第51話 譲らない

「わたくしが王太子妃になりたいのはね」


 そっと握った手を離すと、キャンディがそんなことを喋り出した。私は耳を傾ける。


 きっと、私たち二人がこんな風に語り合えるのは、今日が最後だ。

 明日、もしどちらかが王太子妃になることが決まれば立場が変わってくるだろうし、どちらも駄目でもキャンディは領地に帰っていく。


 だから眠れなかったのかもしれない。

 私たちには語り残したことがあるのだ。


「わたくしの家の領地はね、広さはあるけど碌に資源のない土地で」


 キャンディはため息混じりにそう語る。


「雪も多くて、冬は動けなくて。土壌もよくなくて作物もあまり育たないの」


 そういえば、雪合戦をして遊んだ、と言っていた。


「それでも、今までは良かったの。近くに大きな街道が通っていて、人が呼べたの。夏は涼しいから避暑地としては栄えていたし。だからその危うさに気付かなかったのね」


 兄が言っていた。

 『シスラー子爵家はね、今はさほど裕福ではないはずだよ』、と。

 今は、と言うからには、裕福であった時代もあったのだ。


「けれど、その命綱である街道で崖崩れが起きてしまって」

「ああ……」

「それ自体は大したことはなかったの。死者も怪我人も出なかったし。けれど、危ないって話になって、街道がね……使われなくなったの」


 キャンディは目を伏せる。


「もちろん、その崖崩れが起きたところは補強もしたの。けれど一度起きてしまった記憶はなかなか払拭できないのでしょうね。そうこうしているうちに、違う街道に人が流れてしまって」


 小さく息を吐き、キャンディは続けた。


「生き残りの道を探っていろいろ試してはいるのだけれど、なかなか上手くいかなくて。下手すると領地没収、爵位剥奪、なんてことも考えられる」


 私は息を呑む。そこまで追い詰められている状態なのか。


「嫌だ、そんな顔しないで。そんなに悲惨な状況でもないのよ。最悪の事態を考えているだけ」


 苦笑しながらキャンディは言う。無理に笑っているような感じがした。


「そんなわけで、王太子妃になりたいの。王太子妃になれば、新たな領地もいただけるかもしれないし、王城からの支援も望めるし。まあ、ダメで元々、って感じではあるのだけれど」


 そして、ぺろりと舌を出して続けた。


「そんな舐めた考えだから、途中で投げ出しちゃったのね」

「大変なのね……」

「そうでもないわ。途中から野球のことを考えすぎちゃって、王太子妃になるってことを忘れていたくらいだから」


 枕で叩き合ったとき、なにをしに来たのかと問うたら、王太子妃になりたいとやってきたことを、すっかり忘れていたような表情をしていたのだ。


「あれ、本当に忘れていたの?」

「落ち込んじゃって。すっぽりと頭から抜けちゃった」


 ふふ、と笑って彼女は小さく肩をすくめた。

 そしてふと真顔になって、首を傾げる。


「ねえ、わたくしはそういう事情で王太子妃になりたいけれど、コニーは?」

「えっ」

「どうしてこの選考会に参加しているの?」

「あ……その……」


 もじもじと自分の両手を目の前で弄ぶ。

 言ってみようかしら、でもなんだか恥ずかしいし、キャンディの事情に比べたらなんだか軽くないかしら。


「えっと……それが……」


 嫌だわ、顔が熱くなってきた。それに、にやけてしまっている気がする。


「あー、わかったわかった、よーくわかった」


 キャンディがこちらに両の手のひらを向けて、私を制した。


「えっ」

「聞かなくてもわかったわ。なるほど」

「ええっ」


 キャンディは目を閉じて、うんうん、とうなずいている。

 やっぱり私は、感情がすぐに顔に出るらしい。

 嫌だ、淑女として、やはりこれはいけないのではないかしら。

 頬に手を当てて、熱くなった顔を冷まそうと軽く押さえる。


「でも」


 キャンディの声がして、私は彼女の顔に視線を移す。

 彼女は真剣な表情で、こちらをじっと見つめていた。


「譲らないから」

「わたくしだって」


 彼女の事情がどうあれ、もちろん譲る気はないのだ。

 絶対に、諦めない。

 私はそう決めたのだ。


 私の顔を見てキャンディは口の端を上げる。受けて立つ、と言っているような気がした。


 キャンディは寝返りをうって天井に視線を向ける。

 そして、はあ、と大きく息を吐き出した。


「野球の才能はなかったみたいだけれど、最後までがんばれたのは自信になったわ」


 そう言って、欠伸を一つ、する。


「もう、寝なくちゃ」

「そうね」


 私も伝染うつってしまったのか、欠伸が一つ出る。

 キャンディは半身を起こして、サイドテーブルにあった蝋燭を、ふっと吹き消した。

 暗闇の中、彼女がごそごそとベッドの中に入り込むのを感じる。


 そして密やかな、けれどどこか、明るさを感じる声。


「明日はお互い、がんばりましょう」

「はい」

「どちらが勝ち残っても、恨みっこなしよ」

「はい」


 どちらからともなく、笑いが洩れ。

 そしていつの間にか、眠りに落ちていったのだった。

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