第20話 エコール・ド・パリ
今は放課後。チケットの件だが未だに佐有さんに言えていない。別に俺がチキンすぎて二の足踏みまくっていたとかいうわけでは決してない! いや、多少はあったかもしれないけど。
チケットが二枚しかない手前佐有さんと二人きりの時に渡したかったのだけれど、今や佐有さんの周りには常にクラスメイトの誰かがいて二人きりになれるタイミングがなかった。誰かの目があるときに誘ったら間違いなくひやかされるに決まっている。主に乃恵あたりに。
しかし、つい一か月ほど前までいつも一人でいた佐有さんが、クラスメイトに囲まれ楽しそうに笑っているのはとても微笑ましいことだ。
仕方がない、後でLI●Eで誘ってみるか。鞄を手にし、すでに数名しか残っていない教室を後にする。
◆
急な下り坂を自転車を押しながら下る。乗ったまま一気に駆け降りると早いし爽快感もあるが、過去に自転車で猛スピードで坂を下っておりて車と正面衝突して病院送りになった先輩がいるらしく、校則でこの坂をくだる際は自転車は押すことと義務付けられている。
俺たちの通う
坂を下り終え、左に曲がってすぐのバス停に見慣れた姿がそこにはあった。見慣れたポニーテールに、見慣れない合服姿。バスが来るまで暇なのか、視線は手元にあるスマホに向けられていた。
佐有さんだ。何という偶然だろうか。もう今日は完全に諦めていたというのにこんな場所で再び会えるだなんて。神に感謝。
はてしかし、佐有さんはいつもここのバス停を使っていただろうか? 俺はいつもこの道を通っているが、佐有さんがこのバス停にいるのを見るは初めてだ。
「佐有さん」
俺が声をかけると、佐有さんはスマホから顔を上げこちらを振り向いた。
「あ、印牧くん」
ふわっと花のように綻ぶ笑顔。可憐だ。俺の姿をとらえると、佐有さんは俺の前にまで来てくれた。
「佐有さん、いつもこのバス停使ってたっけ?」
「今日はちょっと用があって、家の方角とは違うバスに乗らなきゃいけないから」
なるほどそういうことか。それならもうこれは運命と言っていいのではないか? 俺が佐有さんと二人っきりになりたいと思っていた時に拵えたかのような絶妙なタイミング。神に感謝(二回目)。
「あのさ、今ちょっと時間あるかな?」
佐有さんは手元のスマホで時間を確認すると大丈夫と答えた。それを受けて俺は鞄からチケットを取り出す。
「これいとこに貰ったんだけど、よかったら一緒いかない? あ、いや、勿論無理にとは言わないけど……。興味あったらどうかなって……」
勢いがよかったのは最初だけで徐々に声が小さくなる。いざという時へっぴり腰、我ながら情けない。
佐有さんは俺が手にしたチケットをじっと見つめている。もしかして興味を持ったのだろうか?
「いいの?」
顔を上げた佐有さんの瞳を輝かせている。これはまさかの好感触。
「もちろん! 重朝も乃恵もこーいうの興味ないからさ!」
聞いてないけど、多分あの二人は興味ないだろう。
「嬉しい。気になってたんだ、ありがとう!」
嬉しそうにはにかんだ佐有さんは、まるで天女のようだ。俺は望美姉ちゃんに全力で感謝した。望美姉ちゃんの友人にも。
「佐有さん絵画とか好きなの?」
ここで忘れずリサーチだ。佐有さんがどんなものを好きか把握しておきたい。
「うん、油絵が一番好きだけど、水彩画とか日本画も好きだよ」
「へー、好きな画家とかいるの?」
「ちょっとマイナーだけど、ユトリロが一番好き」
誰だ、聞いたこともない。ピカソやゴッホぐらいしかわからない俺にはちょっと、いやかなり難易度が高い人が来てしまった。でも匹田さんが好きだと言うのだからきっととても素晴らしい絵を描く人に違いない。
「あー、ユトリロねー。うんうん、いいよねあの人の絵」
ザ・知ったかぶり! ここで知らないと言って佐有さんに幻滅されたくなかったのでつい口からついて出た。この後、自分の首を絞めるとも知らないで。
「印牧君もユトリロ知ってるの!? 今まで周りに知ってる人いなかったから嬉しいな。好きな作品とかあるの?」
大きな目がキラキラ輝く。この目には見覚えがある。乃恵が列車を語っていた時の目によく似ている。ここで「ごめんわからない」なんて言ったら間違いなく俺は幻滅されてしまう。どう答えるのが正解だ? 錆着いた俺の脳みそをフル回転させて答えを導き出す。
「あー、えっと、ちょっと選べないかなー」
ハハハと笑いながら嘘に嘘を塗り重ねる。ここまで来たら引くに引けない。
「わかる! 素晴らしい作品多いもんね! 私も迷うけどしいて言うなら『コタン小路』かな。一見して殺風景な絵だけどユトリロの深みのあるタッチが温かみを感じさせて好きなの」
楽しそうに語る佐有さんはとても可愛い。しかし、それは俺の同士だと思っての表情なのだ。俺の良心がちくりと痛む。
そのあと佐有さんはバスが来るまでユトリロという画家の話を語るに語った。俺は嘘がばれないか冷や汗をかきながら相槌を打つばかりだ。
「ごめんね、私ばっかり話しちゃって。ユトリロ知っている人がいてつい嬉しくなっちゃった」
恥ずかしさを誤魔化すように首筋を掻きながら苦笑する。
「ううん、佐有さんの好きなものが知れてよかったよ。美術館行く日程とかは帰ったらLIN●Eするから」
バスに乗り込む佐有さんに手を振ると、彼女も小さく振り返してくれた。
罪悪感はつのるものの佐有さんの意外な一面を知ることが出来てよかった。帰ったらユトリロを調べるというミッションが追加されたわけだけど。
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