十、良介 (2)

 翌日も良介はリサコの面会へとやってきた。


 今日もまた医師の立ち合いはあったが、八木澤博士は顔を出さなかった。


 病室に入ると昨日のアイスリーとは別の人格が表に出ているようだった。


「君は誰かな?」


 医師が訪ねた。


「オーフォだよ。」


 医師はタブレットにそれを記入した。そして部屋の入口に立つと、どうぞと身振りで良介に示した。


「あまり彼女を刺激しないようにお願いします。」


 医師が良介に向かって言った。


 オーフォがチラッと良介の方へと視線をよこして来た。


 オーフォは男性の人格だ。おそらく医師に性別を伝えていないのだろう。

 良介はそう悟った。


 良介は無言でベッドの横の椅子に腰をおろした。


「久しぶりだね、良介。」


 オーフォが言った。


「そうだね。連絡しなくてすまなった。」


「別にいいよ。みんなで話し合って君との面会は私が対応することにしたよ。」


「リサコもそこに居るの?」


「いない。」


 リサコのことを聞かないのは不自然かと思い、あえて聞いてみたが、オーフォは動じずに淡々と受け答えをしてくれた。

 オーフォは良介が記憶している限りではリーダー的な頼れる存在で、人格同士の協力体制が必要な際によく出てくる人格だった。


「良介のことを教えてくれる? 私と会わなかった間の。」


 オーフォが女のふりをしているので口調が変だった。

 今話しているのが本当にオーフォなのか…良介も確信が持てなくなってきたが、ひとまず彼らを信用することにした。


 会話の主導権を握って来たので、何か策があるのかもしれない。

 もしくはリサコの話になるのを避けているのか。


 良介はリサコと別れからの自分のことを語った。

 タケル兄ちゃんについてイギリスに行ったこと。イギリスでは日本人学校に通っていたこと。

 高校で日本に戻って来たこと。大学まで進んで刑事になったこと。


「タケルさんは元気なの?」


「うん、イギリスで事業が成功して忙しくしてる。」


 ふーん、とオーフォはあまり感情を込めずに言った。


 ここで面会時間が終わってしまった。


 良介は「また来るよ」と言ってオーフォの手に自分の手を重ねた。オーフォはその手をぎゅっと握り返して来た。


 リサコの病室を出ると、良介はなるべく担当医に親し気に話しかけた。

 リサコの対応で困っていることはないか、八木澤博士はどんな人なのか。


 同世代であるこの医師と仲良くなることは、リサコ奪還において必須項目だった。


 医師との雑談を済ませ、今日はどうやら八木澤博士は登場しないことを確信すると良介は病院を後にした。


 署に戻ると案の定、後輩の先崎サナが駆け寄って来た。


「せんぱーい!! また黙っていなくなるから~。どこに行ってたんですか?」


 良介はチラッと先崎サナの方を見た。顔よりもどうしても胸に目が行ってしまう。

 これも良介が先崎サナを苦手とする理由のひつとつでもあった。


「午前休を出していたはずだけど。頼んでおいた調査は終わった?」


「終わってますよ。せんぱいに送ってあります。ところで、二日連続どこに行ってたんですか?」


 良介は質問には答えずに自分の席につくと、パソコンを開いて先崎サナからの報告に目を通した。


 先崎サナには北山安吾郎の交友関係を洗いざらい調べさせていた。


 北山安吾郎とリサコの父親・山本幡多蔵の傷害事件との関わりを調べたいところだったが、この二人の点と線は今はまだ繋げたくなかった。

 まずは路上で北山安吾郎を刺した奴を探すことが先決だ。


 先崎サナは抜けてそうに見えるが、実際はとても優秀だった。彼女の捜査能力については良介も信頼していた。

 もう少し不真面目さがあると完璧なんだけどな…。良介はそんなことを考えながら先崎サナの報告を確認して行った。


 北山安吾郎の周辺には怪しい奴しかいなかった。

 これは片っ端から事情聴取していくしかないか…。


 良介はチラッと先崎サナの方を見た。彼女を連れて行くのは逆効果になるか、それとも…。


「よし、先崎、行くぞ。」


 先崎サナは「はい!」とよい返事をしてついて来た。


