コミュ障喪女に女尊男卑世界はキツすぎる!

ゴルゴンゾーラ三国

01

 この世界はやばい。


 わたしは誰にも見つからないよう、裏路地のごみ箱の陰に隠れ、そんなことを思いながら頭を抱えていた。いくつかの店の従業員出入口が集まっている裏路地は狭くて、ごみが乱雑に置かれている。臭いは酷いが、簡単に人が来る気配はない。そりゃあ、こんなところに用事があるのは従業員か納品の業者、あとは清掃員くらいか。

 誰も来ないでくれ、と願いながら、わたしは息を整える。久々に全力疾走したので、体のあちこちが悲鳴を上げていた。


 肺が痛くなるほど呼吸は乱れ、のたうち回りたいほどわき腹と脛が痛い。足腰も力が入らず、しばらく立ち上がることはできないだろう。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 バチが当たった、という自覚はある。普段のわたしはとてもじゃないが褒められたもんじゃない。

 それでも、素直に殺してくれればよかったじゃないか。なんで死んだと思ったら、変な異世界に飛ばされるんだ。


「きゃっ!」


 ぼす、と上からごみ袋が降ってくる。降ってくる――というか、捨てた相手はまさかわたしがこんなところにいるとは思わずにゴミ袋を投げたのだろう。そりゃそうだ、ここはごみ箱のすぐ隣。こんなところにうずくまって隠れているわたしに非がある。


 それなのに――。


「あー? 誰かいるの、か――ヒッ! も、申し訳ありません!」


 ごみを捨てたのであろう男性は、土下座と言わんばかりに、地面に頭をこすりつけて謝罪してきた。

 謝らないで、頭をあげて。こんなとこにいるわたしが悪いんです。

 そう言いたくても、上手く言葉にならない。息は上がったままで、しゃべることすらままならない。

 それをわたしが怒っているのと勘違いしたのか、男性はがたがたと、目に見えて分かるほど震え出した。


「だ、だい、ハァッ、じょ、うぅ……。ハァ、だい、じょぶ、ハァッ、です……!」


 なんとか『大丈夫』という言葉をひねり出すと、男はもう一度「すみませんでした!」と言って立ち上がり、ものすごい勢いで逃げ出した。


「ど、どこか、べちゅ、別、の……ハァッ、ハァッ!」


 ここでは先ほどの様に邪魔になる。考えをまとめるのはこんなところじゃ駄目だ。

 壁に手を添え、なんとか立ち上がる。脚はがくがくと震え、まともに歩くことが出来ず、ただ立っているのも困難だ。


「なんで、こんな……っ」


 思わず天を仰ぐと、そこには何か、よくわからない飛翔体が空高く飛んでいた。絶対に鳥じゃない。日本であんなに大きな鳥がいるわけない。

 まるで、漫画に出てくるドラゴンのようだ、と思って――本当に、自分がわけの分からない世界に来てしまったことに愕然とした。

 でも、だからって――。


「だからって、こんな、じょそ、ん、だんひの、せか、世界は、いやだったわ!」


 わたしの、大きいんだか小さいんだかよくわからない叫びは、誰の耳に届くこともなく、消えていった。


 *** *** ***


 ニートが自宅警備員、というのは、引きこもりというネガティブな言葉をごまかすためのもので、本当に警備できるかはまた別問題なのだな、と思った。

 わたしが男ならまた少し違った結末になったのだろうか、と思いながら、わたしは動かない体で、自分から流れる血を眺めて、瞬きだけはしっかりしていた。


 学校に馴染めなくて、高校中退してそのまま引きこもりニート。まあ、たいして珍しくもない、その辺にいるニートがわたしだった。

 本当は、成人したし、バイトくらいはしないとな、って思ってたけれど、求人サイトを開き、自分の希望通りの条件を記入し、『検索結果:0件』という文字を見て、条件のハードルを下げるのではなくそのままサイトを閉じてしまう位には駄目人間だった。

