思惑の行方

 翌日__夜会の当日。


 マイャリスが目覚めたのは、いつもよりもかなり遅い時間であった。


 上体を起こすのだが、鈍い頭痛をはっきりと自覚し、しばし寝台の上で額を押さえる。どうやら、不調が寝過ごした理由らしい。


 そこへ、入室を求めるノックがして、誰何するとそれはフルゴルだった。


 マーガレットはもういない。


 代わりとして、フルゴルが侍女の役割を引き受けてくれているのだ。


「__おはようございます、マイャリス様」


「おはよう、フルゴル……」


 額を押さえていた手をようやっと離し、顔をあげて彼女を見る。


 清々しく上品な笑顔の彼女は、茶器を手にして近づいて来るところだった。


「いつものお時間に参りましたが、障りがあるようにお見受けいたしましたので、そのままにさせていただきました」


「そう……気づかなかったわ……。起こしてくれてもよかったのに……二度手間をさせてしまって、ごめんなさい」


 いえ、とフルゴルは寝台横のテーブルに茶器を置き、茶を注ぐ。


「__どうぞ、こちらを」


 ふわり、と鼻先をかすめる香りが、わずかであるが頭痛を和らげたように思え、マイャリスはそちらをみた。


 優美な手が茶を注いだカップを持ち、マイャリスに差し出す。


 それを受け取って、より香りを近くで感じると、それだけでさらに頭痛が治まっていくから不思議だった。


 試しに一口。苦味はあるが、甘みもいくらでもある。それ以上に清涼感が香りとともに鼻から抜けていく。するとさらに頭痛が和らいで、思考もはっきりとしてきた。


 頭痛に耐えていた身体の強張りも、ほぐれていき、思わずため息を零してしまう。


「__障りには、このお茶が効きますが……いかがですか?」

 

 __障り……。


 しきりに彼女がそういうが、それはつまり間違いなく頭痛からくる体調不良のことだろう。


「とても、気分がよくなりました。__ありがとう」


「昨夜は、アンブラの我儘をお聞きいただいたそうで……ご無理をなさいましたね」


 昨夜、と聞き、鮮明に思い出した不可知の領分での、邂逅__密会。


 意味深な視線を向けるフルゴルをみて、彼女も一枚噛んでいるのだろう、と察せられた。


「あ……いえ……」


「気を張っていらっしゃったでしょうに、無体をさせてしまった__アンブラがそう申しておりました」


「そう、ですか……」


 ぎこちなく答えると、くつり、とフルゴルが笑む。


「お食事は、お部屋にお運びさせていただきますが、召し上がれますか?」


「ええ、ありがとう。頂きます__あ、あの……リュディガーはもう」


「すでに出立なさっておいでです。起きるまではそっとしておくように、と仰せで。__今日の夜会の警備のことなどを済ませたら、夕刻には戻るとのことです」


 夜会。


 今夜は何かが起こる。


 父の悲願の達成__それは一体なんなのか。


 州城のほとんどは予め命の灯火を奪われている者ばかりらしい。それらはすべて贄で、儀式の一環だったというのが、リュディガーらの見立てだ。


 フルゴルは、マイャリスをそのままに、一旦扉に向かうと、締め切ることはせず新たなトレイを取った。


 それは、紛れもなく食事。おそらくワゴンでお茶とともに運んできていたのだろう。


 フルゴルはそれを、寝台の上に置いてくれようと足を向けていたのだが、マイャリスは視線で窓際のテーブルへお願いすれば、彼女は無言で頷いてそちらへ配膳を始めてくれる。


「そういえば、夜会用の召し物なんてあったかしら……」


 お茶を飲み終えて、サイドテーブルへ置いたところで、ふと疑問が口をついて出た。


 ごくごく一般的な有閑階級の者であれば、当然のように持っているものだ。マイャリスもその類に属するものの、自分はこれまでただの一度も夜会というものとは無縁。嫁いだ今も、新しく誂えた記憶がないから、持ち合わせていなかったように思う。


 __そのあたりについては、マーガレットに任せっきりだったものね……。


 軟禁生活だし、そこまで服飾にこだわりがあるわけではないから、彼女がすべてやってくれていたのだ。


「夜会に出ることが決まって、すぐに手配いたしましたので、ございます」


「あら、そうなの」


「ただ、あまりお時間がございませんで……。手前どもでご相談する前に、諸々手配をさせていただきましたので、お気に召していただけるものかは不明なのですが」


「こだわりは特にないので、大丈夫です。ただ、リュディガーが恥をかかないのであれば、何でも」


「はい、それは勿論ですが、マイャリス様も場で遅れをとらないようには致しましたので」


「__ありがとう」


 どういった面々が集まるのかは知らないが、とにかくリュディガーが連れて歩くに耐えられないようでは困る。それがマイャリスの中での第一だ。妻の有り様は、家長であるリュディガーの評価に直結するからだ。


 リュディガーはしかも、『氷の騎士』と恐れられる州侯の懐刀__たとえ演技であっても、周囲はそういう見方をしているのだ。恥になるような、侮られるようなことがあってはならない。


 __私は、たぶん、普段どおりにすればいい……。


 しかし普段どおりというのが、また意識すると難しい。


 しかも、もっとも信頼していた侍女を断罪された直後である。断罪したのは、良人リュディガー。


 __ギクシャクしている状態でいいのよね。


 不可知の領分での出来事は、なかったことにしておかねばならない。


 彼が__彼らが苦労に苦労を重ね、やっと作り出した密会の場。情報を包み隠さず伝える手段の場だったのだ。


 州侯の目と耳がいたるところにあるという。それがどういう形なのかは知らないが、わからないからこそ、下手なことを今ここでフルゴルに尋ねる訳にはいかない。


 お互いに、言葉の裏に含めた意味を汲み取らねばならないのだろう。


 内心、難儀な状況だ、と思いながら、マイャリスは食事が並ぶテーブルに着席する。


「……まだまだ、わだかまりはございますでしょうが、夜会へは同じお車で向かうことになります」


「え、えぇ……でしょうね」


 それはそうだろう。


 夜会は初めてだが、常識的に夫婦が別の来るまで乗り付けるなど、ありえない話だ。仮面夫婦のような不仲でも、一緒の車。


 有閑階級の者にとって、体裁は大事なのだ。醜聞はたちどころに広がってしまう。広がれば、尾ひれがついて、修正はほぼ不可能。社交界の評判につながり、地位を揺るがすことにもなりかねない。


 州城にいるときは、そんなことは意識しないでいられたが、百人隊長の妻という立場である以上、気をつけて行かねばならないものだ。


 __まぁ……それがいつまでなのかわからないけれど。


 リュディガーは中央から来た間諜だということだ。


 であれば、いずれ戻るのではないか。


 __というか……今夜決着がついてしまうのではないの……?


 悲願を果たした父はどうなるのか。


 __ことと次第によっては、断罪される……のかしら。


 失念していた。


 それは一番大事なことではないのか。


 父を__州侯をどうするのか、何故昨夜聞かずに終えてしまったのだ。


 目的を見極めようとしているのだろう。そして、とんでもないことをしようとしているのであれば、断罪するのだろうが__。


 内心、今夜のことを考えながら、マイャリスはカトラリーを手にとった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る