の名はまだ鬼助である。

 空と鬼助は目的地の定まっていない旅を続ける放浪の日々の中でこうして鍛練を行っていた。

 この鍛練は鬼助が本格的に武術を学び始めた八歳の頃からずっと続けてきた。ほぼ毎日必ず行われるため、十五歳にも満たない鬼助が鍛練に費やした時間は他の武芸者や武士を凌駕し、尚且つ空という圧倒的な実力を持つ師から武術を学んでいる鬼助は既に、一流の武芸者と云っていい程の実力を持っていた。

 さらに、この頃の空はかつての自分の行いへの贖罪として私利私欲で罪もない人々を襲う者達と頻繁に戦っていて、鬼助もそれに加わっていた。

 鬼助がそれに加わったのは十三歳の時、空はそれを望んでいなかったが鬼助は自らの意思でその行為に参加した。

 きっかけは、ある村を襲った数十人の山賊を空が独りで相手にしていた時の出来事だった。

 突然現れて次々と山賊を斬り殺す空に対して一人の男が村の少女を人質に取った。その行為は空に対しては何の意味も持たなかったが、空の指示で村人の避難誘導をしていた鬼助には効果的だった。

 少女を人質にされても空が気にも留めない事をわかっていた鬼助は、咄嗟に転がっていた山賊の死屍しかばねから弓と矢を剥ぎ取り、少女を助けようとして男に向けて生まれて初めて矢を放った。

 鬼助の放ったその矢は男の喉元を的確に捉え、一撃で男をころした。

 鬼助の才能が目覚めた瞬間であった。

 空は隻腕でありながらあらゆる武術に長けていたが、自身が隻腕であるが故にそれまで鬼助に弓術を教えたことはなかった。だが、鬼助はその瞬間まで一度も手に取ったことすら無かった弓を見事に扱い、生涯初の一矢いっしを狙い通りに的中させた。

 この出来事は空にとって誤算だった。

 空はこの出来事の以前、鬼助に対して常々「闘争に於いて汝はまだ未熟。故に我が許すまで闘争に身を置くことを禁ずる」と云っていた。

 これは空が鬼助をまもるための言葉であり、鬼助はそれを守ってきた。だが、鬼助はこの時に初めてそれを破った。

 そして、破った事でもたらされた結果こそが空の誤算だった。

 空の誤算とは、鬼助の弓の才能を見抜けなかった事である。

 弓術に於いて素人が初めて射った矢が的にことはまずあり得ない。だが、鬼助は喉元を狙って喉元へ

 人間の喉元を射る行為、これは弓道で云うならば的の中心にある『図星』や『正鵠せいこく』を射るという事である。

 道場で的にあてることのみに集中している状態であっても風などの外因によって困難となるその行為を、鬼助は極度の緊張感に包まれた実戦の最中に初めて射った矢でそれをおこなった。

 それはまさしく天賦の才が為した偉業だった。

 鬼助がその偉業を為した日から二日間、空と鬼助は成行なりゆきによりその村へとどまった。

 一日目の夜、鬼助は一睡も出来なかった。それは自分が人を殺したという事実ことへの懺悔と興奮の入り交じった夜だった。

 二日目の夜もまた鬼助は眠ることが出来なかった。その夜、鬼助は助けた少女からの礼を受けるかたちでとなった。少女は鬼助より二つ歳上だった。

 三日目に空と鬼助はその村を出た。その際に鬼助は少女に引き留められ、空は鬼助自身にをさせた。

 そして、鬼助は自らの意思で空との旅を続けた。

 これ以後、空は鬼助に闘争への参加、即ち死合しあいを行うことを許し、それまで一度も教えていなかった弓術を教えた。空は矢を口にくわえてつがえ、その状態から放って尚も百発百中であった。

 空の指導と鬼助の才能は、鬼助の弓術を瞬く間に至高の域にまで高め、鬼助は初めて弓を手にしてから一年足らずで『放たれた矢の弾道に合わせて自らの矢を放ってそれを射落とす』という芸当を行える稀代の弓の名手となった。

 こうして鬼助は戦のない時代となっていたにも関わらず数多くの死合に身を置き、その経験を重ねた。

 鬼助はその経験を踏まえて一流だった。


「ぐうう…ってぇ…少しは手加減してくださいよ……」


「無論、加減している。…さあ鬼助きすけ。汝の負けだ。飯を作れ」


 空は自らの手を握った鬼助を引き起こすと鬼助に飯を作れと云った。

 これは二人の遊戯あそびだった。

 鬼助が空に本格的に武術を学び始めた日から数ヶ月後、空はそれまでは自らが全て行っていた飯作りを鬼助と分担し、その中で夜飯はその日行われた勝負に負けた者が作ることにした。

