02

 小さな手持ち鞄。

 その中身が、国土追放されるわたしに許された、最期の餞別だった。

 一等お気に入りだったドレスと、少しのお金、友人からもらったネックレス、それからわたしの母が描かれた小さい姿絵が入っているだけのもの。

 トゥーリカを苛め抜いたわたしへの罰は、婚約破棄と国土追放だった。今迄自分をいじめていた姉とはどこか違うと一人悟っていたトゥーリカは、温情を、と訴えていたが、かなわなかった。それどころか、『罰が決まったのに、いまだ妹を使って刑を逃れようとしている女』と、心証を悪くするだけだった。


 そう、国外追放ではなく、国土追放。


 エンティパイア帝国は、様々な小さい国家が連なってできている国だ。エンティパイアで国外追放、というと、自分が育った国に二度と足を踏み入れられなくなる、ということ。平民として他の傘下国で生きることを強制させられる。ただし、命の保証はあるものだ。

 けれど、国土追放は違う。島国であるエンティパイア帝国そのものから追い出される、文字通りの島流しだ。小さい手持ち鞄だけを持ち、小船に乗せられ、海へと放り出される。

 頑張って漕げば、半日ほどで別の大陸へ行ける、と噂だが、それは定かではない。

 なぜならば、エンティパイアを囲む海には、それはそれは強大な魔物が出現するのだ。

 冒険者に討伐依頼を出せば、高ランク冒険者ばかりを駆り出すことになり、国家予算に匹敵する金が飛ぶ。けれどもそれですべての魔物が駆逐されるわけでもなく、それどころか依頼を出した魔物すら倒すことができるかも怪しい。


 だからこそ、国を囲む海に住む魔物は、放置されてきた。陸に上がってこない限りは手を出さない。海の魔物もまた、人が海へとやってこない限り、襲うことはなかった。

 こうして、強大な魔物が住む海に囲われているにも関わらず、エンティパイア帝国はなりたっているのだ。

 海を渡るものは死ぬ。

 エンティパイアにおいて、国民が一人残らず知る常識だ。

 おかげで、これだけ海に囲まれていても、エンティパイアは海産物に恵まれない。

 無論、他国との交流もあまりない。


 転移魔法、というものは存在しているが、転移先でも準備をしていないと転移できないのだが、それをしてもらうための連絡手段すらない。

 ゆえに、エンティパイア内の国同士による小競り合いはあれど、国を挙げての戦争は建国してからの長い歴史の中一度もない。

 そんな海原の上で、わたしは必死に櫂を動かしていた。今のところ、まだ魔物は出ていない。

 しかし、いつ出るかわからないし、そうでなくとも明かりのない、夜の海は恐怖しかない。

 別の大陸へたどり着けず、死ぬのだろうと思いながらもわたしは手を動かさずにはいられなかった。


 闇の中、わたしは自分の記憶を整理する。


 今のわたしはフィオディーナ・オヴントーラ。オヴントーラ公爵家の長女。第二王子の婚約者だった。

 けれど、わたしでなくたって、よかったのだ。オヴントーラの娘と結婚出来れば、王族としては、わたしだろうが妹のトゥーリカだろうが、どちらでも構わなかった。

 ただ、純粋に共に公爵家出身の両親を持つわたしと、後妻の伯爵家の女から生まれたトゥーリカ。どちらがケチが付かないかといえば、わたしのほうだっただけ。

 けれども、トゥーリカはとにかく優秀だった。フィオディーナが努力していないとは言わない。けれど、トゥーリカが十努力すれば十身につくのに対し、フィオディーナは十努力しても四しか身につかない。とにかく努力を結果につなげるのが苦手な女だったのだ。

 そのいら立ちは、どんどんと膨れ上がり、常にカリカリとし、些細なことで声を荒げる女になった。そんな女が婚約者だなんて、きっと王子も嫌だったのだろう。

 トゥーリカと王子が仲良くなるのも時間の問題だった。

 唯一、己が勝っていると確信できたものですら、トゥーリカがかっさらっていく。

 その怒りがまたつのり――以下はひたすら悪循環していくだけだ。

 そうしてついにトゥーリカへの怒りを行動に移し、結局はこうなってしまっている。


 もう一人のわたしはどうか。


 これが驚くことに、詳しく思い出せない。

 詳しく、というのは、どういった人物だったか、ということが、だ。

 名前も、歳もわからなかった。王子に詰め寄られた時、王子を年下だ、と無意識に思っていたことから、おそらく二十よりは上のはず。王子は今年で十九になるのだから。

 ニホン、という場所に住み、働いていた。そんなことしかわからない。

 もちろん、頭の中の引き出しの中から引っ張り出して一つ一つ見分していけばわかるかもしれない。

 けれども、今、この状況でそれを出来るほど、心に余裕がない。

 今までエンティパイアで生きてきたフィオディーナがベースで、ところどころ別の誰の記憶がちりばめられている。

 少なくとも、それが理解できていれば、それで十分だった。少なくともこの世界の常識は備わっているのだから。


「まあ、もう死ぬかもしれないのだけれ――ヒィッ!?」


 ちゃぷ、と水音がした。背後からだ。ざと血の気が引く。夢であってくれと、強く願う。

 けれども、現実は非常だ。ざば、と再び、水音がした。気のせいじゃない。確実に、何かがいる。

 わたしはぎゅ、と鞄を抱きしめた。

 お母さま、わたしはそちら、天国には行けず地獄に送られるかもしれません。けれども、どうか一思いに死ねるよう、お願いしたします。

 そんなことを考えながら、わたしはゆっくりと振り返る。

 ――そこには、わたしの乗る小船の船べりを掴む、何者かの手があった。

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