第二章

第2章 再開

牛車に乗る頃には既に涙は止まり、少しだけ頰に付いていた跡は微かに見える程度になっていた。ほぼ毎日のように牛車で送迎をしてくれた御者の方に先程された話をすると、泣きながら「おめでとうございます」と言っていた。


春樹はここまで自身を想ってくれる人が身近にいることに気が付いた時には、同じように涙を流していた。


九条邸に帰宅した後、そのまま着替えることなく蒼の元へ行き、報告をした。後九条は既に話をしていると言っていたのだが、ここまで通わせてくれた蒼にお礼を言うべきだと考えた春樹。


「……ということで、今年の春に卒業することになりました。これも支援して頂いた蒼さんのお陰です。心から感謝致します」


「そうですか……流石、と言ったところでしょうか。早期卒業など、私の時以来では?」


ふふっと柔らかい笑みで春樹を見つめる蒼。心の底から喜んでいる彼の表情を見て、自分が認められた気がして心が温かくなった。


「海斗と陽斗にはお話しましたか?」


「あ、いえ、まだ……先に、蒼さんに伝えなければと思ってそのまま来てしまいました……」


「そうですか。全く、私の弟子は本当に可愛いですねぇ」


可愛いと言った彼の顔は自分の子供の成長を喜んでいる親のよう。一回り程しか離れていない彼の中では、愛おしい弟子であり、子供であると思っているのだろう。帰宅後、一目散に自分の元へ来たことに嬉しさを隠しきれないようだ。


「では、直ぐに彼らに報告しなさい。いいですね?」


「はい!」


「あと……」


「はい?」


「次は陰陽寮に入る為の試験をします。学舎とは違い、更に難しい試験が待ち受けていますので、その事もあの二人に聞きなさい」


「分かりました!」


蒼の提案に二つ返事をし、深々と頭を下げた春樹。一年前までは丸まっていた背中は、いつの間にか真っ直ぐに伸びており、堂々とした姿へと変わっていた。頭を上げた後、立ち上がって背中を向けないように後ろに下がった。


大きな物音を立てないように襖を閉めた後、思わずため息が溢れる。何を言われるのか分からなかったのだろう、少し気を張っていたようだ。肩の荷が降りたような気分になり、「よしっ」と小声で自身を鼓舞するように呟いた。


見慣れた廊下を歩き、いつも寝泊まりしている自分の部屋の前に立つ。開けようと襖に手を掛けた瞬間、勢いよく音を立てて開いた。


「!? え、陽斗さん!?」


「おっ前、早期卒業したって本当かよ!?凄えな!!」


「な、何で知って……!?」


「九条邸ではその話で持ち切りだよ」


「海斗さんまで!?ど、どういうこと……?」


目の前に現れたのは満面の笑みで迎えた陽斗だった。十二神司の刺々しいあの人までではないにしろ、少し見た目が怖い彼からの出迎えに驚くには十分だった。


それよりも春樹が驚いたのは、既に彼らが卒業の事について知っていると言うこと。頭の中が混乱していると、海斗が説明を始めた。


「春樹が卒業するって初めに知ったのは、もちろん蒼さんだ。手紙でもその話が届いていたんだけど、実際にあの恵さんが来たんだよ、ここにね」


「え、わざわざ九条邸に来たんですか!?」


「そうだぞ!こんなこと、蒼さん以来だからな!さっすが俺の教え子だ!偉い!偉いぞ〜!」


春樹の頭を強く揺するように撫でる陽斗は犬を愛でる飼い主のようだ。彼の感情を表に出しているのを強く感じた春樹は同じように嬉しくなった。それと同時に誇らしくなり、「へへ」と照れ臭そうに笑っていた。


「もう卒業するってことは、次は陰陽寮に入るんじゃないか?」


「あ、そうです。蒼さんが、海斗さんと陽斗さんにそのことを聞けって言ってて……」


「あぁ、あの試験だったら春樹なら楽勝だ!」


「そんな……身も蓋もないことを言わないでくださいよ〜……」


得意げに話しをする陽斗は何も心配は無いようだ。しかし、その話を聞いても全く支えにならないと思った春樹は眉毛を下げて困惑している。


「こら、陽斗。適当なことを言うんじゃない。次こそ蒼さんに怒られるぞ?」


「いや、だってよ!絶対、春樹なら受かると思わないか!?」


「分からなくはないけど……」


陽斗の話に突っ込みを入れるが、揺るぎない彼の自信に押し負けそうになる。しかし、しばらくの沈黙の後に春樹を真っ直ぐ見つめて話し始めた。


「春樹。学舎での君の成長速度は知っているよ。けどね、陰陽寮はそんなに簡単じゃないんだ。試験も桁違いに難しいし、何より完全な実力社会。あの時、蒼さんの付き添いで会合へ行って見ただろう?まだ彼等の本気を見たことがないから分からないかもしれないけれど、春樹が目指している先はあそこなんだ」


海斗の話を聞いて、あの場にいた時のことを鮮明に思い出した春樹。息をするだけで緊張感が増し、一声掛けられると背筋が凍りつく。立っているだけで雰囲気がある人間というのを間近で見たのだ。


