02

 男は苦手だが、幼馴染であるアリヴィドだけは別だ。彼はわたしが『男って怖い』と思うようになる前からの仲良し。アリヴィドだけじゃない。父親を初めとした、男が怖いと思うようになった頃以前から交友のある男は、比較的警戒しないで接することが出来る。


 アリヴィドは体格が良くて身長も高く、顔もどちらかといえば強面な方だ。多分、一般的に男が苦手な女は、アリヴィドのことは特に近付きたくない部類だとは思う。

 でも、わたしは不思議と、アリヴィドのことだけは怖くなくて、緊張しなかった。


 そんなアリヴィドと、わたしは二人そろって朝食の準備をしていた。家事は分担制だったり当番制だったりするが、料理は完全にアリヴィドとわたしの担当である。


「ベル、胡椒とって」


 ベル、とわたしの愛称で彼は呼ぶ。これは昔から変わらない。

 彼の低い声でそう呼ばれるのは、存外、嫌いじゃなかった。

 わたしは目の前にあった胡椒をアリヴィドに渡し、サラダの盛り付けを続ける。


 ――と。


「おはようございます」


 聞き馴染みのない声に、ぎくり、とわたしの肩がこわばった。ほんの少し、アリヴィドに隠れるようにして声のした方を見れば、ジェゼベルドがいた。

 よほど寝起きがいいのか、すっきりと身支度が整っている。朝食を作るために早起きなアリヴィドは特に早起きだが、他の三人がまだ起きてきていないところを見ると、彼も早起きな方らしい。


「よく眠れたか?」


 アリヴィドの言葉に、少し間があって、「はい」とジェゼベルドの返事が聞こえた。ほんの少しの間。アリヴィドは気が付かなかったかもしれない。それか、気が付いた上で何も言わないか。


「……おはよ」


「――はいっ」


 挨拶をされたのに返さないのは失礼か、と、一応挨拶をしたら、すごくいい笑顔を返された。さっきのアリヴィドとのやりとりと、全然違う。

 花が飛びそうな程の笑顔に、わたしとアリヴィドは顔を見合わせてしまった。ロノとルトゥールを迎えた翌朝とは違うこの雰囲気。


 どうしよう、助けて。


 そういう目線を送ったのに、アリヴィドは目を合わせてくれなかった。


「オレはグレイたちを起こしてくるよ。ジェゼベルドは目玉焼きを皿によそっておいてくれ」


「えっ」


 それどころか、アリヴィドはわたしを突き放した。

 思ってもみない言葉に、わたしは思わず声を漏らす。

 驚きに固まってしまっているわたしを放って、ジェゼベルドはフライパンに手をやるし、アリヴィドは夫たちの部屋へと向かってしまう。


「アリヴィド、待って」


 わたしは思わずアリヴィドの後を追い、彼の袖を引っ張った。

 二人きりにしないでよ。

 そう言わなくても、彼には伝わった。伝わったうえで、「駄目だ」と首を横に振られてしまった。


「少し話して見るといい。そろそろ男が苦手なのも多少は克服したほうがいいんじゃないか」


「やだ」

 アリヴィドの言葉に、自分でもびっくりするくらい、幼い声音が口から飛び出す。でも、嫌だ。


 キッチンからは少し離れているので、大声でもない限り、ジェゼベルドには聞こえないだろうが、アリヴィドは声量を押さえた。


「お前が男が怖いのも知ってる。だからこそ、オレたちとの結婚を勧めた。それがお前の為にも、オレたちの為にもなると思って。だが、もう、そうも言っていられないだろう? 体を預けられないというならそれでもいい。でも、話をするくらいは出来るようになれ。グレイたちなら、少しは大丈夫だろう? 話せばきっと、ジェゼベルドもそのうち『大丈夫』になる」


 アリヴィドが言っていることが間違っていないのは、分かる。

 一夫多妻、一妻多夫が基本の銀の子でも、五人も夫を持つのは少しだけ珍しい。性に奔放だったり、自分を愛してくれる人は多ければ多いほどいい、という人は五人以上いることもあるが、ほとんどの銀の子は五人もと結婚する前に子供が出来る。

