第68話 ウォルターの回想 その2

 父が呆気に取られている間に、私は机上にあった企画書を自分の目の前に移動させた。

 そして脇にあったペンを手に取ると、簡単に加筆していく。

 女性たちに野球観戦してもらう企画はそのままに、それに王太子妃選考会であることを付け加えるだけだ。


「では、署名を」


 修正し終わると、ひっくり返して父が署名しやすいように企画書を差し出す。

 はい、と持っていたペンを渡そうとすると、そこで我に返ったのか、父ははっとしたように顔を上げた。


「いやいやいやいや、ちょっと待て」

「なんでしょう」

「元々の企画は広く一般市民に公開するという話だったな」


 慌てて父は企画書をめくっていく。

 そして目当ての箇所を見つけると、こちらに差し出した。


「ここも修正しろ。いくらなんでも王太子妃に庶民がなることは許されん」

「別にいいではないですか。私が是非にと望めばいいんでしょう?」

「貴族女性だ、最低でもそこは譲れん」

「わかりましたよ」


 私はため息をつきながら、修正を施す。

 実際のところ、一般市民に王太子妃になれというのは荷が重くはあるだろう。私もそこは特に抵抗はしなかった。


「独身でないとな」

「それもそうですね」

「子どもが産める年齢でないと」

「じゃあ十六歳以上というところでしょうか」


 そんな風にあっさりと修正した私に気が抜けたのか、父は企画書の末尾にさらさらと署名をした。

 椅子に深く腰掛けると、父は安堵のため息とともに言った。


「まあとにかく、これで一件落着ではあるな」

「そうですね。貴族女性の中から一人、王太子妃を選ぶ。それですべて解決です。いい女性が見つかるといいのですが」


 言いながら企画書を手に取り、一歩下がった。


「ではこれで進めます」

「あ、ああ……」


 父は、なにやら思案しているようだ。なにかに気付きそうな感じがする。面倒なことになる前に、さっさと王室を出るが吉だ。


「いや……ちょっと待て」

「待ちませんよ。これでも忙しいので」


 私は企画書を持って身を翻す。

 しかし父の慌てたような声が追ってきた。


「おい、まさか、貴族女性の中に」


 間に合わなかったか。面倒な。

 私はもう一度父のほうに振り返って言った。


「もちろんアッシュバーン公爵家のご令嬢も含まれます」

「な、な、な」

「彼女が希望すれば、の話ですが。選考会に来てくれるでしょうか」


 小首を傾げてそう言うと、父は、「あー!」と叫んだ。

 気付くのが遅い。最初の、一般庶民が含まれる、というところに気を取られてしまったのだろう。


「その企画書をよこせ!」

「ご自分が署名なさったくせに……」

「それはそうだが、とにかくよこせ!」


 椅子から立ち上がり手をこちらに差し出して、焦ったように言っている。

 我が父ながら、みっともない。


「父上、私はね、野球を愛しているんですよ」

「嫌と言うほど知っている! それがどうした!」

「その邪魔をするなら私にもそれなりに考えがあります」


 その言葉に、父はぴたりと動きを止めた。

 私には今、大きな資金源がある。

 それを失うのは父にとっても得策ではないはずだ。


 せっかくの、女性に野球を広めるという企画に難癖をつけられて、こちらとしても不愉快なのだ。

 それにここで許すと、また口を出されるに決まっている。

 ここは強行するべきだ。


「やれやれ、ここにきて、脅しか」


 諦めたように、父はどかりと椅子に座り込む。

 どうやら父にとっては是が非でも止めたい事柄ではないらしい。面倒な王家の人間からの火の粉を払えればそれでいいのかもしれない。

 つまり火の粉は私が被る。まあそれもいいだろう。


「まあまあ。ジュディが捕球できなければ、王太子妃にはなれませんよ。私もそう簡単に捕球される球は投げません」


 にっこりと微笑んでそう言う。父は眉根を寄せただけだった。


「下手したら、誰も捕れないかも」

「一人は選べよ」

「それはもちろん」


 私がうなずくと、父はこれ見よがしにため息をついて言った。


「よい。退室を許す」

「では失礼します」


 王室を出て扉を閉めると、私はうーん、と顎に手を当てて考えてみる。

 父の事なかれ主義に拍車がかかっている気がする。

 これはやろうと思えばクーデターも成功するのでは、と私は思案した。


 しかし。

 三冠王には今すぐにでもなりたいが、国王はすぐになりたいものでもない。


 血の繋がった父を追いやるのは心苦しいものでもあるし、野球に専念もしたいし、なにより国を混乱に陥れることは避けたい。

 父はあれで、愚王とまではいかないのだ。しばらくこのまま平和に何ごともなく過ぎていく時間もいいではないか。

 事なかれ主義、万歳だ。


 ジュディに関しては、少々、責任を感じている。

 当事者でありながらその現場を見ていないので、王家の怒りを買う発言と態度がどのようなものであったかは知らない。だから静観を決め込んでいたのだが、もうこのあたりで手打ちといこうではないか。アッシュバーン家ともそろそろ友好な関係を築いていきたい。


 もしもアッシュバーン家がそれを望むなら、受けて立とう。

 結果、どちらに転ぶかはわからないが、きちんと手順を踏んでその過程と理由を見せれば、王家もアッシュバーン家も納得するだろう。

 本当に王家の一員になりたいのなら、死ぬ気で捕球してもらう。

 真っ向からの勝負。なかなかの趣向ではないだろうか。


 よし、と私は歩き出す。

 そうと決まればあとは実行あるのみだ。

 なんだかわくわくしてくる。

 王太子妃選考会か、誰が集まるだろう。野球観戦も兼ねているから、野球に興味のある女性もやってくるかもしれない。


 そのとき、ふと、一人の女性の顔が思い浮かんだ。



*****


三冠王・・・1シーズンに首位打者、打点王、本塁打王の三つのタイトルを一度に獲得した選手のこと。

あんまりいない。日本野球機構によると、7人しかいない(11回の達成記録あり。三名が複数年とったため)。平成ではただ一人。


首位打者・・・シーズン規定打席に達した者の中で一番打率の高い選手。

打点王・・・1シーズンで最も得点を稼いだ選手。

本塁打王・・・1シーズンで最もホームランを打った選手。


自分一人ではどーにもならん、ということもあって、なかなか出ません。

打率はともかく、打点はランナー出ないとなかなか上がらない。

だってランナーなしでホームラン打っても打点は1だもん。満塁なら4なのに。俺の前にランナーを出せ、打点稼げんやんけ、ということです。

本塁打王は、ストライクゾーンに投げろやゴルァ、嫌だ投げたくない、ということで阻止されたりする。


作中の場合はこの打撃三冠王のこと。ウォルターは打てる投手。

投手四冠(最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振)も欲しがってる。まあ強欲。

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