05
凄惨な光景の町中を歩き、リーデル達はとある
道中、《動く死体》に何度か襲われかけたが、ヴァンカリアがどんどんと赤魔法で燃やしていったおかげで、傷一つない。しかし、いくら死体だと分かっていても、動く人型が次々と燃やされるのは気分がよくない。
アンデットのように、最初から魔物だと知っていればまだ話は別だが、元は人間だと言われてしまうと、どうにも割り切れない。
その上、《動く死体》の中に見知った顔を見つけてしまうともう駄目だ。神経がすり減り、どうにかなってしまいそうだ。リーデルは何度吐きそうになったか分からない。
長いこと地下牢に閉じ込められていたこともあり、リーデルもキキョウも、心身ともに限界だった。
たどり着いた貸し部屋は、リーデルとキキョウが住む家だった。
元々、冒険者パーティーのメンバーで使っていたもので、メンバーが抜けてしまった今は部屋が余るほど広い。近々引っ越そうか、という話をしていた矢先に捕まってしまい――現在に至る。こんな世界では、もう引っ越しもなにもないだろう。
「とりあえず、中に――っ、うお!」
「リーデル!」
部屋に入るなり、リーデルはうつぶせに押し倒される。押し倒したのは、ヴァンカリアだった。うなじをつかまれ、押し付けられて息が苦しくなる。
抵抗しようにも、吸血鬼の腕力にはかなわない。
何か、武器を、とリーデルは腰のあたりを探ったが、何もない。普段ならここにナイフを装備しているのだが、牢屋に入れられる際に没収されたままだ。凄惨な光景を見て、取り上げられた武器を回収し忘れたまま、ここまで戻ってきてしまっていた。
信用するべきじゃなかったか、と後悔しても遅い。
「リーデルを放して!」
キキョウが叫ぶ。しかし、首をつかまれているからか、下手に出れないようだった。ヴァンカリアが力を籠めれば、リーデルの首は折れてしまうだろう。
「言ってるでしょ、大事な最後の食料だって。殺さないよ。おねーさん、一度も人を吸い殺したことないもの。――ああ、でも、もう駄目なの。お腹が減って、お腹が減って」
後ろの方に腕を引っ張られる。半身をひねるようにするが、強く引っ張られ、肩が痛い。べろり、と手首のあたりを舐められ、ぞわぞわとしたものが背筋を走る。
「放しなさいよっ、このぉ!」
「キキョウちゃん、ごめんね?」
「きゃっ!」
だん! と何かが叩きつけられるような音がする。ほとんどうつぶせ状態のリーデルからは何があったのかよく見えない。しかし、想像はつく。
「おい、キキョウに手を出すな! あんたは俺の血が飲みたいんだろう? 飲ませてやるから離してくれ。この体勢は肩が痛い」
本当は、血を飲ませるのを承諾なんてしたくないし、さっさとここから逃げ出したい。しかし、吸血鬼に抵抗するだけ無駄としか思えない。エルフに敵わない人間が、エルフを軽くあしらう存在にどうこうできるわけがない。
おとなしく要求を聞いて従っていた方が、怪我が少なくて済みそうだ。
ふ、と首にかかる力が消える。リーデルは起き上がり、先ほど舐められた腕を差し出した。
「首じゃなくていいのか」
「首はそのうち。今は腕でいいよ。こんなにもお腹が減っているのに、首から吸ったら、いくらおねーさんでも大事な人間を殺しちゃうかもしれないし」
ぺろぺろとしつこいくらいにヴァンカリアがリーデルの腕を舐める。浮かべる笑みは、先ほどまでのにやにやとした嫌らしい笑いではなく、恍惚とした、うっとりと言わんばかりの笑顔だった。瞳に理性は見られない。
飲むなら早くしろ、と言おうとしたところで、彼女の牙がリーデルの腕に食い込む。
牙は鋭く、皮膚に刺さるほど強く噛まれたら痛いだろう、と身構えていたが、痛みはほとんどなかった。そのくせ、食い込んでくる感覚だけは強く、なんだか不思議な感覚だった。あれだけリーデルの腕を舐っていたのは、痛みを和らげるためだったのだろうか。
ヴァンカリアの牙が離れると、牙によって開けられた穴から血が溢れてくる。その血は、一滴も余さずヴァンカリアの口の中へ吸い込まれていった。
ごくり、ごくり、と彼女の首が上下するのを見ると、変な気分になってくる。自分の血が、次々に吸われていくのに恐怖と同時に抱いたことのない感情がこみ上げるのだ。
そういえば、おとぎ話では吸血鬼に吸血されると催淫効果があると書いてあったような、と思い出し、首を振る。考えてはいけないことを考えたような感じになって、恥ずかしくなってくる。吸血行為によって思考回路がおかしくなっているのか、噛まれる前の恐怖は霧散し、変な高揚感が生まれていた。
このままじゃ変な気を起こす、とヴァンカリアから視線をそらせば、ヴァンカリアの後ろにいたキキョウと目があう。玄関に置いてあった、大きめの花瓶を持ち、振りかぶる彼女と。
「え、おい、キキョウ!?」
「いい加減っ、リーデルから離れて!」
キキョウはためらう素振りもなく、思い切り花瓶をヴァンカリアの頭へ打ちつけた。吸血鬼がこのくらいでやられることはないだろう、という算段だろうが、それにしたって容赦がない。
花瓶は派手な音を立て、割れた。
ヴァンカリアの口が離れると、サッと頭に冷静さが戻ってくる。同時に、痛覚も戻ってきたようで、鈍い痛みが腕を襲う。思わず患部に手をやれば、ぬるりと血がぬめる感触がした。
