刻ノ夢の緒 Ⅲ

 視線が合い、リュディガーは肩をすくめて、また前を見る。やや間をおいて、彼はため息を吐いてから口を開いた。


「__世帯を持っていた」


「しょ、たい……?」


 キルシェはきょとん、としてしまった。


「私と君で」


「__え?」


「__夫婦だった」


「……」


 キルシェは鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚え、思考が止まった。


「……まぁ、そういう反応になるよな」


 やれやれ、と後ろ頭をかくリュディガー。


 __世帯……? 夫婦……?


 何の話だった、そもそも。


 __そう、確証の話よ。夢がどうとかで……で、どうして……どういう……何故……。


 彼の顔をみるに、冗談で言っているようではないが、今、彼とその一歩手前の状態であるキルシェには、現実味を帯びている事柄だけに神経質になる言葉だ。


 固まってしまったキルシェに、リュディガーは罰が悪そうに後ろ頭をかいて苦笑する。


 そして、咳払いをして気を取り直すと、言葉を続けた。


「夢の最後、同じように療養して……気がつくと、君が駆けつけていた。夢と現実が地続きな状況で、朦朧としていたし……だから、あの時、家は大丈夫か、と聞いたんだ。まるっきり任せてしまった状況だろうから」


 __いぇ、は……よぅすは、どう、だ……?


 理解するのに数瞬を要したのは、吐息が多くかなり掠れた声だったから。それでも、その状況は__特に彼の発した言葉は、聞こえないなりによく覚えている。


「……あれは、家といったのでしょう……? 家って……様子はって言うから、ローベルトお父様のことだと思ったけど……ローベルト、お父様のことじゃなかった……の?」


「ああ。もうその時__夢の時では、すでに亡くなっていたから。……そういえば、亡くなっている、というのは、知っていたな、夢では。今思えば、飛ばし飛ばしに見ていたように思うな……飛び飛びの現実というか……夢というか……」


「そうなの……」


「子もいた」


 え、とキルシェは固まった。それは心臓が止まるほどの驚き。


 __子……? 子、と言った?


「誰……の?」


「ふたりの。私と君の」


 何の冗談、と口を開こうとしたキルシェよりも先に、リュディガーが片手で親指、人差し指、中指を軽く立てて3と示すので、きょとん、としてしまう。


「3人だった__いや、4人か。君は、身重だったから、あの時」


「よ、よに__っ」


 ぼっ、と音がなりそうなくらい、顔が朱に染まったのがわかった。


 はくはく、と言葉が紡げないでいれば、リュディガーが人の悪い笑みを浮かべる。


「身重の君に、家を任せてしまった。で、身重のはずの君が見舞いに現れて……身重じゃなくなっていたから、混乱していた。__で、ああ夢だったのか、と」


「ぇ……ぇ、だって……待って……身重、って……」


 茫洋とした視線だった彼。会話が成立するようになってからは、しばらく凝視してきていたように思う。


「あ、あの時、まじまじと私を見ていたのは、そ、そういう……こと……」


 思わず反射的に下腹部を空いた手で抑え、彼の視界から隠すように抱えるように身を縮こまらせた。


「すべて同じ刻の言葉を使うようになって、その夢で見た一部分を切れ切れにでも垣間見ることが増えて、ならばそれは妄想ではない。可能性のある未来だ、と教えられた」


 教えられた__アンブラやフルゴルに教えられたのだろうか。その特異な言葉は、彼らとともに任務に就いてから会得したというから。


「それにたどり着くには、間違いなく私も君も生きていなければならないし、任務を完遂し、月蝕に起きる問題を解決していなければならない。あの痴れ者も、征伐ないし捕縛されていなければならない」


「そ、その夢が……そんな夢が、確証だった……の?」


「言わなかったか? 悪くない夢だった、と」


「言っていた……かもしれないわ。でも、大したことじゃない、と……」


「それは、だって、そう言うしかなかった。夢は夢であったのは事実だが、現実味があって……とにかく、うまく説明できなかったし……。知らないだろうが、あの目覚めたあと、しばらく認識の差異に苦しんだんだ。なにせ夢じゃあ、それなりの年月が経っていたんだから」


「ふ、夫婦として……?」


「ああ、そうだ」


 あの頃は、彼を慕う気持ちがあったかはわからない。まるでなかったかとは言えないまでも、まだまだ学友という認識だったはずだ。


 片や、リュディガーはいい人を通り越して、夫婦という認識でいた。


 その乖離たるや、甚だしいのは言うまでもない。

 

 __でも……そんなことを言われても……。


 今現在、打ち明けられて戸惑っているのだから、当時ならば困惑して当然だっただろう。


「__貴方が……養父ちちの懐刀になってしまった貴方と再会して、ずっとやきもきして……色々はらはらもしたし、悲しみもしたし……あの月蝕の夜にいたっては、貴方が殺されてしまったかも、とか……致命傷を負った貴方を見てもいたのよ? それが全部、善い方へ解決するなんて思いもしないでしょう? 悪い方へ向かわなかったことはいいことなんですけど、でも……何ていうか……」


「待て待て待て。いくら確証があるといったって、私だって、あの月蝕の夜は死物狂いだったんだぞ。相手の最終目的もわからないまま、五里霧中みたいな状況で最善の手を考えて……。そもそも、確証としたそれだって、夢幻の妄想なだけかもしれない、と思えることもあった。その夜までの数年だって、本当に泥水を啜るような思いをしながら、耐えて耐えて……私怨で寝首をかかずにすんでよかった、と思っている。かいたほうが、帝国としてはよかったのかもしれないが、鏡の所在を知る必要があったから、泳がさなければならなかったんだぞ。変に刺激して、君を巻き込んで殺されてしまうなんてことも、ありえなくはなかった。君の存在が、あの男にとってどんなものなのか、わからなかったからな」


「いくらか話してくれてもよかったのでは……?」


「__いずれ夫婦になる。夫婦になるならふたりとも生きている必要があるし、ここも解決していなければならないから、そうなるから安心しろ、とでも? とんでもな説明だろう」


「い、いえ、そうじゃなくて、もっと何かこう……」


 なんだか、もやもやとしたものが湧き上がってくる。


 珍しく空いた手をひらひら、と動かして自身を叱咤するものの、うまく言葉が見いだせず。


 やがてキルシェは諦めて、しきりに動かしていた手で頭を抱え、疲れてため息を吐き出した。


「__なんだろう……」


「ん?」


「なんだか……悔しい感じがします」


「悔しい?」


「私、そんなこと知らなかったですから……」


「だから、いずれ話す、と言った理由がわかったか?」


「えぇ……よく、わかったわ。__そうしてくれて、正解だった」


 もう一度大きなため息を零すと、リュディガーが腕を組み直した気配がした。


「__キルシェ」


「……なに?」


 キルシェは、恐る恐る顔を覆っていた手を下ろした。


「確証としたと言っていたが、それだって、誤差はあるんだ」


「誤差……」


「誤差はある、と私は思う。私だけの思惑で、世の中は成り立っていないだろう。君にも望みや思惑がある。先生にだってある。元帥閣下にだってある。__そうした様々な思惑が混ざり合って、収束した先が個々の出来事だ。しかもそれは連なってる……そう私には視える。視えた」


 リュディガーは、そこで言葉を切って大きく息を吐き出した。


「まず、私には、君が確実に生きているということを知らなかったんだ。だから、任務に就いた時、確証ではなかった」


「……ぁ」


 指摘にキルシェは、はた、と気づいた。

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