 事情聴取の一発目は、北山安吾郎が出入りしていた不動産屋だった。

 北山安吾郎はここで取り立ての代行をしていたようだ。つまり、家賃を滞納している世帯に直接取り立てに行く仕事だ。

 恨みを買いそうな仕事ではあるが、北山安吾郎を殺したところで代わりの取り立て屋が来るだけだ。

 よっぽど追い詰められた奴じゃないと北山安吾郎を殺すまでにはならないだろう…。


 良介は北山安吾郎が対応していた世帯のリストを提出するように不動産屋へ指示をした。


 続いての事情聴取は、北山安吾郎がたまにボーイとして働いていた会員制のナイトクラブだ。

 オーナーは若い男で、元売れっ子ホストだそうだ。

 相当な女たらしの様子だったが、先崎サナは動じず事務的に仕事をこなしていた。

 このナイトクラブで北山安吾郎が問題を起こしたことはなさそうだった。

 念のために、従業員と顧客の情報を出してもらうことにした。


 やはり先崎サナを連れてきたのは正解だった。

 北山安吾郎が関わる業界の連中は、若い男が相手だとマウントを取りたがる輩が多い。

 強気に見える女性とも相性が悪い。


 その点、先崎サナは適任だった。害のなさそうな人間。なんならちょっと頼りなく見える。

 相手が油断しているうちに、サクサクと話が進んだ。


 こんな調子で良介と先崎サナは五件ほどの聞き取りを終えた。


 良介は聞き取り内容の報告を先崎サナに任せるとそのまま家に帰った。

 疲れていた。


 正直、北山安吾郎はどうでもよかった。


 リサコ…。どうやってリサコをあそこから連れ出すか。


 良介の最重要ミッションはひたすらそれだった。


 家に帰り、風呂に入ると、良介はそのまま寝てしまった。

 そして、取り留めのない夢を見た。


 それからの良介の日課は、午前中に脳科学研究センターへ行き、午後から北山安吾郎殺害事件の捜査、という流れとなった。

 先崎サナもだんだん詮索しなくなった。身内が入院しているらしいと理解したようだ。


 一週間、リサコの元へ通い、彼女と良介の他愛もない会話を担当医に聞かせ続けた結果、ようやく良介は立ち合いなしでリサコに面会する権利を得た。

 担当医にも親し気に話しかけることを忘れず、すっかり彼とも打ち解けた。

 担当医との会話の中から、病室には監視カメラもマイクも設置されていないことも確認した。


 八木澤博士のような奴なら、患者をこっそり監視しててもおかしくはないとも思ったのだが、そこまでではないようだった。


 良介が一人で病室に入って来たことを見ると、ベッドで上半身を起こして座っていたリサコ…いや、オーフォはニヤリと笑って「でかした」と言った。


「さて、ここからが本番だ。」


 良介がオーフォに言った。


「早速だけど、ここで何をされているのか説明してくれないか?」


「ああ、それだったら俺の担当じゃない。アイスリーに代わるよ。」


 そう言ってオーフォは引っ込んでしまった。

 良介は十年ぶりに人格交代の瞬間を見た。


 黒目がひっくり返り白目になり、何かブツブツと何か言っているかのように口が動き、そして目が戻って来る。

 戻ってくるともう別の人格がリサコを支配しているのだ。


 リサコの担当医はまだ一度もこの人格交代を見たことがないと言っていた。

 ということは、ここで彼女ら彼らは自分たちを完全にコントロールできているということを意味する。


「いいよ、何でも聞いて。」


 アイスリーが言った。


「八木澤博士の調査を受けているのは君?」


「そうだよ。」


「奴は君に何をしているの?」


「何か、頭にクリームをベットリ塗られて吸盤みたいのがついたコードを頭にたくさんつけられる。で、真っ暗な中で、機械、何て言ったかムネー何とか?」


「ムネーモシュネー?」


「そうそれ、気味悪いんだよねあれ。なんか可愛くもないヤギの絵が描いてあって。あ、八木澤だからか?」


 相変わらずアイスリーの話は要領を得ないが、良介は辛抱強く聞いた。

 彼女は昔から話の腰を折られるのを好まない。


「あれが作動すると、変な映像が見えるんだよ。頭の中にさ。白昼夢見てるみたいに。リサコの父さんや母さんのこととか。なんか古いビデオの映像を見ているみたいに。

