偽装された死

「__偽名だったことを詰られましたか」


 少しばかり張り詰めた空気を、いささか明るい声で断ち切るオーガスティン。マイャリスは視線を彼に戻した。


「詰るほどでは……。どう思っているかはわかりませんが、呆れたとかそうしたこともなかったように思います」


 ふむ、とオーガスティンは腕を組んだ。


「ただ……」


「ただ?」


 そこで思わず口ごもるマイャリスだが、オーガスティンが肩をすくめて先を促すので、おずおずと続ける。


「……私は、どうやら死んだことになっていたらしいのです」


 オーガスティンは、眉をひそめる。


「どういうことです」


「……貴方が帝都の大学へお迎えに来て、それから一週間ほどした頃、州境で魔物に襲われて瘴気が濃い谷底へ馬車ごと落ちたのだそうです」


「瘴気が濃いということは、その……腐敗が早くて、身元を割り出せもしなかったのでは?」


「遺品から特定できたそうで」


「あぁ……なるほど」


「馬車は2台で」


「わざわざ、当時手配していた使用人分も、ということですか。……となると、私も死んでいることになっているわけだ」


「……そう、なりますよね」


 __という事は、彼もまた知らなかったこと……。


 当時、父に雇われていた立場で迎えに来た彼の反応を見るに、秘密裏に進められたということか。


「今日の今日まで別段気づきもしませんでしたが。まるで不便はなかったですし……。まあ、察するにキルシェ・ラウペンとしての足跡を断たせたかった方がいた、ということですかね」


 偽名ですから、とオーガスティンが呻くように言った。そして、腕を組んだまま目を閉じ、しばしして小さく彼が零す。


「__州侯は用意周到だから、やりかねない」


「そう、ですよね……。その事故で、私は死んだと思っていたらしいのです、彼は」


「彼……ナハトリンデン殿ですか」


「はい。__生きておられた、とそう言っていましたから」


「__で、驚かれていた、と」


「……驚く……動じてはいなかったように思いますが……」


 ほう、とオーガスティンはさも、興味深い、と顎をさすった。


「死んでいたと思った知古が生きていたのに、ですか。__さすが、『氷の騎士』殿。二つ名は伊達ではない、というところですか」


 やや声を潜めて揶揄をする彼に、マイャリスは苦笑を浮かべる。


 本当に動じては居ないように見受けられた。


 逆の立場だったら、と思うと、やはり驚くだろうし、これまでのことを案じて色々と聞いたことだろう。


 __変わってしまった……のね。本当に。


 あるいは、ずっと嘘をついて、素知らぬ顔で付き合っていたことを幻滅されてしまったからだろうか。


「オーガスティン。彼は、龍にもクライオンにも見限られた、とも言っていましたが本当なのですか?」


「見限られる__クライオンも確かに行使できないらしいですし、アルビオン……でしたっけ? 龍騎士の龍は。あれも、確かに従えてないところをみるに、龍騎士を辞めた際、てっきり返上したのかと思っておりましたが」


