◇金魚と他殺志願者 その2
がら空きの電車に乗って、近隣の水族館へ向かう。
本日は久々の快晴。風は強いが、屋内であれば問題なさそうだ。
「そういえば、何で今日はOKだったんだ?」
「それは……」
実を言うと、今回のデートは二度延期されている。先週と先々週。理由は雨。遠足かよ。
「……晴れ、だからです。雨は駄目なんです」
浦見は
屋内デートなのに、天候を気にする理由。女川も分からないと言っていた。
ただ、おかげでプランをじっくり練ることが出来た。満足してもらう自信はある。
……まぁ、ほとんど女川が考えたんだけど。
◇
電車を降りて歩くこと数分。目的地に到着した。
全面ガラス張りの外観に圧倒されながら館内へ。
人はいない。タッチパネル式の自動券売機だ。建物の厳かな雰囲気とは、不釣り合いな安っぽさ。
「えーっと、チケットの値段は」
「私の分は結構です。年間パスポートを持っているので」
年間パスポートなんかあるのかよ。ていうか、そんなに来るのかよ。
一人分のチケットを購入し、更に奥へ進むと、二人の女性が現れた。通路の両端に立ち、営業スマイルを浮かべている。こう言っては失礼だが、ちょっと不気味だ。
女性にパスポートを見せる浦見。
「たくましい脚ですね」
「余計なことを言うな馬鹿」
失言を注意しつつ、女性の前を通過。なぜか俺が睨まれた。
水族館など、いつ以来だろうか。ここも前々から興味はあったのだが、実際に訪れたのは初めてだ。しかも、隣には可愛らしい少女。自然と気分が高揚する。
落ち着け俺。舞い上がってプランを忘れるな。大切なのは、退屈な時間を作らないこと。沈黙はご法度だ。
浦見が早足で館内を進む。俺も歩調を合わせる。
突き当たりを曲がると、いきなり大きな水槽が現れた。縦一メートル、横二メートルほど。中を泳いでいるのは、メダカやフナなどの小魚たち。
水草と朽木の配置が絶妙で、池や川の一部をそのまま切り取ったかのような臨場感。底に敷かれた白砂も美しい。
水槽が見えた途端、彼女は勢いよく走り出す。はやる気持ちを抑えられなかった模様。
「おい、危ないぞ」
俺の声など聞こえていない。水槽にへばりつき、食い入るように中を見つめている。小学生みたいだ。
「落ち着け。走るな」
「お、落ち着いています」
嘘つけ。声、裏返ってるぞ。
展示の一部と化した浦見は、五分経っても、一〇分経っても、移動する気配が無い。
「……閉館までに出られなくなるぞ」
「し、失礼しました」
そう言ったのに、次の水槽を見た途端、また走り出す。失礼を繰り返す。
正直、意外だ。もう少し自制心の強いタイプだと思っていた。
……子猫的な愛らしさはある、かな。
解説によると、この辺りは特定の魚ではなく、水槽を一つの作品として展示しているらしい。『山中の小川』や『冬の湖』など水槽一つ一つにテーマがあり、それを限られた空間の中でいかに表現するか、趣向を凝らしているとかいないとか。そんな感じの長文が水槽の脇に記されていた。
周囲を見回す。大小二〇の水槽が、等間隔で展示されていた。
受付には、じっくり観ても一時間程度で一周できると書いてあったが、このペースだと倍以上はかかりそうだ。
カップル向けのスマホアプリや簡単に遊べるゲーム、困った時の話題一〇選など色々準備してきたのだが、この様子だと披露する機会は無いだろう。まぁ、別にいいけど。
浦見の後を追いかけながら、展示を楽しむ。
規模が小さい分、客が飽きないよう展示方法や演出に工夫が施されている。照明の当て方が上手いのか?
「綺麗だな」
「……な、何ですか? ご機嫌とりですか?」
「え? 何が?」
「……まぎらわしいことを言わないでください。減点です」
苛立った浦見に、腹を強く殴られた。遅まきながら失態に気づく。
「そ、そんな水槽よりも、お前の方が綺麗だぜ」
「水槽に勝っても嬉しくありません」
「いや、本当だって。超可愛い」
「……嘘です」
「嘘じゃない。浦見ちゃんマジ天使。一万年に一人の美少女。パーフェクト」
「わ、分かりました。もう結構です」
「浦見ちゃんと一緒にいられてめっちゃ幸せ。他には何も要らない。ノー浦見ノーライフ」
「止めてください。恥ずかしいです」
「思いが溢れ出して止まらない。浦見ちゃん世界一。神より神ってる。アイラぶっっっ」
再び腹を殴打された。いいパンチ持ってるじゃねぇか。
腹をさする俺に、浦見が詰問する。
「最後、何を言おうとしてました?」
「……忘れた」
三度、腹を殴られた。1
◇
淡水魚。海水魚。熱帯魚。両生類。甲殻類。水生昆虫などなど。多種多様な生物の展示。
その中でも、特に浦見が興味を示したのは、金魚のコーナーだった。
ダークブラウンの内装。昭和の下町を思わせる。
セピア色のポスターや看板、雑貨が通路沿いを彩っている。頭上には金魚の形をしたちょうちんと、金魚柄のガラスで覆われた灯籠。
夏祭りの縁日の中を歩いているような懐かしさと、幻想的な雰囲気が混在している。不思議な空間だ。水族館側も、このコーナーには力を入れている様子。
その中央。金魚の大群が、角柱形の大きな水槽の中を優雅に泳ぎ回っている。琉金という種類らしい。丸みのある体形と、揺れる長いひれが特徴的。色も赤、黒、白、金、紅白、赤白黒の三色など様々だ。
じっと水槽を見つめる浦見に尋ねた。
「金魚、好きなのか?」
「というより、飼育下に置かれている生き物が好きなんです。野生の生き物は嫌いです」
「へぇ。何でだ?」
「自然の中で自由に動き回る動物を見ていると、『お前なんかいなくても生きていける』と言われている気がするんです」
「……言いたいことは、何となく分かる」
全ての生き物が、その存在をもって、己の存在を否定している気がする。
そんな感覚に苛まれることは珍しくない。
浦見が水槽を優しく撫でる。
「ここにいる生き物は、誰かに助けてもらわないと生きていけない。そういう、生き物として欠陥を抱えている存在が、とても愛おしく感じるんです」
その思考には、激しく共感した。
ここの魚たちは、自分より遥かに巨大な誰かの意志で生かされている。生きることを強要されている。本当は死にたいかもしれないのに。
そう考えると、同族嫌悪ならぬ同族恋慕に駆られた。……恋慕?
謎のノイズに戸惑っていると、浦見は神妙な顔で言い切った。
「だから、刺身は天然より養殖派です」
「そこもかよ」
食う時は関係ないだろ。養殖も美味いけど。
笑いが、記憶の片隅からノイズをかき消し、忘却させた。
金魚コーナーを出ると、曲がり角の先から外の光が見えた。出口だ。
その先には中規模の売店がある。おかしやぬいぐるみなどが売られていた。
結局、一周するまでに通常の倍以上の時間がかかってしまった。プラネタリウムは諦めた方が良さそうだな。
「あの」
「ん?」
どうかしたか? 目線で尋ねる。
「……もう一周しても、いいですか?」
無論、拒否権はなかった。
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