第27話 今日の記念にくださいな

 予選通過できなかった令嬢たちのほうに振り返ると、殿下は言った。


「申し訳ない。確かに、言い過ぎた」


 王太子殿下が謝罪した。しかも、子爵令息に説得されて。

 そのことに少し驚いたように口元に手をやる令嬢もいる。


「けれど私は、一生懸命な人を応援したいんだ。それだけはわかって」


 懇願するような声音でそう言う。

 質問した令嬢は目尻を拭いながら、こくこくとうなずいた。


 エディさまが現れる前は、穏やかな口調なのに妙な迫力があって、余計に怖さが引き立っていた。まだ怒鳴られたほうがよかったのではないのか、と思うほどに。

 その上、相手が王太子殿下ということもあり、怖さが倍増したのかもしれない。


 そういえば、兄が言っていた。


『失敗したことにはあまり怒らないけれど、一生懸命やっていないことにはよく怒るよ。いつも怒らないから、余計に怖い』


 本当だ。一生懸命やっていないことに、怒っている。


「では殿下。進めましょうか」


 エディさまがメモを手にして掲げると、そう言う。


「そうだね」


 エディさまの言葉にうなずくと、ウォルター殿下は令嬢たちに言った。


「今日は、長い時間拘束してしまってすまなかったね。けれど来てくださったことには感謝しているよ。ありがとう」


 さきほどまでの怒気は完全に消え去ったような穏やかな笑顔で、殿下は彼女たちにそう伝えた。

 令嬢たちも、それにほっとしたような表情で、一礼している。


「では、お気をつけてお帰りください」


 エディさまがそう言って、ベンチのほうに令嬢たちをうながした。

 ぞろぞろとベンチ裏に向かう彼女たちの中の一人が、けれど、ふいに列から抜け出してきた。


「あ、あの」


 あの、質問した令嬢だった。エディさまのほうに軽く駆け寄る。


「エディさま……ありがとうございます」


 そう言って、しくしくと泣き出した。

 面食らったように、エディさまは固まってしまっている。どうしたらいいのかわからないのだろう。


「エディさまがいなかったら、わたくし……」

「いえ、礼を言われるようなことでは」


 彼女は、涙で潤んだ瞳をエディさまに向け、言った。


「今日の記念に、なにか……」


 そう言ってきょろきょろと辺りを見渡すと、転がったままの白いボールを指差し、はしゃいだ声を出した。


「あのボールに署名をいただけませんか」

「え? ……はあ、それは別に構いませんが……」

「まあ! でしたらすぐに持ってまいります!」


 そう明るい声で言うと、彼女はパタパタとボールを取りに行き、それを拾い上げるとまた戻ってきた。

 殿下も私たちも呆然としている間に、彼女はボールをエディさまに差し出した。


「今日の日付と、エディさまの署名をそこに」

「はあ……」


 エディさまは戸惑いつつも、ボールにペンを走らせている。書きにくそうだ。

 そういえば先ほどの昼食会で、エディさまが素敵、とか言っていた令嬢のような気がしてきた。

 なんと逞しい。


 書き終えたらしいボールを受け取ると、彼女はそれを、両手でぎゅっと握った。


「大切にいたします」

「はあ……」

「試合も観に来ますわね」

「はあ……」


 彼女はエディさまに向かってにっこりと微笑んだあと、こちらに振り向いた。


「ウォルター王太子殿下、さきほどは失礼いたしました」


 ワンピースの裾を少し持ち上げ、淑女の礼をする。


「いや、こちらこそごめんね。言い過ぎたみたいで」


 殿下がそう答えると、彼女はもう一度、礼をした。


「それではわたくし失礼いたしますわ。皆さま、ごきげんよう」


 そしてくるりと身を翻すと、ベンチ奥に去っていった。


 しばし呆然としてその姿を見送ったあと。

 殿下はエディさまに向かって言った。


「エディは人気があるんだな」

「妃候補を百名以上集めた人に言われたくありません」


 苦虫を噛み潰したような表情をして、エディさまは言った。


          ◇


「さて」


 私たちのほうに振り返り、殿下は口を開いた。


「君たちが、予選通過者だ。おめでとう……でいいのかな?」


 苦笑しながらそんなことを言う。


「もちろんですわ!」

「嬉しゅうございます」


 きゃっきゃっ、と令嬢たちの声が上がる。

 私は心の中で、もちろんです、この上なく嬉しいです、と答える。


 これで、確定した。

 私は予選を通過したのだ。


「では本選の説明をしよう。本選は、最初の通達通り」


 そう言って、令嬢たちを見渡す。


「私が投げる球を捕っていただく」


 そのことがどんなことなのかも、想像もできていないのだろう。令嬢たちは首を傾げるばかりだ。


「本選は、二週間後」


 私は口の中で、二週間後、と繰り返す。

 それで、決まる。

 殿下は指を三本立て、こちらに向かって差し出した。


「投げる球は、一人につき三球。けれど一球目で捕れなければ、その時点でお帰りいただくことになるよ」


 その言葉に、令嬢たちの間にざわめきが広がった。

 それをどう受け取ったのか、殿下は自分の右肩に左手を置いて苦笑して言う。


「肩は消耗品なんだ、ごめんね」


 消耗品。以前も言っていたけれど、そういえば兄にその意味を訊いていなかったな、と思い出す。


「本選は、予選と違って結果がすべてだ。三球すべて捕れれば合格。捕れなければ不合格」


 その言葉に、令嬢たちはごくりと唾を飲み込む。

 もちろん、私も。


「一応、私が投げる予定の球について言っておこうか」


 殿下のその言葉に、令嬢たちは耳を傾ける。

 私も、何一つ聞き逃すまいと、耳をすました。


 殿下が口を開く。

 そしてゆっくりと、一言一言確認するように、その言葉を舌に乗せた。


「一球目は、ストレート。二球目は、スプリット。三球目は……魔球だよ」


 そう言って、王太子殿下は微笑んだ。



*****


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