「いえ。返上ではない様子でした」


 オーガスティンは天井を仰ぎ見て、顎をさする。


「……よほどのことがあったのではないのですかね。見限られるとしても、それほどあることではない。そこまで性格破綻をしているようにはお見受けできないから」


「……彼には、御御足の悪いお父様がいて……肺も患っていたのですが、そのお父様が亡くなってから、思うところがあったと言っていました」


「これは、ある人の受け売りなんですが__人の死とは、確かにきっかけになることは多い。価値観が変わることもあるかと」


 __それは、確かに……。


 マイャリスは呻いた。


 養父とはいえ、たった一人の彼にとっては家族だったはずだ。


 __傍に居られたら、違ったのかしら。


「__マイャリス様、つかぬことを伺いますが、大学ではそれなりの交流が?」


 一瞬よぎる、手をとって求婚してきた彼の顔。怯みそうになるも、マイャリスはなんとか表に出さずに平静を装った。


「ええ……。担当教官が同じでしたから。弓射の指導を任せられましたし」


 オーガスティンは目を丸くする。


「お嬢様が? ナハトリンデン殿の?」


「ええ」


 意外だ、と言わんばかりに彼は驚きを隠せないでいる。


「__ナハトリンデン殿、苦手な得物はほぼないんじゃないか、と言わしめている御仁ですよ。だからこそ、内部の不満は落ち着いたと言ってもいい」


 そこまで言って、オーガスティンは唸って顎をさすった。


「こう言ってはなんですが、弓射の指導をするほどの交友があったマイャリス様が亡くなったという報せも、それなりに影響したのではないですかね」


「それは、どうでしょう……。そんなに影響したとは思えませんが」


「わからないものですよ。ものさしは、その人それぞれ。受け止め方は異なります」


 マイャリスは表情を曇らせる。


 おこがましい考えだ。だが、逆であったなら__そう考えると、自分なら少なからず考えに影響する出来事に違いはない。


 __でも、私は彼を踏みにじったのだし……。


 むしろ、そっちだろうか__そこまで考えて、マイャリスは首振る。


 __自意識過剰だわ、私は。


 彼がその程度で信念を揺るがすはずがない。


 あれは__彼の求婚の動機は、優しさからくる同情なだけなのだから。


「__しかし、州侯もやはりやり手ですね。偽装するほどとは」


「ええ。わざわざ2台の馬車を用意していますから……。私の一行が……一行?」


 マイャリスは、はた、と気がつく。


「私も含めた、御一行ってことですよね?」


「え、ええ……」


 だが、誰も死んでなどいない。__今目の前にいる彼もその一人だ。


 州都へ到着するまで、誰一人欠けることはなかった。


「2台の馬車が落ち、遺体は拾い上げられなかった。遺品から身元を特定した、と聞いた、と」


「ええ……」


「……用意周到な旦那様のことだ。遺体の数も合わせていたはず」


「__身代わりを、用意した……ということ?」


 ぶるり、と悪寒が走り、身を震わせるマイャリス。


 今にして思えば、おかしいと思えることはあった。当時は微塵も疑問に思わなかったことだ。


 家に戻ると、使用人の大部分が入れ替わっていた。


 自分が4年も留守にしていたのだから当然だろう。政変もあったから、それにともなって、とそれらしいことを言われた。


 大学に入る前、侍女として身の回りを世話してくれていたハンナも、辞めたと聞いた。その後任に、ハンナの片腕のような立場だったマーガレットが侍女になったのだ。


 __ハンナは、背格好は似ていた……。


 目の色こそ違うが、銀色の髪で__。


 __でも、だからって……。


 彼女は辞めただけではないのか。


 __私のせいで、彼女は殺された……かもしれない。


 だが、彼女が辞めてしばらく経つはず。


 __どういう、こと……?


 嫌な予感しかしない。


 喉が妙に乾き、張り付く不快感を拭おうと唾をなんとか飲み込んだ。


「マイャリス様?」


「あ、いえ……」


 彼に調べてもらうのも手だろう。


 彼は飄々としてこそいるが、誠実な人物であることに違いはない。


 彼が迎えに来て、父に雇われた護衛だったから味方と思えずにいたが、先入観__誤解だとはわかった。


 敵ではないし、彼は彼なりに立場を弁えつつも、人としての道理は弁えた為人だったのだ。だから、今マイャリスにとっては数少ない頼れる人だ。


 __リュディガー以上に。


 だが、オーガスティンは近衛の筆頭十人隊長だ。父からも、そしてリュディガーからもかなりの評価を受けているに違いない。


 父は合理主義者で実力主義。それに傾倒しているリュディガーもきっとそうに違いない。


 __叩き上げで、百人隊長にまでなったのだもの。


 探ってもらったとして父の不興を買ってしまって、オーガスティン自身の立場が危うくなってしまうのは申し訳ない。


 それは、間違いなくマイャリスにとっても首を絞めることに違いないのだ。


「……それとなく、そのあたり、探れる範囲で探ってみましょうか?」


「いえ。いいの。貴方が危険を犯すことはないわ」


 こんこん、とノックがそこへされ、入室を求めるのはマーガレットだった。


 どうぞ、と許可をすると、マーガレットは扉を開けたところで、恭しく礼をする。


「__ギーセン様、あの、近衛でお呼びがかかっておりますが」


「ああ、今行きますよ。__よろしいですかね、マイャリス様」


「ええ、すみません。長く引き止めてしまって。__お茶をありがとう。帝都でのお話も」


 いえ、と人懐こく笑う彼が席を立つのに倣い、マイャリスも席を立った。


 そして一礼をして扉へと向かう彼を見送るために、後へ続く。


「__まあ、自分がどういう状況にあるかぐらい知る権利は、誰にもありますからね」


「オーガスティン。__くれぐれも、気をつけて」


 マイャリスの心配をよそに、オーガスティンはくつり、と笑って一礼を改めてとると、兜を被って去っていった。

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