05.5
「嫌だ~~! ぼくはもう、王宮術士をやめてやる~! 実家帰る~!」
恥も外聞もなく、床に転がりじたばたと癇癪を起しているこの男が、王宮術士を束ねる術士長だと、誰もが信じたくないだろう。
御年二十三の男が、術士の制服である黒いローブをまとったまま、髪が崩れるのも気にせず。まあ、髪はひどいくせっけなのでぼさぼさになろうとすでに手遅れなのだが――転がる床がエンティパイア帝国第二王子、カルファの自室であるという点においては、流石に誰もが目を疑うだろう。
現にカルファの護衛や側使えは顔がこわばったまま。
部屋の持ち主であるカルファは何ら気にすることなく、第三王子のトーランド・ガイツ・エンティパイアとボードゲームに興じていた。カルファの隣に座るトゥーリカは術士長の癇癪に慣れていないのか、おろおろとするばかりだ。
「なんでフィオディーナ嬢を国土追放にしたんだ! 馬鹿! バカルファ!」
罵倒の言葉も、カルファは軽く溜め息で受け流すのみ。普通の民だったら不敬罪に問われてもおかしくはないが、乳兄弟であり、幼馴染として育ってきた術士長は咎められることはない。度が過ぎれば話は別だが、たいていの悪口は流される。
「……婚約破棄して国外追放にしたら、お前が娶って終わりだろう。罰にならん」
当たり前じゃん! と術士長は一瞬起き上がり、またじたばたしはじめた。
「ウィルエールさん、趣味わる……」
ぼそり、とトーランドがつぶやく。がばり、と術士長――ウィルエールが立ち上がり、素早い動きでトーランドに詰めよった。
「今聞き捨てならない言葉を聞いたね? ぼくにとってはフィオディーナ嬢がこの世で最も愛おしい人だ。あの方は女神なんだよ! ぼくに言わせれば、こんなぽわぽわした日和見な女を選ぶカルの方が趣味悪い!」
「近い、近い!」
息がかかる距離でウィルエールはトーランドに、フィオディーナのすばらしさを熱弁しだす。前髪でほとんど隠れてしまっているその両目には離れたがるトーランドの姿は映っていないようだ。
「あんなにぼくの研究の話を聞いてくれるご令嬢がこの国土のどこにいる!? そりゃ、確かにいつもカリカリしていたけど……そこがまたいい! 怒りに満ちたあの鋭い瞳で睨まれながら罵られる……最高じゃないか! それなのに……国土追放! ありえない! 彼女が何をそこまでしたというのだね!」
ギッとウィルエールがカルファをにらむ。カルファは普段からウィルエールの扱いに慣れているからか、あまり動揺はない。
「第二王子の婚約者に手を出したのだぞ?」
「あの時点での婚約者は我が女神だったはずだ!」
「まあでも婚約破棄は仕方ないよねー。感情をそのまま言葉にしてぶつけちゃうようなご令嬢は王妃にふさわしくない」
ウィルエールの怒りがカルファに移ったからか、普段の調子を取り戻し始めるトーランド。
「王妃って……第一王子のアンブロ様がいるだろう!」
「いやいや~、今、第一王子と第二王子は力が拮抗しているよ。アンブロ兄さんも悪くないけど、カルファ兄さんもなかなかどうして人望と人脈がある。今回のオヴントーラの令嬢との結婚も、力をつけるためだったしね」
「……だとしても! 国土追放はやりすぎだ!」
噛みつくようなウィルエールの責めにも、カルファは冷静に返した。
「トゥーリカをねちっこくいじめるような奴だぞ。そのまま国外追放をしたとはいえ、領地に残したら何をするか」
「――ッ! フィオディーナ嬢は怒鳴れど、怒れど、愚かな行動などするものか! 害することなどあるわけないだろう!」
「……ウィル、お前もフィオディーナの癇癪が移ったか?」
ぎり、とウィルエールが歯をかみしめる音が室内に響いた。
流石に言い過ぎでは、という表情でトゥーリカが小声でカルファの名を呼んだが、ウィルエールにおびえていると勘違いしたようだ。大丈夫だよ、などと見当違いのことを言っている。
「……カルファ、ぼくは本当に王宮術士をやめるぞ。流石に今すぐとはいかないが、一か月以内に引き継ぎを済ませてここをでる。後任はレグルで問題ないね?」
「やめてどうする」
「フィオディーナ嬢を追うよ」
その言葉に、ようやくカルファは盤面から顔を上げ、ウィルエールを見た。
「死ぬ気か?」
「我が女神は生きているよ」
「まさか、そんなわけ……」
あの海を渡って生き残れるものがいるわけがない。けれど、ウィルエールの表情は、嘘を言っているものでも、あるかわからない希望にすがっているものでもない。確信あっての表情だった。
「それでは、カル」
ローブを翻し、ウィルエールは去っていく。
そのまま去れていれば格好良かったのだが、「床に転がったときに術石をおとした!」と戻ってきたのは数十秒後のことである。
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