州都の邸宅

 マイャリスは拍子抜けしていた。


 州侯主催の夜会に出るということで、てっきり自分はまたその時まで州城の奥の屋敷に追いやられるのだろうと思っていたのだ。


 それが、州城を戴く岩山の、中腹にある官吏用の邸宅に逗留することになったからだ。


 街と官邸が並ぶ区画を隔てる大きな門。


 そこから徐々に勾配がきつくなり、螺旋状に道が登っていき、またひとつ門をくぐると、そこからが官吏の宿舎が立ち並ぶ。


 リュディガーが率いる部隊は、州軍と指揮系統が異なり、実質的に州侯の私兵。州侯やその家族、州宰といった上級文官の護衛を主とする。


 筆頭である彼には、州城の敷地に邸宅が下賜されている。岩山の少ない平地を利用して作られた邸宅は、ハイムダルの屋敷より格段に狭い。狭いといっても、貴族が大きな街に持つ邸宅とそう変わらない規模のものだ。


 この邸宅、部屋によっては、段差があるような構造であったり、岩肌をくり抜いて部屋の一部としていたり、あるいは大きすぎる岩が壁に露出したままと、独特だった。


 官邸ということで、ここでの使用人は州が雇った者ばかりで構成されていて、ハイムダルの屋敷からは数名の使用人を連れてきた。


「__あの、マイャリス様、それでは」


「ええ。行ってらっしゃい」


 マーガレットももちろん連れてきたのだが、彼女は州都で半日暇をほしいと申し出ていた。


 州都に到着した翌日の今日、リュディガーは朝食をとってすぐに出仕してしまって不在だ。となれば、この邸宅の采配はマイャリスにある。とは申せ、今朝のうちに、彼にはマーガレットに半日暇を出すことは伝えていて、了承を得ているから何ら問題はない。


 マイャリスの午前のお茶を用意して去ろうと一礼をする彼女だが、どこか表情と雰囲気が引っかかる。


 きっと、慣れない屋敷に独りきりにするということへ抵抗があるのだろう。しかも、州侯の膝下で、州が雇った使用人ばかりなのだから。


「マーガレット、大丈夫よ。気兼ねなく行ってらっしゃい」


「ぁ……いえ……はい」


 弾かれるように顔をあげる彼女に、マイャリスは、心配は不要と笑む。


 しかし彼女の表情は、さらに曇った。


「__どうかしたの?」


 怪訝に問えば、彼女は視線をやや伏せていた。ためらいがちに、口を小さく開いては言葉を飲み込み__そうしている様を静かに見守っていれば、やがて彼女は小さく言葉を紡いだ。


「あの……実は、こちらに出向く前、ハンナの実家へ行っていたのです」


「それは……この前の暇を出した時?」


 はい、と頷くマーガレット。


 リュディガーが州侯に呼び出され、留守にしていた間、彼女には暇を出した。そのとき、実家を訪れたとは聞いたが、まさかハンナの実家を訪れていたとは知らなかったから、マイャリスは驚いた。


「ハンナはどうやら、州都での働き口を見つけてこちらにいるらしいのです」


「まあ、そうなの」


 それは朗報だ。


 自分の死の偽装があったと聞かされ、背格好が近い彼女の安否が気になっていたマイャリスは、安堵するとともに高揚した。


 彼女の身になにかあったのでは__調べたくても調べられなかったから、朗報も朗報。吉報である。


「じゃあ、ハンナに会いに行くのね?」


「はい、そのつもりです」


 __でも、どうしてそんなに浮かない顔をしているのかしら……。


 マーガレットとハンナはとても気が合っていた仲だと記憶している。出身地も近いということで意気投合していて、そんな仲だった友人に会うというのに、何故__。


「__何か、気がかりがあるの?」


「ご両親と、連絡がとれていないらしいのです。手紙を送っても、返事があることがなく……もともと彼女は実家との連絡は、筆不精という感じでしたが、それでも音信不通が続きすぎていて、もしかしたら病でも患っているのでは、ということでご両親も心配していて」


「そうだったの。そういうこと……それは気がかりね。場合によっては、明日も暇を出すから、彼女のことお願いしてもいいかしら」


「あ、ありがとうございます」


「それで、もしできることなら、彼女をこの州都にいる間に招くなりして会いたいから、そのことも伝えて」


「もちろんです!」


「できるなら、使用人としての打診も」


 マイャリスがくすり、と笑って言えば、やっと彼女も顔が明るくなる。


「では、行って」


 はい、と改めて一礼をとり、マーガレットは去った。


 扉が閉まるのを見届けてから、マイャリスは窓辺へと歩み寄る。


 州都を毎日のように包む霧は晴れ、抜けるような青空に思わず目を細めた。木々は、ハイムダルとは違い、まだまだ青い。


「……まだ、暖炉がなくても過ごせるぐらいなんですものね」


 秋分に近いとは申せ、温かい__否、ハイムダルの気候に馴染んだ身体には、暑いぐらいである。


 窓を開け、外気を取り入れる。


 遠く耳に届くのは、城下の喧騒の残響。


 州城の屋敷でも耳をすませば聞こえはしたが、ここの邸宅の比ではない。


 街の一部にある__そう思える。


 庭は中庭だけ。邸宅には露台もないから、開放感はほぼない。そんな邸宅に、相変わらず自分は外へ出ることを禁じられているが、それでも街と近いということが感じられるだけで心が高揚する。


 __夜会は三日後。それが終わって、多分戻るのでしょうが……。


 街を見物することはできない。


 『氷の騎士』の面が世間に知られているかは知らないが、その妻__州侯の娘が闊歩する様を、快く思う者はいないだろう。


「……自分の居場所は、とっくの昔からないのよね」


 はぁ、とため息が溢れる。今更思ってしまった。


 __キルシェ・ラウペンだったなら……。


 あるいは、父がまだ州侯でなければ__なかった未来を考えてしまい、苦笑する。


「それに、州侯になる以前から、加担していたじゃない、あの人は」


 州の中枢に顔が利き、政策に口を出していたような父だ。大学へマイャリスが進学してから、より入り込んだと戻ってから知った。


「オーガスティン……」


 教えてくれたのは、他ならぬ彼だ。


 父に雇われた立場の彼は、州の内情を探るため父に目をつけたのだろうか。あるいは、たまたま雇い主がそういう立場だったと知って、そのまま探っていたのだろうか。


「6年も」


 マイャリスが大学へ入って後雇われて、粛清されるまでおよそ6年。それだけかけて丁寧に調べていただろうに__。


 間諜である彼の遺体は、家族の元へ戻った可能性は低い。埋葬さえされず、野晒しで獣に食われてしまったかもしれない。


 本名も、出身も、ことごとくを偽って生きていたに違いないから、もはや辿るすべはない。国の為に闇に葬られた存在になってしまった彼が、不憫でならない。


「龍帝陛下は高天原に座し、州侯に権威を授けて州を統治させている……よほどのことがなければ、動かない。よほどのこと……か」


 他の州に比べて課税が多いのは、瘴気が溜まりやすい風土で、その驚異を緩和するために各都市の設備投資にかけているから。人の移動__移住の制限も、街の規模との兼ね合いがあるから。


 オーガスティンは内情をよく探っていた。マイャリスに教えてくれる範囲でも、州侯を召喚して評議会で糾弾することはできたはず。


「__よほどのことって、何……」


 そこに住む人にとって、毎日がよほどのことだろうに__。

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