 子供を作るだけなのに五人も必要ないのだ。


 変わらなきゃいけない。それは分かる。でも、それをジェゼベルドに任せていいのかは、分からない。


「大丈夫、何かあれば大声を出せ。すぐに駆けつけるから。オレがグレイたちを起こして来るまで少し話をするだけだ、な?」


 そう言って、アリヴィドは、わたしの頭を軽く撫でた。言い聞かせるように優しい声で諭すのは昔から変わらない。

 そこまで言われてしまっては、嫌だと駄々をこねるのはいよいよもって幼子と変わらない。


 渋々わたしはアリヴィドを見送り、キッチンへと戻った。

 キッチンへと戻ると、丁度ジェゼベルドが目玉焼きを皿に移し終えたところだった。


「次は何をしますか?」


 左目を隠してしまうほど前髪が長くて厚いのに、きらきらと輝くような笑顔のおかげで全然、これっぽっちも雰囲気が暗く見えない。


「あ、パン……パン、用意して。えっと、そこにあるやつ……」


「分かりました」


 わたしの言葉に、ジェゼベルドは食パンを切り出す。一斤の食パンを均等にする手際は見事なもので、つい見入ってしまう。……少しばかり離れた位置で。


 パンを切るのはいつもアリヴィドかルトゥールの仕事だ。わたしは上手く切れなくてぐちゃぐちゃになるし、グレイは時間がかかりすぎる。でも、わたしとアリヴィドはまだいい方で、レノなんか厚さがすごく適当なのだ。比べると倍近く違う食パンがいくつも量産される。


 アリヴィドとルトゥールに並ぶくらい綺麗な食パンに、わたしは少しばかり感動してしまった。


「皆さん、どのくらい食べられますか?」


「――ひえっ」


 じいっと手元に見入っていたのに、急に話しかけられて、悲鳴を上げてしまった。


「すみません、驚かせましたか」


 苦笑するジェゼベルドに、こんなことで悲鳴を上げて恥ずかしくなってきてしまった。逃げ出したい。


「えっと、あの、アリヴィドが三枚で、レノが二枚、あとは一枚で……ジェゼベルドも好きなだけ食べていい、よ」


「では二枚ほどいただきます」


 やはり手際よく、さくさくとジェゼベルドは皿に持っていく。料理が得意なのか。趣味なのかな。

 少し気になったけれど、聞くのはためらわれた。別に、料理趣味なの? と聞くくらい、普通のことだ。手際がいいねって褒めればいい。

 女の子相手ならきっとそうしていたのに、男相手だとどうにも言葉が分からなくなってしまって、駄目だ。どんな言葉を選んだとしても、彼にふさわしい言葉になっている自信がない。


 それより、わたしもサラダを作る続きに戻った方がいいかな、でもあんまり近いのは嫌だな、と思っていると、パンを皿に置き終えたジェゼベルドが「サラダもやってしまいますね」とサラダボウルにさっさと野菜を載せていく。


「――手先が器用なので、こういったことは出来ますが、料理はできませんよ」


 ふと、ジェゼベルドが言った。


「え?」


「おや、気になっていたのでは?」


 そんなに顔に出ていたのかな。思わず頬をぺたっと触ってしまうが、触ったところで分かるわけもない。


「勿論、貴女に僕のことを知ってほしい、という思いもありますが」


「ひえ」


 また情けない声がわたしの口から漏れた。そんな口説くみたいなこと、やめてほしい。どう反応したらいいのか分からない。いや、もう、これは口説かれているのでは?


「火加減がどうにも苦手で……すぐ焦がしてしまうんですよねえ。貴女が僕の手料理を食べたいと言うなら努力しますが――おや、顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」


 ――気のせいじゃない。


 気のせいじゃない!


 ジェゼベルドはグレイもコルネオとも、レノやルトゥールとも違う! 全然違う! もし一緒なら、わたしに、こんな『アピール』してこない!

 わたしの『嫌な予感』というのは、見事に的中していた。わたしに興味がなさそう、なんて幻覚だったのだ。


 わたしは泣き出したい気持ちをぐっと押さえ、絞り出すように「だいじょうぶ」と言った。

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