偲ぶ
リュディガーが戻ってきてから3日が経った。
あの日以降、食事を食堂でとる気力がわかず、毎食を私室にて食べたマイャリス。
気力がわかない、というが、淡々とオーガスティンを解任__粛清したと告げた『氷の騎士』と顔を合わせることができなかったのだ。
なるべく会わないよう、隠れるように日々を過ごす。
__本当に、彼がわからない。
昔とは違う。それだけはわかっていた。
だが、かつての彼の片鱗を見かけていたから、そこまで違わないのかも、と思っていた。
__助けに駆けつけてくれた……。
それは、自分が州侯の娘だから。ただそれだけのこと。
__そう。ただ、それだけのこと……だった。
こんこん、とノックがされ、マイャリスは弾かれるように扉へ声をかける。相手はマーガレットだった。
入室を許せば、目が合った彼女は表情を曇らせる。どうやら自分は、思っていた以上に暗く固い表情でいるらしい。
「失礼します、マイャリス様」
「何かしら」
「あの……実は、その……フルゴル様が、お目通りをご希望で」
「フルゴルが……」
マイャリスは、その名前を聞いたとたん、緊張した。
フルゴルは、リュディガーの腹心。
__何のために……。
様子を見にきた、ということだろうか。
今日に至るまで、彼と顔を合わせることは遠巻きにはある程度の距離感だった。
フルゴルとは、リュディガーが戻って以降、見かけることはあっても、彼女もやたらに接触を図ることはなかった。リュディガーがいれば、アンブラとともに彼の側近くに控えているばかりだ。
__リュディガーに言われて来たのでしょうね。
リュディガーは、避けられている、という実感はあるはずだ。
様子は使用人伝__マーガレットではなく、他の使用人ら__から伺ってはいるのだろうが、もっとも信頼を置いているフルゴルに探らせたくなったのだろう。
アンブラでないあたり、同性でかつ留守中はそれなりに交流をしていたという点で、彼女に任せようとしているに違いない。
「__お通しして」
マーガレットは、頷いて扉の向こうへと下がり、次いで入室したときにはフルゴルを背後につれていた。
フルゴルはマイャリスと視線があうと、ふわり、と笑んでそれはそれは上品に淑女の礼をとった。
「お目通りいただき、ありがとう存じます。マイャリス様」
「どうされましたか?」
問いながら、近くの椅子を示して座るように促した。
それに素直にしたがい、フルゴルは優美な歩みで椅子へと歩み寄り腰を据える。呪い師であるに違いないが、その立ち居振る舞いは洗練された上流のものに違いない。それがまた、彼女の出自を不思議に思わせる。
「ご気分が優れない、と伺っておりましたから、心配しておりました」
「……」
白々しい言い方ではないが、マイャリスはその言葉に、膝の上に置いていた手に力が籠もってしまった。
「__間諜だった、というのは本当なのでしょうか」
「はい」
迷わずうなずくフルゴルに、マイャリスは奥歯を噛み締めた。
「父の__州侯の、これまでの過ちを糺そうとしていただけではないのですか」
フルゴルは目を細める。
「……州侯は、瘴気から民を守るための手段を講じているにすぎません」
「瘴気を祓うため、質の良い魔石をかき集める__それは理解できますが、そこに住むためには過度の税を納めねばならないというのは、一部の民しか住むことができないでしょう。それ以外の民は棄民されたようなものではありませんか」
しかも、魔石をかき集めるために鉱山に集められた民も、劣悪な環境で賃金も低いときては、将来の展望も望めずひたすら搾取されるばかりではないか。
「……それでも、鉱山で働いている限り、護られはしています」
「代わりはいくらでもいる、という弱みに付け込まれている彼らは、その働き口で口を噤んで生きているに過ぎない、と私は思います。移住も制限されているとか」
「お詳しくてあらっしゃる。__オーガスティンから聞いたのですね」
じぃっと見つめてくる彼女の瞳を真っ直ぐ受け止め、マイャリスは答えない。
「……私めは、リュディガー様の小間使ですので、州侯に意見具申することは皆無です。指示を受けたリュディガー様が、私に命を下す__それだけです」
__でしょう。そんなこと、わかっているわ。
「……貴女にこんなことを言っても、詮無いこととはわかっているのですが……すみません。言わずにはいられず」
「いえ、よろしいのです。__マイャリス様とオーガスティンはとても親しい間柄だったと存じておりますので」
一度視線を断ち、マイャリスは深く呼吸をして落ち着きを取り戻し、改めてフルゴルを見る。
「__それで、ご用件はなんでしょう?」
居住まいを正すように、フルゴルは長い法衣の袖を軽く振るった。
「州侯が、次回の夜会にマイャリス様をお連れするように、と仰せだそうです」
「父が?」
俄には信じがたく、マイャリスは眉をひそめる。
「リュディガー様とともに出席するように、と」
これまでひた隠しにしてきたというのに、どういう風の吹き回しなのだろう。
「本当に?」
「『氷の騎士』と、そこに嫁いだ秘蔵っ子である御息女を知らしめるためではないでしょうか」
__『氷の騎士』とは身内になったということを強調したい……のかしら。
そんなつもりはないのに、州侯とその股肱『氷の騎士』と同類と認識されることだろう。
__よりにもよって、社交らしい場に出るの初めてが、そうしたものになってしまうとは……。
「……従います」
気が重いが、おそらく断ることはできない。
__どんな手を使われるかわかったものではないもの。
思い通りにするために、父はどんな手も使う。
大学を自主退学したときも、使用人らを人質にとられたようなものだった。
あの時やり取りした手紙に暗にそう記されていて、自分の意思を断念したのだ。
「お話というのは、それです」
「そう。__日取りは」
「今週末には発つと」
「わかりました」
フルゴルは柔和に笑んで、席を立ち扉へとむかった。
引きずるほどに長い法衣の裾__それが、扉の前でふわり、と膨らむようにして彼女は身を返した。
「__マイャリス様は弦楽器がお上手であらっしゃる」
民族楽器のカーチェのことだ。
オーガスティンが粛清されてから、夜ごと彼のことを偲んで弾いていた。
「__手慰みです」
「手慰みとは、ご謙遜を。宮妓にも勝るとも劣らない腕前でございますね」
「煩いのでしたら、止めますが」
「いえ、是非続けてください。__想いは、面影を宿します」
面影__彼女は、何のために弾いているのかわかっているのだ。マイャリスは直感でそう察した。
__まぁ……明から様といえばそうよね……。
親しい者を亡くし、楽器を夜ごと奏でているのだから。
ふわり、と柔和に笑んで、フルゴルは部屋を去っていった。
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