第44話「早雪の強さ」

「ちっ!外れたか…少しでも前に進んでりゃあ当たったんだがなあ…」


 そう云いながら、矢を放った者が二人の前に姿を見せた。


のではなく、のではないですか?わざと軌道をずらしていたのでしょう、鬼助きすけ殿」


 慶一郎けいいちろうは現れた者に対して微笑みを向けながらそう云った。

 慶一郎に向けて矢を放った者、それは他でもない鬼助であった。


「さあな。それにしても今回は出来るだけ無心で放ったつもりだったが、まさか早雪さゆきにまで気取けどら…どわっ!?」


鬼助きすけ!!貴様一体なんのつもりだ!!あろうことか慶一郎けいいちろう殿に向けて矢を射るとはどういうことだ!!返答次第では貴様とて容赦はせぬぞ!!」


 早雪は鬼助の姿を捉えるや否や両手もろてに持った短刀ので鬼助に斬り掛かっていた。


「待て待て待て!落ち着け早雪さゆき!そんなもん振り回されたら返答もクソもねえだろうが!洒落になってねえぞ!」


「問答無用!!先に洒落にならぬ事をしたのは貴様だ!!峰打ちであることをありがたく思え!!」


 洒落にならぬ事。

 早雪の云ったそれは鬼助が慶一郎に向けて矢を放った事であり、鬼助の云ったそれは早雪が短刀で斬り掛かっている事である。

 短刀とは云えど日本刀。日本刀である以上は一定の重量おもさと一定の頑丈かたさを持つ武器である。その重量と頑丈さは飾りではない。峰打ちではあれど力を込めた一撃を受ければ人の骨など容易たやすく折れる。例え峰打ちであっても喰らえば怪我をする事は免れない。

 峰打ちとは、決して安全なものではなく、当て様によっては人の命をも奪うことの出来る強烈な殴打なのである。

 それ故に峰打ちだからと安心することなど出来るものではなく、鬼助は早雪の行動に驚いていた。


早雪さゆき殿、肩の怪我も完全に癒えていないのですから無理をしない程度にしてください。それと、念のため頭部は避けねばなりませんよ。ふふふ」


慶一郎けいいちろう!お前なに笑ってやがる!頭部とかそういう問題じゃねえだろうが!笑ってねえで早く早雪さゆきを止めろ!」


「はあっ!!」


「くっ!あぶねえ!早雪さゆき!お前も落ち着け!」


 慶一郎は早雪が鬼助に斬り掛かり、鬼助が心底困った顔で辛うじてそれをかわす姿を笑って見ていた。

 その時の鬼助の表情かお、人間としての感情を真っ直ぐに見せているその姿こそ、うつろが慶一郎と早雪に鬼助を同行させることを望んだ理由であり、空の鬼助への想いであると感じていた。

 空の想い…

 それは、自身の留守中に里をまもりきれず多くの子供達を行方ゆきがた知れずにさせ、目の前で力丸りきまるの命を失わせてしまった自責の念から自分自身を許せない鬼助の心の闇を晴らすことだった。そして、鬼助の心に出来てしまったその深く暗い心の闇を晴らすには、子供達を探し当てるだけではなく、さくら佐助さすけに笑顔をもたらした早雪の持つが必要であり、早雪の持つその何かにこそ鬼助の心を救う鍵がある。そう感じたからこそ空は慶一郎と早雪に鬼助を同行させようとしたのである。

 慶一郎は空の想いがわかった。慶一郎は空が例え短期間でも鬼助が早雪と共に過ごす時間を作りたかったのだと感じた。

 そして、慶一郎は気がついていた。空にはわからなかった早雪の持つ何か、桜と佐助に笑顔を齎したその何かがであることを…


早雪さゆき殿…あなたは誰よりも優しくて強い心を持っている。あなたのその優しくも強い心は、見も知らぬ二人の子供の歩んできた人生を想い、それを救おうとした。結果的にはその二人は命を落とした。しかし、恐らく二人は死ぬ間際にあなたの優しさを、心のぬくもりを感じたことでしょう。そして、あなたは目の前で二人を失った自分自身の無力さと、二人を救えなかった事実に慟哭した。それでもあなたは既に前を見据えている。二人を救えなかった悲しみを背負い、二人の死を受け止めて前を見据えている。………優しいが故に危うさをはらんだ心。危うさを孕んだ強く優しいその心こそがあなたの強さの根幹です。そして、あなたのその強さは周囲を包む…何も特別なことはしていなくとも、あなたがいるだけで周囲の人々は救われる。そう、私の心も……)


 慶一郎は早雪の強さを悟った。

 早雪の強さ…

 それは、剣の腕や死合しあいの強さではなく、誰よりも他者を想える心。

 他者の悲しみ、他者の痛みを決して他人事にはせず、それを共に背負い、和らげようとする、それこそが早雪の根幹、早雪の持つ真の強さであると慶一郎は悟った。

 慶一郎の悟った早雪の根幹、真の強さ、それは空が早雪に云った言葉にも現れていた。


『汝はだ』


 空は早雪と出逢ったその日、早雪と慶一郎と出逢ってから間もない時に早雪へ向けてそう云っていた。

 その言葉は、長い間殺戮者として生き、相手の実力を見抜くことに長けていた空が早雪の強さの根幹を見抜いた言葉だった。

 その言葉は、早雪が身を挺して空から慶一郎をまもると宣言した時の言葉だった。

 その言葉は、早雪の生き方、早雪の信念を聞いた空が早雪を認めた言葉だった。


 使


 空は早雪にそう云っていた。

 空の里を訪れてからの一連の出来事で、慶一郎が早雪に対して悟ったことと、空が長年の経験から見抜いたこと、それらはという点で共通していた。

 早雪の根幹…

 早雪が早雪である由縁…

 それはまさしく、他者の幸福しあわせを願うことの出来る優しさである。

 そのためには時として自身の命すらかえりみない。

 それは、慶一郎に対してだけではない。場合によっては見知らぬ者のために殉ずる程の優しさが早雪の根幹であり、早雪なのである。

 それ故に早雪は、弱者が虐げられる世の中を変えたいと願い、父である真田さなだ信繁のぶしげから聞かされた慶一郎という人間にその願いを託そうとしている。

 早雪は常に自身の幸福よりも他者の幸福を願い、自身の悲しみを避けるよりも他者の悲しみを避けることを優先し、自身に痛みが伴おうとも他者の痛みを防ごうと行動する。

 それが、早雪である。

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