 勝負の決着は単純であり、手にした武器、徒手、投げ技、逆技、あらゆる攻撃を相手より先に一撃加えた者の勝ちというものだった。

 この勝負は空が他者と話すか戦闘していない場合に限り、いつ如何なる瞬間ときであっても鬼助により開始される。

 空が寝ていても、料理をしていても、町中でも、鍛練中でも、鬼助がと思った瞬間に攻撃を仕掛けていいことになっている。即ち鬼助の不意打ちが認められている。

 しかし、既に二千回程は行われたその勝負に鬼助が勝てたことは一度もなく、毎日必ず一度は飯を作っていた鬼助は武芸だけでなく料理の腕も磨かれていた。


「くそう…せっかく昨日考え出した作戦でうつろ様の隙を生んだと思ったのに武器を手放すなんて……あ、今日の米で最後か。うつろ様、どうします?こう寒いと動物もあまり居ませんし、明日にでもどこかへに行きますか?」


 鬼助の云った『稼ぎ』とは、荒くれ者や一部の武士などによる無銭飲食に手を焼く飯屋に行き、武を以てその者達の無銭飲食を止めさせて幾らかの謝礼を得ることである。


「いや、恐らくその必要はない。昼間山賊から救った商人が明日何か届けると云っていた。…それよりも鬼助きすけ、我は闘争の最中さなかに武器を手放してはならぬと教えたか?」


「いえ、武器に囚われるなと教わりました」


「そうだ。武器に囚われず、次の動きを想定して動け。己の動きも相手の動きもだ。汝に読合よみあいを行えとは云わぬ。読合は得手不得手がある。汝は読合よりも感覚かんひいでた者だ。一つ目のかんとは即ち直感。そして二つ目のかんとは即ち感性。閃きを生む直感とその直感を活かすための感性。鬼助きすけ、強くなりたくばこの二つ感覚かんのを磨け」


「二つの感覚かん…よくかわかりませんがわかりました!」


「ふっ、今はそれでよい。…よく聞け鬼助きすけ。偃月刀や槍などは間合を征する武器だ。故に近寄られてしまえばもろい。どれ程に優れた使い手であっても懐に入られれば長い間合は飾りとなり、その長さこそが命取りとなる。無論、間合を征している限りは負けることはないがな。汝に授けたその弓も同一おなじだ。鬼助きすけ、我が何故その弓の弓弭ゆはずに刃を付けたのかは覚えているな?」


「はい。この刃はを具現するもの。離れたならば矢を放つ弓となり、近付いたならば双刃そうじんを振るう双頭槍となる。うつろ様が製造つくったこの鋼鉄製の弓は、弓弭の刃により長短自在の間合を征する無二の武器となります」


「そうだ。だが、長短自在はあくまでも言葉だ。その弓の長短、そのそとうち、どちらか一方であれば優れた武器はある。特に内、短い間合に適した武器を扱う者は汝にとってと心得よ。それを扱う相手との闘争は常に相手の間合の外にいる事を心掛けろ。そして、間合とは常に動くものだという事を決して忘れるな」


「動くもの、ですか?」


「そうだ。更には動かすものでもある。前にも教えたが、槍や刀は握りの位置やたいさばきを含めた扱い方次第で有効な間合が大きく変わる。加えて体術も組み合わせれば自在とまではいかぬが隙は減る。我がやった様に武器を手放しても相手を倒せればよいという場合こともある。近い間合が不得手な筈の武器であっても間合を動かせば対応が可能だ。…鬼助きすけ、汝はその弓と共にまだまだ強くなれる。読合が不得手ならば間合を感じ取り、間合を支配すればよいのだ」


 


 この空の言葉の通り、鬼助は日に日に強くなっていった。


 ───そして、現在いま


 あの頃の様に悪党から罪のない人々を護るために踏み入れた村で出逢った巨男おおおとことの邂逅により、喜助はあの時の空の言葉おしえをさらに深く理解した。


 


 巨男と対峙した喜助は無意識の内に巨男の得意とする間合を感じ取り、自らの得意な間合を保つために近寄ることを拒んだのだった。

 そして、鬼助自身も理解が出来なかったその行動の根幹にあったという要因ものを、喜助は自らの発した天敵というその言葉によって全て理解した。

 喜助は空手の巨男が得意な間合を自らにとって天敵となる間合と感じ取り、それを支配しようとしていたのである。

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