 でも、毎回、リサコの母さんが交通事故にあう場面で映像がぐにゃーってなって消えてしまう。

 で、八木澤がタブレットを持って入って来て、あれーおかしいな…とか言いながら、また機械を動かす。

 あたしはだいたいこの辺で頭痛がひどくなって吐いちゃうんだ。本当に嫌なんだ。何度やっても同じなのに。もうやめてほしい。」


 アイスリーはブルルっと身震いすると、自分で自分の腕を抱きしめながら、ベッドの上で体を二つ折りにしてしまった。

 良介はそっとアイスリーの背中をさすってやった。


「ムネーモシュネーは記憶の情報を精神のフィルターを取り除きながら入手する装置なんだよ。リサコのお父さんの傷害事件の話を聞いてる?」


 アイスリーはうずくまったまったままの姿勢で「うん」と頷いた。


「おじさんが亡くなったから、殺人事件に切り替わって、唯一の目撃者とされる君が調査対象となったんだ。」


「あたしにはその時の記憶はないよ。誰にもその時の記憶はない。」


「たぶん、君たちのうちの誰かが恐ろしいことを目撃して、みんなを守るために記憶を封印したんだな。八木澤博士はそれを無理やり穿り出そうとしている。」


「あの醜い機械ではあたしたちの記憶は吸い取れないよ。」


「まあ、そうだろうね。」


 良介は自分の考えをアイスリーに話してよいものか一瞬悩んだが言うことにした。


「…俺は、おじさんをやったのは北山安吾郎じゃないかと考えている。」


「キタヤマ…?」


 アイスリーは顔をあげて、記憶の中を探っているような表情をしばらくした。


 良介は携帯に入れていた北山安吾郎の写真をアイスリーに見せた。


 それを見て彼女も思い出したようだ。


「ああ、こいつか…。あのクソ野郎か。」


「覚えているのか?」


「覚えてる。リサコの父さんの使いっぱしりみたいな奴だったけど、ろくな奴じゃないよ。」


「ああ、ろくな奴じゃない。」


「あいつが、リサコの父さんを殺したのか? なんかいつもヘラヘラヘコヘコしてるだけの奴だったけど。」


「まだわからないけど、可能性は高い。」


「そしたら、あたしじゃなくて、あいつの調査をすればいいじゃないか。」


「それができないんだ。北山安吾郎は先月殺されてしまった。それでたまたま俺がその事件の担当になったんだ。」


「ははん。それでここを知ったんだね。」


「そうだ。でも警察はまだおじさんと北山安吾郎の関係を調査していない。他にも怪しい奴らばっかりで。」


「なるほど。」


「この調査をやめさせるためには、調査の指示を出している警察が、君たちからは記憶を取り出せないとあきらめるか…」


「そこまで脳みそが持たないよ。」


「おそらく八木澤博士は、君のことを二度と手に入らない貴重なサンプルとして見ているだろう。

 しかも君には身内もいないし好都合だ。

 何が何でも手放したくないだろう。弁護士もすぐ買収されてしまうだろう。あいにく知り合いに信用できる弁護士はいないし…。」


「あ、ちょっと待って」


 良介の半分独り言のような言葉をアイスリーが遮った。


「≪体系≫ のお出ましだ。」


 その名を聞いて良介はごくりと唾を飲み込んだ。

 ≪体系≫…。良介もこれまでに数えるほどしか遭遇していない、全人格を総括している存在だ。


 ≪体系≫は、二人が交互に喋っているような話し方をする。良介は苦手意識があった。


「良介、久しぶりだな。やっほー元気だったぁ?」


 アイスリーがいなくなり、表情ががらりと変わったことが、リサコを支配している人格が入れ替わったことを示していた。


「≪体系≫ …なのか?」


「そうだよ。ちなみに私の存在はここの連中には知らせていないからね。言ったらだめだよ。」


「ああ、わかっている。それで、どうしたらいいと思う?」


「ひとつ、私らから提案がありまーす。無理な提案ではないよ。」


「なんでしょう…」


 良介は何となく嫌な予感がした。


「リサコと婚姻関係となってほしいです。」


 ≪体系≫ はあっさりとそう言った。


「…え?」


 良介はあまりに意外な言葉に頭の中が真っ白になってしまった。

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