 そういうわけで、わたしはほとんど1日中家にいるし、自室でおとなしくしているのがほとんどで。


 でも、あの日は違った。


 十時半なんて中途半端な時間に起きるのはいつものことだったけど、お昼ご飯まで我慢できないほどお腹が空いたのは、あんまりいつものことじゃなかった。

 ぐるう、と鳴くお腹を押さえながら、二階の自室から一階のリビングを目指して、階段を下りる。

 その途中で、ばちりと、知らない男の人と顔を合わせ、なんなら目まであってしまった。男は、包丁を片手に持っていた。


 泥棒だ。


 そう思っても、長いこと他人と会話をほとんどしなくて衰えた喉では大した悲鳴は上げられないし、突然のことに体は固まって動いてくれない。

 先に動いたのは、男の方だった。

 少し遅れて、逃げなきゃ、と降りてきた階段を上ろうとして、足を滑らせた。脛を打ち付けて、反射的に脛へと手が伸びてしまう。


 そんなふうにもたもたとしているうちに、男がわたしのところにまで来て、手に持った、包丁、で――。



 そして、気が付いたら変な場所に来ていた。ぶっすりと腹を刺されたはずだが、どこにもそれらしい傷はなかった。

 最初に飛ばされたのは、どこかの茂みだった。一瞬、森のような場所に来てしまったのかと思ったが、公園のような場所の、低い木が多々植えられているところだった。

 服は部屋着のままだったが、不幸中の幸いか、比較的最近買ったものだった。いまだに着る、買ってから数年経つ、くたびれたスウェットだったら茂みから出られない。見目に気を遣わない引きこもりとはいえ、最低限の羞恥心と言うものはある。それに靴もしっかり履いていて助かった。裸足のままでは注目を浴びるだろうし、なにより怪我をしそうだ。


 そうして、公園から出ると、そこはなんだか違和感がある光景だった。

 日本の、街中の風景と言われれば、確かに納得できる。どちらかと言えば田舎よりではるが、中世ヨーロッパとか、江戸時代とか、よくある異世界ラノベの舞台ではなかった。

 ほんの少し安心したが、やはり違和感はぬぐえない。

 数年ぶりに外へ出るからそう思うだけだろうか、と思ったけれど、それにしたって、決定的な違和感がある。


 何か、とは言えないが、何かが絶対に違う。


 わけの分からない景色の中を、ばくばくと暴れる心臓を抑えるように胸のあたりに手をやりながら歩いていく。

 と、わたしは一件のコンビニの前で足を止めた。既視感はあるものの、絶対に見たことのないコンビニ。

 カラーリングも、名前も、大体の国民が訪れたことがあるであろう大手有名コンビニチェーンのものとそっくりなのに、全然違う。質の高い偽物を見ている気分だ。

 わたしの目を引いたのはそれだけではない。

 入口の隣のガラスに、新規スタッフの募集の張り紙があった。特段、珍しくもないように思えるが、時給の欄が、なんだかおかしかった。


「女性時給……」


 早朝や深夜が割り増しになるのはよくあることだが、女性時給、という特別項目があるのは驚きだ。しかも、通常の時給が九九〇円なのに対して、女性は二千円。倍以上だ。本当にここはコンビニか? 夜の店でなく?

 ガラスの中から店内を覗いてみるが、一見は普通のコンビニに見える。


「――ちょっと!」


 店内に入るつもりもないのに、じろじろと見るのは不審者っぽかっただろうか、と反省しながら声の方を振り返ると、少し離れたところに気の強そうな女性がいた。

 わたしに声をかけたのかと思ったが、どうやら違うらしい。


「頼んだ銘柄と違うじゃない!」


 女性は怒鳴りながら、何かを地面に叩きつけた。あまりよく見えないが、女性は灰皿のある所に立っているし、大きさ的にはタバコの箱、だろうか。

 しかし、女性が投げ捨てたものより、もっと気になって仕方ないものが、わたしの目に写る。

 女性の前で土下座している男の人だ。

 申し訳ありません、と謝る彼は、かわいそうなほど、その大きな体を縮こませていた。

 他人の事情に首を突っ込めるほどの勇気は持ち合わせていなかったが、それでもやりすぎではないか、と思う。


 わたしは、気まずくなって、その場を足早に去った。


 コンビニを後にして、街中を歩くと、妙に『女性限定』やら『女性優先』という言葉が目に付く。それと同時に、女性にこびへつらうような態度を取る男性が多いことに気が付く。


 ――怖い。


 いっそ、よくある異世界ラノベの様に、決定的に現代日本と違う、ファンタジーな世界に行ければどれだけよかったか。

 ほとんど似ているのに、根本的な価値観だけが違う、という気持ち悪さと恐怖に、わたしの足は速くなる。

 どこに行けばいいのか分からなかったが、とにかく逃げ出したくてたまらない。

 あてもなく歩き、誰もいない河川敷にたどり着く。そこに捨てられた、週刊ゴシップ雑誌がわたしの違和感を決定づけてくれた。


『女尊男卑』。


 そう、表紙にでかでかと書かれた文字。

 恐る恐る、その雑誌をめくると、あのコンビニでの出来事が、この世界では当たり前であることを知る。

 女性が優遇されるのは当たり前で、男性が女性に逆らうのは許されないこと。

 そういう世界に来てしまったのだと気が付いたとき、わたしは思わず走り出していた。当てもない逃げ場を求めて。


 ――そうして、あの裏路地にたどり着いたわけだが。


 だって、こんな世界でどうやってわたしが生きていけばいいというのか。全く見当がつかないのだ。

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