第80話 王太子妃選考会のあと
令嬢たちが出て行ってから、私はワンピースに着替えて、椅子に座ってキャンディを待っていた。
さきほどのユニフォームを膝の上に置いて、細かく見てみる。
脇のところが少しほつれているだけだったので、ほっと安堵の息を吐く。これなら縫えば大丈夫だ。
ラルフ兄さまがくださったのだもの、大切にしていきたい。
私は丁寧にユニフォームを畳むと、バッグの中に入れた。
そして身体を起こすと、更衣室の扉を眺める。
まだキャンディは帰って来ていない。
あれから結構な時間が経ったけれど、まだお話は終わらないのかしら、と思う。
選手として育てたいという話ではないかと思うのだけれど、キャンディは嫌なのかしら。
それはそうよね、すぐに答えられる話でもないわ。もし選手になるとしたら、やはり球場に近いところに住まないといけないだろうし、家族と離れるのはつらいでしょう。
それに、私の知る限り、今まで女性の野球選手はいない。最初の一人というのは、きっと勇気がいる。
決めかねているとしても不思議ではないわ。
そんなことを考えていると、ふいに更衣室の扉が開いた。
顔をそちらに向けると、キャンディがそこにいた。
私はほっと息を吐く。
「キャンディ。話は終わった?」
「ええ……」
どこかぼうっとした様子で、ふわふわとした足取りで更衣室に入ってくる。
どうしたんだろう。なんだか、心ここに非ずだ。
「キャンディ?」
彼女は椅子のところまで歩いてくると、どさっと腰掛け、そしてどこか遠い目をしていた。
「どうしたの? 殿下のお話、なんだったの?」
「ねえ、コニー」
私の質問には答えず、キャンディはそう私に呼び掛けてきた。
「なあに?」
私は首を傾げて彼女の次の言葉を待つ。
ウォルター殿下の話は、選手にならないか、という話ではなかったのか。
まさか彼女が心配していた通り、悪い話だったのだろうか。けれど、悪い話というのが思いつかない。
「わたくしね……」
「ええ」
応えると、ふいに彼女はこちらに振り向く。そしてじっと私の目を見て言った。
「わたくし、本当に、王太子妃になるのがコニーで良かったと思っているのよ」
「え? ありがとう……」
「でもね、でもやっぱり……わたくし、家のためにやってきたのに、なにをしていたんだろう、とも思っていたのよ」
「キャンディ……」
「最初から最後まで、コニーみたいにがんばらなきゃいけなかったのに……。つまらないなあ、だなんて思ってしまって、家のこともすっかり忘れて、時間を無駄にしてしまって、それでチャンスを逃したかもしれないこと、後悔しないわけでもなかったの」
キャンディは、困窮し始めている家のために王太子妃選考会に参加した。
参加を決めたときには並々ならぬ決意をしたに違いないのだ。きっと家族の期待もその背に背負ってやってきたに違いないのだ。
「なんにも残らなかったなあ、って思っていたの」
彼女の声が震え始めている。瞳にはうっすらと涙も浮かび始めている。
「キャ……キャンディ、いったい」
私は慌てて椅子から立ち上がり、彼女の傍に駆け寄る。
すると彼女は手を伸ばしてきて、私の手を握った。
「でも、違った」
そうして彼女は微笑んだ。
「わたくし、残せたのだわ」
そういうキャンディは、とても幸せそうで、とても素敵で、私はなんだかしばらく見惚れてしまったのだった。
◇
選考会が終わってから、私は正式にウォルター王太子殿下の婚約者として周知されていった。
王家の方々との初対面のときには緊張のあまりに倒れそうになったけれど、少しずつそんな生活にも慣れ始めている。
毎日のように各方面に挨拶に出向き、王家の一員になるために教育を受け、一秒たりとも立ち止まる暇なんてないけれど、日々はとても充実している。
時間が空けば、選考会に参加した令嬢たちを中心に、お茶会や昼食会を開催して、交流を深めていった。
令嬢たちは正式にウォルター殿下の婚約者になった私に、概ね好意的に接してくれた。
彼女たちにはよく言われる。
「コニーさま、お頑張りあそばして?」
「正直に申し上げて……殿下には内緒ですわよ?」
「野球バカにはついていけない……というか……」
「ちょっとわたくしたちには高度すぎたのですわ……」
そう言って彼女たちは、ほう、とため息をつく。そんな彼女たちに私は苦笑いを浮かべるしかできない。
どうやらあの選考会は、普通に婚約者を決めるよりも目に見えて過程と結果が出たことで、納得できることが多かったようだった。
というよりも、選考会自体が無茶な選考方式だったため、これは王太子妃になるのは大変そうだと、身に染みたようだった。
そんな風に、少しずつ、少しずつ、王太子妃になるための土台を固めていたのだけれど、上手くいかないこともあった。
アッシュバーン公爵令嬢、ジュディさま。
彼女だけはどうしても、のらりくらりと躱されて、あの選考会以来、お会いできていない。
ジュディさまと仲の良かった令嬢に仲介を頼もうともしたのだけれど、彼女たちは眉根を寄せて嫌がるのだ。
「ジュディさまは、ねえ」
「放っておけばよろしいですわ。だって信用できませんもの」
そんな風に取りつく島もない。
それでも何度かジュディさまに
何度目かの文で、了承の返事をいただいたのだった。
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