「クアーの民よ、我が僕よ――」
キキョウは、リーデルの腕をつかみ、白魔法の詠唱を始める。ヴァンカリアはその様子を、興味深そうに眺めている。花瓶で殴られたというのに、痛がる素振りはない。その程度、気に留めるほどのことではない、とでもいうのだろうか。多少は腹が満たされたのか、怒り狂う様子も見られない。
白の淡い光を見ると、面白そうにそれをつつく。精霊に実体はないので、つついたところで感触はないはずなのだが。
リーデルの腕の傷はみるみるふさがっていく。その様子を見て、あっけらかんと吸血鬼の女は笑った。
「回復魔法が使えるのね! これはいいわ。これで間違っても殺さずに済むし、いつでも血が飲み放題!」
ヴァンカリアの言葉を聞くなり、キキョウが顔を真っ赤にして怒り出した。
「あんたのためにやったんじゃないわよ! リーデルのためよ!」
「おい、キキョウ、あんまりかみつくなよ」
ヴァンカリアは花瓶で頭を殴られてもぴんぴんしている。加えて、砕け散った花瓶の破片には、血が一滴もついていない。先ほどの攻撃では怪我なんてしていないのだ。キキョウが敵う相手だとは思えない。
ヴァンカリアはからからと笑って気にしていないが、機嫌をそこねて攻撃されたら大変だ。
そんなリーデルの思いは、頭に血が上り切ったキキョウには届かない。
「あなたね! なんでそんな、簡単に受け入れてるの! 抵抗しなさいよ!」
「抵抗したってあっさり殺されて終わりだぞ。いくら冒険者として死線をくぐってきたとはいえ、こいつに勝てる気なんか起きねえよ」
先ほどのハインのように、一瞬で殺されてしまう未来が見える。
怒りで感情が高ぶると泣き出してしまう質のキキョウは、ぼろぼろと悔し涙を流しながらヴァンカリアをにらみつけた。
「こんな世界になったって、リーデル以外に人間の一人や二人、その辺にいるでしょ!? そっち行きなさいよ」
「いないってば。さっきからそう言ってるでしょ」
豪快に笑っていたヴァンカリアの顔が曇り出す。やめろ、とリーデルがキキョウの肩をつかむが彼女は止まらない。
「はー? 世界の隅々まで探したんですかー? どうせ主要の都市をざっと見まわっただけでしょ」
「隅々まで探したもん! 何なら世界の総人口五十億ちょっとぜーんぶ数えてきたもん!」
「そんなの信じられるわけないでしょ! 何よ五十億ちょっとって」
「ごちゃごちゃうるさい小娘ね! 吸血鬼は人間に目印を付けられるの!」
「小娘って何よ! わたしこれでも百六十年は生きてるわよ」
「ハッ、百六十年ぽっちで何を偉そうに」
当事者のリーデルを置いてけぼりにして、キキョウとヴァンカリアの舌戦が繰り広げられる。なんとか止めようとするリーデルだったが、言葉を挟む隙間が見つからない。
「エルフは人間の十倍生きるんだったっけ? 人間にしたら十六歳! 小娘も小娘じゃないか」
あはは、と馬鹿にするようなヴァンカリアに、キキョウは小さく「おばさん」とこぼした。流石にこれにはカチンと来たようで、ヴァンカリアは眉を吊り上げた。
「おい、キキョウ、いい加減にしとけよ」
危機を感じ取ったリーデルは、キキョウをたしなめる。まだ言いたいことはある、という顔をしたキキョウを横目に、リーデルはヴァンカリアへと「その話は本当か?」と問うた。
「世界中の人間を確認なんて、できるのか?」
リーデルもキキョウと同じくそれは流石に無理だろう思っており、口喧嘩のはずみで出ただけかと考えていたら、どうやら違うらしい。
「……吸血鬼には人間に目印を付けられるのは、本当だよ。他の吸血鬼に取られないようにマーキングするためにある能力でね。まあ、今回みたいな手法は本当の使い方とは違うんだけどさ」
まだ少し怒ったような表情でヴァンカリアは言う。
吸血鬼の生態はほとんど分かっていないが、本人がそういうならそうなのだろう。本当に五十億人超にマーキングしたのか、とやや疑わしくはあるが。
「世界中の人間にマーキングして、他の吸血鬼と喧嘩にならないのか?」
「人間の血が好きな奴は、今はおねーさんしかいないの。他の子は死んじゃった。今生きている吸血鬼は、獣人の血が好きな奴と、他種族と人間の合いの子の血が好きな奴と、アタシの三人しかいない」
伝説上の生き物は、その総数も少ないようだった。
「世界中探し回って、お前たちがいた町が最後だったのよ。まあ、もっとも、海中や地中に生息する人間がいるなら話は別だがね」
吐き捨てる様にヴァンカリアが言うと、流石にキキョウも黙った。反論できるだけの材料を見つけられなかったらしい。
「それと、人間はリーデルが最後だけど、他の亜人種や、亜人種と人間の合いの子の生き残りはいたわ。今、生きてるのかは知らないけど」
興味なさげにヴァンカリアが言う。あまりにもぽろっと言うので、聞き流してしまうところだった。
「た、助けなかったのか?」
「アタシ、人間の血しか飲まないの。他の種族はどうでもいいもん」
ころっと表情を変え、にこにことしているヴァンカリアにとって、同族以外は皆、食料にしか見えないらしい。
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