二度どあんな場所へ行きたくない、と思うのが普通なのだろう。しかし、春樹は違っていた。彼等に出会ったことにより、恐怖よりもその圧倒的な佇まいにこう思ってしまったのだ。


『あぁ、僕も彼等のようになりたい』、と。


恐怖よりも、緊張感よりも、何事にも変えられないあの気持ちを再び想い起すように胸の底から湧いてくるのを感じた。


「……正直、彼等には絶対勝てないと思いました。……今は」


「ほう?それは一体どういう意味かな?」


「彼等に勝てないと思ったのは事実です。それはどうしようも出来ません。でも、これからの事を変えていくことは可能です。だから……」


「教えろってことだろ?任せろって!俺らがお前を最強の陰陽師にしてやるよ!」


言い終わる前に被せるようにして言ったのは陽斗。勢い余って大分前のめりになっているが、春樹のその姿勢に胸をくすぐられるような思いをした。ただただ前を向いている、天辺だけを見ている自分の後輩が誇らしいと感じたのだ。


「ふふっ 本当、威勢が良いねぇ。いいだろう、みっちり叩き込んであげるよ。その代わり……誰にも負けないでね?」


「……っ!はい!」


不敵に笑う海斗の姿を見ると、いつもなら背筋に冷たい汗を感じる。しかし、今回は別のようだ。先に陰陽寮に通っている二人の先輩に指導をしてもらえることが嬉しく感じている春樹にとって、それは刺激剤にしかならない。次の日から始まる練習に胸を高鳴らせつつ、二人と笑いあっていた。






「いいかい、春樹。今日から陰陽寮の試験まで約1ヶ月。それまでに今まで以上の知識と、お前の持っている霊力をどうにかしなければならない。」


「どうにかしなければって……海斗、雑すぎじゃないか?」


「仕方ないだろう。彼は俺たちよりも遥かに霊力の器が大きい。力加減というのを知らなければならないのだよ」


「それもそうか……うーん、難しいな〜!」


春樹の目の前で頭を悩ませている二人の先輩。何を言えば良いのか分からず、黙っているままの春樹。曖昧な内容を聞きながら、自分がかなりの問題児であることを思いしった。


今までは自身の霊力によって何か問題を起こした、又は起きたことなどそこまでなかったので、そこまで深く考えていなかっただろう。


「でもさ、俺聞いたよ?お前、その霊力で何人もの大人を倒したんだろ?」


「え?そうなの?」


「あ、まぁ、そうなんですけど……でも、何で陽斗さんは知ってるんですか?」


「そりゃあ、蒼さんから聞いたからだよ!海斗、お前知らないのか?」


「うーん……あ!俺がお腹痛くて集まりに行けなかった日か!」


「あ、多分それだな!」


春樹の一年前の出来事は、どうやら九条邸の中では共有されているらしい。さらっと言われた事実に目を見開きつつも、再度二人が話しているのをただ聞いているだけだった。


「で、春樹はそんな凄いことをしたのかい?」


「……そう、ですね。あの時は必死だったんで、あまり、覚えてないと言うか……」


語尾を濁して目線を下に向けて、口を閉ざしてしまった春樹。彼の様子を見て互いに目を合わせた海斗と陽斗。「あー…」と首に手を回しながら視線を斜め上に向ける海斗。何かを悟ったような陽斗はため息をついて話し始めた。


「あのな、春樹。最初に言っておくがここにいる人間はお前のことを認めているから、ここに居るんだぞ?そうでなきゃ、とっくに皆この屋敷から出て行っているさ」


「え……」


「ほら、初めてこの部屋に来た時にもう一人いただろう?あいつ、お前がこの屋敷に住むことを反対していた内の一人なんだ。で、納得出来ないから辞めるって言って出て行ったよ」


初めて来た日のことを思い出す春樹は、「あ…」と言葉を漏らした。いつの間にかいなくなっていたので何となく気にしていたのだが、それ以上に学舎での勉学が忙しいこともあり、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「だからね、ここにいる皆んなはちゃんと納得して蒼さんについて行ってるんだよ。気にするな、とは言えない。でも、ここにいる全員がお前の味方であることを忘れてはいけないよ」


春樹の頭の上に乗って来たのは温かい海斗の手。年齢なんてさほど変わらない彼等だが、しっかり先輩として春樹の面倒を見ているのがよく分かる。腫れ物に触るようにではなく、愛おしい人へ触れるような撫で方に、目から溢れてくる涙。


「あ、ありがとう、ございます……」


ここに来るまでなら絶対に知ることのなかった温かみに触れ、何故自分が今泣いているのかも分からない様子の春樹。ただ、この気持ちを知ることが出来たのは確実に春樹を拾った蒼のお陰であることを知っている。


「ほら、一緒にお前の霊力をどう扱うか考えるんだろ?」


「……っ!はいっ!よろしくお願いします!」


「ふふっ 本当、逞しく成長しているね」


海斗は撫でていた手を止め、一歩前に出て胸を張って言っている陽斗を見て笑う。彼の元気な励ましに、春樹は目を擦り、同じように大きな声で返事をする。


二人の姿を見て、一年前に来た春樹のことが頭によぎった海斗は少しずつ成長していく彼を見て優しく微笑んでいた。


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